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文字数 1,958文字

 ヨシノリは大学に入学したが、ヤスオは希望する大学に入れなかったため、浪人をした。
 東京に上京したヨシノリは、これからの四年間で自分を大きく変えたいと強く願った。
 しかし、そんなヨシノリの浅はかな願いとは裏腹に都会での生活もまた、大きなコンプレックスを追加させるものに他ならなかった。
 大学に入学した年、ヨシノリは大学近くのありふれた民家に下宿した。
 二階の二部屋の一方に、静岡出身の別の学部に通う柿内という男が入り、他の一室にヨウ・バイカンいう四歳年上の台湾人とヨシノリが生活するはめになった。ヨウとヨシノリの部屋が六畳で、柿内の部屋が四畳半だった。ヨウもヨシノリとは別の学部だった。
 ヨウの父親は、外交官だった。
 下宿屋のおばさんは、ヨウが初めて来た時の事を、ヨシノリに話した。
「黒いリムジンが家の前に止まったから、何事かと思ったら、中からヨウ君とお父様が降りてきてね、ワタシは本当びっくりしちゃってさぁ、驚いたからガハハハハ……」
 大柄で汗っかきのおばさんが早口でそう言うと、豪快に笑った。
 この話しは、おばさんにとって余程ビッグニュースだったらしく、ヨシノリがいたわずか一年の間だけで何回も聞かされたものだ。
 ヨウは医大を受験し続けて四回目に挑戦したが、結果不合格だったため、腰掛けにこの大学に入ったとの事で、入学後もずっと医大への受験勉強を続けていた。
 ヨシノリは、当初神経質そうな四歳年上の台湾人との共同生活に不安を持ったが、ヨウは見かけと違い結構気さくな男の様でもあり、心配するほどの事はなかった。
 ヨウは外交官の息子という事を、初めの内は少しも鼻にかけなかった。少なからず、偉ぶった素振りや、日本人に対しての警戒心の様なものは見せなかった。
 早くから日本に来て住んでいただけあって、流暢に日本語も話したし、どちらかといえば俗っぽい日本語をよく使った。部屋にいる時など、パンツ一枚でよく、難しそうな数学の問題を解いていた。
 同居して二ヶ月くらいは、お互いが牽制しあう様な変に遠慮深い生活を続けた。
 二人は部屋にいても、お互い口を交わす事が少なく、ヨシノリはもっぱら隣室の柿内とばかり話していた。
 後期の授業が再開して暫く経ったある日の事、机の上においてあったヨシノリの現金がなくなった。ヨシノリにとっては、一月分の僅かな小遣いの中の貴重な五千円だった。
 ヨシノリは、暫く捜した後、ずっと部屋にいたヨウに何気ない調子で聞いてみた。
「ヨウさん、ここに置いてあったはずの五千円がないんだけど、知らないよね。それがおかしい事に、どうしても見つからないんだ。今朝出がけに慌てたもんだから、机にうっかり置いてしまって……、それにしてもおかしいな」
 ヨシノリは、別にヨウを疑ったつもりで言ったのではなく、今日は授業をさぼって受験勉強に精を出すと言っていたヨウが、ずっと部屋にいたはずだからと思い聞いたのである。何も思わずに聞いただけで、もちろん悪意などなかった。
「キミハ、ボクガ、カネヲトッタッテイウノカ、バカニスルンジャネーヨ。ナニオコンキョニ、ソンナコトイッテルンダ」
 ヨウの顔は真っ赤になっていた。こんな形相のヨウの顔を見たのはもちろん初めてだったし、ヨウの神経質な目が怒りにワナワナ震えている。
「べ、別にボクは、なな、何もヨウさんが盗ったとは、言ってないよ。ただ、朝からヨウさんが、こ、この部屋に居たからと思って、聞いただけだよ」
 ヨシノリは、動揺している自分を見て更にドギマギしてしまった。
「ダッケド、サッキノイイカタナラ、ダレダッテハラタテルゼ、キット。キミモ、ニホンジンナラ、ニホンゴチャントツカエヨ」
 ヨウは怒りがおさまらずに吐き捨てる様に言った。
 何とか平謝りに謝り、その場をやり過ごしたが、ヨウとの間には決定的な溝が出来てしまった。
 これからの半年近くを、ほとんど口もきかず過ごした。
 ヨウは何時も異様な警戒心でヨシノリを見る様になり、ヨシノリより早く眠る事はほぼなかった。
 ヨシノリにしても、何時も何らかの警戒心を持っていたため、熟睡が出来なくなっていた。
 楽観的で無頓着なオバさんは二人の関係がこじれている事など、全く気付く様子はない。
 ヨシノリとヨウと柿内が下のダイニングで食事をする時、オバさんは何時も居間のテレビでドラマを観ており、ほとんど我々の事を気にしていなかった。
 気まずくなってからのヨウは、あからさまに横柄な態度を取る様になった。
 ヨウはヨシノリに対して、挑戦的な態度を取る時もあれば、馬鹿にして冷ややかに見る事もあった。初めの頃の優しさや謙虚さは微塵も無くなった。
 台湾人のエリート外交官の息子であるヨウとの、息苦しい共同生活を、拷問に耐える思いでヨシノリは過ごす事になる。

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