文字数 1,210文字

 ヨシノリが最初に持ったコンプレックスは、オネショが治らない事だった。
 小学高学年になってもオネショをする息子に、母親が見かねて町内の祈祷師の所へ行き、お払いをしてもらった事さえある。他にさして問題のない息子に、両親も夜尿症だけが心配の種だった。
 寒い冬の日の夜中にびっしょりシャツまで濡らして、震えながら風呂場で着替える時の惨めさと、父親に侮蔑の視線を浴びせ掛けられる屈辱は耐えがたいものがあった。
 随分悩まされた夜尿症の問題ではあったが、四年生の時には回数も少なくなり、五年生になった頃には殆どしなくなっていた。
 ヨシノリは二年生の時、仕事の関係で大阪に出ていた両親と姉とともに、実家のある高知県西南端の田舎に帰ってきた。
 転校生という事で珍しがられた。暫くは、ヨシノリが何かをすれば、それだけで注目されていた。
 転校して二ヶ月が経った頃、村田ブンタという悪ガキと喧嘩になった。ブンタは喧嘩好きで、とにかくよく喧嘩をしていた。ブンタは都会返りで皆からチヤホヤされるヨシノリをよく思っていなかった。ブンタは因縁をつけて、ヨシノリに喧嘩を売った。
 教室の後ろでほぼ互角に争っている間に、二人を多くの野次馬が囲んだ。二人の一進一退の攻防を観ながら、多くはヨシノリを応援している。ブンタは日頃から悪さをするため皆から嫌われ、誰かがブンタをやっつけてくれたらと思っていたのである。
「ヨシノリ、負けなよー!」
 その声は近所に住む六年生のモックンだった。ヨシノリとブンタの喧嘩を、たまたま廊下を通っている時見つけ、人盛りの中に分け入り声援したのである。
「ブンタの馬鹿に絶対負けたらいかんぞー!」と、モックンは絶叫した。ヨシノリもその声に後押しされて、やや攻勢に出た。二人は髪を引っ張ったり、首を絞めたり、蹴りやパンチの攻防を繰り返すが勝負はつきそうになかった。
 そうする内にブンタがヨシノリの服をベリベリと引き裂いた。するとヨシノリは今までの戦意を突然喪失してしまい、ワナワナと泣いてしまった。何故かこの時のヨシノリには、母親の百姓仕事で夜なべする姿がオーバーラップして、服を台無しにし申し訳ないという感情が出てしまった。
 この時、皆が「アーァ」と溜息を漏らしてその場を離れていく様を、泣きながら惨めに思ったものだ。それ以来喧嘩しても絶対泣くまいと心に誓った。


 しかし今日の屈辱は、今まで味わった事のない、全てのプライドをズタズタにされるものだった。
 過去にどんなに惨めな事があっても、「今に見ておれ」と云う反骨精神までが消える事はなかった。が、今日受けた惨めさは、体内から全てのエネルギーが抜け、無気力になり、へなへなと崩れ落ちそうだった。
 結局この日を境にヨシノリは、クラスメートよりどんなに秀でた才能があると自覚しても、いつも震える指の事を揶揄されたら一瞬で終わりになると云う恐怖心とコンプレックスに怯える様になるのである。



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