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文字数 1,912文字

「ボクは、郷里の人間として坂本竜馬を尊敬します。あの維新回天の原動力になった竜馬の行動力こそが、我々の学ばなければならない姿勢であると思います」
 ヤスオが黙っているヨシノリに代わり答えた。
 ヤスオの口調は、どこか学生運動でアジっている学生の様にも思えた。
「竜馬はいいねぇ、だって私心がないでしょう、無欲でしょう、それで国を変えたいという大きなビジョンを持っていた、そこなんですよね。長州の吉田松陰だってそうでしょう」
 リーダーらしき男は、幕末の時代に生まれていれば自分も行動を共に出来たのに、と云わんばかりの情熱的な声色で語った。
「如何ですか、キミも土佐っぽとして竜馬の様に生きたくないですか?」
 リーダーらしき男の強い視線に圧倒されながら、ヨシノリは項垂れながら聞いていた。
「この宗教は革命を起こすんです、ただネ、暴力による革命ではないよ、平和の為の無血革命なんですよ」
 他のメンバー達も、リーダーらしき男の話しに肯きながら聞いている。
「キミがさっき云った『暗夜行路』の主題の宿命の変革も、個人における革命なんですよ、それを我々は人間革命って呼んでいるんです、グローバルな視点で捉えて革命を起こす、それが宗教革命なんです。その対極にあるのが戦争をはじめとする暴力による革命なんです」
 リーダーらしき男は、片足を投げ出したまま話している。ヨシノリがその足をチラチラ見ている事に気付いたヤスオが、
「池谷さんは、高校時代にバイク事故を起こし、片足を無くされているんだ。だから右足は義足なんだよ」
 その事を云われた池谷は、
「行儀悪くて申し訳無いが、この足は曲げる事が出来なくて、ゴメンよ。若気の至りというか、暴走族に入ってバリバリやっていた頃でね」
 と屈託なく笑った。眼光の鋭さから暴走族としても、かなり上にいた人に違いないと思った。
「ボクも、この信仰によって随分変わってね、末はヤクザか何かになるしかなかった人生を、この右足一本を代償に救ってもらったよ、如何やら、キミも悩みがある様だから、僕達と一緒にやってみないか、谷君という良き友もいるんだし」
 池谷は、ヨシノリが笑いかけて頬を痙攣させる様子などから、ヨシノリの内面の苦悩を見透かしていた。
 ヤスオは話しに加わりたい様子で、身を乗り出さんばかりにして、二人の遣り取りを、聞いていた。
「そ、そうだよ、三田君、ボクたちと一緒にやってみないか。キ、キミの事は、ボクが一番わかっているよ。共に自分のカラを破ろうじゃないか、ボ、ボクだってドモリを克服したいんだ、キミにだってあるだろう、辛い過去が」
 辛い過去。恥の過去。抹殺したい過去。
 ヤスオが笛吹きテストで指が震えた過去の事を、ここで暴露するのではないかと、ヤスノリは冷や汗を掻いた。
 ヤスオにはヨシノリの惨めな過去が記憶されている。そう思うと力が抜ける様な、情けない感情が蘇った。
「信仰に入るにも、勇気が必要なんだよ。キ、キミのカラを破るんだ」
 ヤスオは、今にも飛びかからんばかりの前傾姿勢で、入会を勧めた。
 勇気。
 この言葉がどれ程ヨシノリに、絶望感を与えた事か。
「勇気を振り絞って、……」
「勇気を出して、……」
 と云われる度に、心が萎えた。
 信仰に入信する勇気すらない自分。
 信仰の功徳を、確信に満ちた目で語るメンバー達を見ていて、ヤスノリは羨ましいとは感じたが、何処かまだ遠くの世界の話に思えた。
 ヨシノリは、圧倒されながら、只々その場から逃れたく、適当に嘘を吐いて出てきた。しかし、ヨシノリの頭の中から池谷の言動がこびりついて離れなかった。
 日増しに明るくなっていくサトミや、希望に満ちた表情のヤスオを見ていると、益々自分の暗さが気になり、落ち込む様になった。
 三人が集まっても、話す事と云えば、宗教の話しで、最後にはヤスオとサトミがヨシノリに入信を勧めた。
 段々とそういう事にも苦痛になってきたヨシノリは、居留守さえ使う様になった。
 サトミと上手くいっていた頃は、多少なりとも対人恐怖や自意識過剰も和らいでいたと思ったが、サトミとの関係が希薄になると以前にも増して症状が悪化した。
 ある日の事、暇を持て余してヤスオのアパートを訪ねた時、そこにサトミがいた。二人はヨシノリを見て、一瞬驚いた顔をして、バツが悪そうにした。
「会合の帰りに、貸して貰いたい本があったから、寄っていたところよ」
 サトミが苦しげな云い訳をした。
 ヨシノリにも何となく、サトミがヤスオに心変わりした様に思う事が何回かあったから、二人の云い訳が白々しく聞こえた。
 そしてこの日をきっかけに、サトミの事を思い案じるのを止めにしなければいけないと思った。
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