第81話 国民に与える影響が大きい人なんです

文字数 1,211文字

 笑原拓海の事務所でも揺れは起きていた。
「届きましたよ」
 拓海に手紙を手渡しているのは彼のいまのエージェント、鯉川真虎登(こいかわまこと)。かつてラバーズ事務所でQ3と呼ばれる職務に就いていた人物だ。事務所の機密情報を守る仕事をしていた鯉川は元公安調査庁の役人であった。
 そんな人物を拓海が身辺に付けていたのは、吉岡正志同様、シークレットで進めなければならない大仕事があったからである。
 拓海が手にした手紙は、某政党から次期参議院選挙の公認を仄めかす内容であった。差出人はSS。意味はstand stoneの略であり立つ石=立石からもたらされたものである。言わずもがなN放送局の会長立石健三氏からの手紙である。電子媒体を使わなかったのは立石が情報漏洩を恐れてのことだった。
 その手紙に目を通し、拓海は呟く。
「これって信用できますか、鯉川さん?」
 以前出馬を反故にされたことで、拓海は民政党との約束に疑念を抱いていた。
 鯉川はわずかに眉を上げて言った。
「それはただの手紙です。公証書ではありません。しかし彼は約束された、あなたの次の舞台を」
「聞かれたのですか、鯉川さんが直接?」
「聞かずともあらゆる情報を入手しています。その言は信用していい」
 しかし、拓海は半信半疑だった。
「また急に裏切るようなことは? 以前のように」
 拓海の不安を鯉川はこう打ち消した。
「それは、あなたの値打ち次第です。向こうは言いました。あなたが欲しくてたまらないと。それがどういう意味かわかりますか? つまりいまのあなたなら必ず勝てる、そういうことです」
 拓海は少し考えてから言った。
「SSがそう言ったのですか?」
 立石ならば仲介者であり疑いは溶けない。
「いいえ」
「じゃあ、誰が?」
 鯉川は声を出さずに指である文字を示した。
 拓海は鯉川が作った人差し指と親指のカーブを眺め呟いた。
「・・・鶴岡さん?」
「拓海さん、ダメです」
 鯉川は拓海を注意した。有名人の会話はどこで盗み聞きされているかわからない。特に契約や取引に関する会話では実名や詳細な数字を避けできるだけ符牒を使うよう拓海に言っていたのだが。
 ちなみに、鯉川が作った文字はC。それはcraneの略。つまり鶴=鶴岡を意味する。
 拓海は思った。鶴岡なら民政党本部の意向に間違いないだろうと。
「わかりました。信じます」
 鯉川は声を絞って囁いた。
「いずれにせよ、あっちははっきりと断ってくださいね」
 鯉川の言うあっちとは飯倉のオファーのことである。
 拓海は言った。
「言われたとおり既に断りましたよ」
 拓海の表情の奥にわずかな揺れがあるのを鯉川は見逃さなかった。
 鯉川は頷きこう拓海に告げた。
「いいですか。今回のことは、あなただけでなくこの国にとっても大きな出来事になるでしょう。それほどにあなたは国民に与える影響が大きい人なんです」
 頷く拓海の心中、何が起きていたか・・・本人を含め知る者はいなかった。



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