第69話 人々を惹きつけることができる根の張った卓越した者

文字数 912文字

 いつものワインの味がしなかった。稽古の疲れのせいではない。
「再結成?」
「うん」
「無理でしょ」
「どうして?」
「どうしてって」
「もう誰も邪魔するものはいないぞ」
 それはラバーズ事務所の影を言っている。海堂丈太郎もメイコもこの世界から消えた。ならば退所した來嶋詩郎、福田剛士、門川慎之介の芸能活動を阻害するものは何もない。
「そういう問題じゃなくて」
「どういう問題だ」
「解散して10年も経ってるんですよ、僕ら」
「いい頃合いじゃないか、また顔合わせるには」
 詩郎はワインを一口啜って、息を小さく吐いた。
「同窓会じゃないんだ。昔懐かしくてハイ集合ってわけにはいかないですよ」
「もちろん同窓会じゃない。正式に『笑門来福⤴吉日』を復活させたいんだ」
「ですから、それは無理ですって」
「詩郎たちが戻ってくれれば、あとの外縁の連中を俺が説得する」
 外縁とは、より遠くにいる吉岡正志、笑原拓海、日下部悠斗のことだ。
「そんな単純なことじゃないですよ、飯倉さん」
 詩郎の脳裏にはあの頃のメンバー同士の醜い諍いが思い浮かぶ。
「どうして僕らが袂を分かったか・・・飯倉さんが一番知ってるじゃないですか」
 方向性の違いだ。詩郎はそう考えている。当時露呈した笑原拓海と門川慎之介の不仲は、それまでに積んできたアイドルとしてのキャリアの行末が微妙にずれ始めていたことの一端だった。つまり何に重点を置いていくのか。詩郎の場合、それが演劇だった。
 だから、詩郎たち3人は自分たちで独立した事務所を立ち上げた。比較的3人の方向性が合っていたからだ。
「知っているよ。だが詩郎、君たちのベースはやはりアイドルだ。それは動かん。例え、お芝居に没頭しようとも、MCで身を立てようとも」
「いまさらアイドルだなんて言われたって・・・」
「アイドルをビギナー扱いするな。アイドルはいくつになっても人々を惹きつけることができる根の張った卓越した者のことをいう」
「僕たちが卓越したアイドル、ですか?」
「全世代に愛された君たち国民的アイドル以上のアイドルは見当たらん」
 思わず視線を外す詩郎。ワイングラスに映る飯倉の眼光が、以前より鋭さを増している。
 それは狙う獲物の大きさ故だったろうか。



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