四章-4

文字数 1,302文字

 深夜のダイニングで、ルナは一人、闇を見つめる。夕方、シュントに話してもらった

を何度も反芻し、ヤナギの仕草や表情を思い出しては傷つき、ここで生きている事実に打ちのめされそうになる。

 ここに居るのだから、きっとルナにも、父がいて、母がいた。捨てられたか、二人とも死んでしまったかして、物心がつく頃にはストリートで生きていた。小児性愛者に買われて日々を繋ぎながら、同じ毎日を繰り返すことに倦んだ矢先、大事なものを差し出さなくても生きる術があると知って、これまでの自分を全て投げ出したくなった。命を繋ぐために止むを得なかったとは言え、ルナはたくさん、傷つけられてきた。本当は嫌だった。無骨な指に肌を晒すたび、悲鳴を上げながら喉を切り裂いて、今すぐにでも死んでしまいたくなった。誤魔化しても、すり替えても、ルナには無理だった。いつか、誰かが、生きていてもいいよと言ってくれたら、何をしなくてもいいよと言ってくれたら、ただそれだけで救われるのに。

 闇に沈んだダイニングに、明かりがついた。眩しさに思わず俯けた顔を上げると、

「……居たのかよ」

 滅多なことには動揺しないフユトが、それでも微かに動揺を滲ませて、文句を言う。

「眠れなくて」

 ルナは素直に頭を下げて、ぽつりと答えた。

 ルナがリビングのソファで寝ていることは知っているはずなのに、珍しく深夜に帰宅したフユトはもしかすると、彼が出て行くことを予想していたのだろうか。監視の目を逃れて出て行くことを、望んでいるのだろうか。

 不機嫌そうに舌打ちを残して、フユトが浴室へ消える。ルナは明るいダイニングでうち沈んだまま、俯いて目を閉じる。

 これから、どうしたらいいのだろう。ルナの行き場はどこにもない。途方に暮れてしまう。

「殺せないんだ」

 と、シュントが言った言葉を思い出す。

「あいつは、お前みたいな子どもだけは、殺せない」

 だから、適当に言いくるめて連れてくればいいと、シュントはフユトに言ったのだ。シュントにしてみれば、ルナを宛てがうつもりで。

 ヤナギの言葉を借りれば、ルナはずっと、搾取されながら生きてきた。けだし、必要とされていたのではない。代わりなら、廃墟群にたくさんいる。ルナの容姿は唯一無二でも、客に必要なのはルナという個人ではなく、欲を満たせる誰かであれば、ルナでなくても良かったのだ。

 疲れてしまった。とても、疲れてしまった。

 ヤナギとの思い出だけでは生きていけない。安らかだった日々に埋もれてしまいたい。何も考えずに、明日の心配をせずに笑っていられる、何も奪われない日々の中で、好きな人の横顔だけを見つめていたい。

 永遠に叶わない願いはルナを消耗させるだけだから、ふと、

「──フユトさん、」

 浴室から戻ってきたフユトに、ルナから声を掛ける。剣呑な視線が怪訝に向けられるのを正面から受けて、

「一度でいいから、僕を、抱いてくれませんか」

 どんな風に、とは言わなかった。自分がどんな顔をしているのか、欲情を演じなくても、鏡を見なくても、はっきりとわかった。

 フユトはしばし、言葉もなくルナを見て、

「……何言われても聞かねェからな」

 好色に嗤う。
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