一章-7
文字数 1,405文字
「──それで、」
兄は弟の所業を詫びることなく、冷徹な表情のまま、ルナを見る。
「お前が出した損失は、どう落とし前をつけるつもりだ」
盗み見ていた視線を伏せて、ルナはマグカップに添えた手に、きゅっと力を込める。
ルナが顧客を殺し始めてすぐ、ハウンドやハイエナを牛耳る組織から、目をつけられたらしい。成金や有力者は恨みを買うことも多いから、いずれ標的を横から掠め取るように殺してしまうのではないかと。だから双子の片割れが近づいて、ルナの動きを牽制していた。
ルナはもちろん知らなかったが、人殺しの依頼を受けたら、ただ標的を殺せばいい、ということではないらしい。報奨金の半分に当たる前金で、標的についての情報や殺害に使う凶器の準備、ハイエナへの繋ぎと解体の依頼料を賄うから、万が一、遂行できなかった場合、ハウンドの実入りはほぼなくなってしまう。
それが事実であるなら、確かに、弁済すべき話だろう。金銭を要求されたわけではないから、落とし前というものをつけなければ、彼らも納得はしない。
深く俯くルナは、僅かばかり逡巡して、
「言われたことは、何でもします」
掠れが残る声で答えた。
「ただの使い走りで何年かけて返すつもりだ」
これには、何も言えない。
「適当に客を取って上納する、これが妥当だと俺でも思うがな」
熱を出して寝込むルナに、かの暴君が伝えた通りの言葉を、目の前の男は同じ顔で繰り返す。それだけは許して欲しいとルナが悲壮に訴えて泣きつくから、答えを出せと言われて、こうして向き合うことになったのだが、話は堂々巡りで解決を見ない。
「ストリートで生きて来たんだ、体を売るのに抵抗なんかないだろう」
左手の指でテーブルをトントン叩きながら、渋面で苛立ちを示す男は、それでもルナに選択を押し付けることはない。首を振るルナを諭そうと、言葉を重ねる。
「客をどうにかしてやりたい気持ちは、俺にも経験があるからわかる」
ルナが気づいたように顔を上げると、切れ長の三白眼は思いのほか、優しい色を湛えて、
「お前が手っ取り早く落とし前を付けられる方法を、どうしても選べない理由があるんだろう」
ルナに尋ねた。
「……僕はもう、無理なんです」
この人はきっと、言わなくても理由に勘づいている。根拠のない確信から、ルナは端的に答えて、堪えるように、一度、唇を引き結ぶ。
「誰にも触られたくない、触らせたくない、そんなことをしなくても生きていきたい、だから無理なんです」
言葉を紡げば紡ぐほど、視界が滲んでぼやけた。誰かに奉仕しなくても生きていていいと知ってしまったら、許されてしまったら、そんな人生を生きてみたいと望むのは、傲慢だろうか。
鼻の奥がつんとして、項垂れたルナは、瞬きと共に零れ落ちた雫が二つ、服を濡らすのを見た。
ふ、と、向かいの男が鼻で笑う。先程の優しげな眼差しなど嘘のような、侮蔑を込めた声で、
「それを選ばなかったのはお前自身だろうが」
現実を突きつける。
「……選びたくても、選べなかった……」
ルナは頷いて、呟くように答えた。
胸を掻きむしってしまいたかった。息が詰まって苦しい。後からあとから溢れ出す感情に、気持ちに、後悔に、押しつぶされそうになりながら、けれど溺れないように、懸命に言葉を振り絞る。
「傍にいて欲しかった人が居なくなって、頼れるところなんかなくて、待つためには生きなきゃいけなくて、なのに僕はもう……!」
兄は弟の所業を詫びることなく、冷徹な表情のまま、ルナを見る。
「お前が出した損失は、どう落とし前をつけるつもりだ」
盗み見ていた視線を伏せて、ルナはマグカップに添えた手に、きゅっと力を込める。
ルナが顧客を殺し始めてすぐ、ハウンドやハイエナを牛耳る組織から、目をつけられたらしい。成金や有力者は恨みを買うことも多いから、いずれ標的を横から掠め取るように殺してしまうのではないかと。だから双子の片割れが近づいて、ルナの動きを牽制していた。
ルナはもちろん知らなかったが、人殺しの依頼を受けたら、ただ標的を殺せばいい、ということではないらしい。報奨金の半分に当たる前金で、標的についての情報や殺害に使う凶器の準備、ハイエナへの繋ぎと解体の依頼料を賄うから、万が一、遂行できなかった場合、ハウンドの実入りはほぼなくなってしまう。
それが事実であるなら、確かに、弁済すべき話だろう。金銭を要求されたわけではないから、落とし前というものをつけなければ、彼らも納得はしない。
深く俯くルナは、僅かばかり逡巡して、
「言われたことは、何でもします」
掠れが残る声で答えた。
「ただの使い走りで何年かけて返すつもりだ」
これには、何も言えない。
「適当に客を取って上納する、これが妥当だと俺でも思うがな」
熱を出して寝込むルナに、かの暴君が伝えた通りの言葉を、目の前の男は同じ顔で繰り返す。それだけは許して欲しいとルナが悲壮に訴えて泣きつくから、答えを出せと言われて、こうして向き合うことになったのだが、話は堂々巡りで解決を見ない。
「ストリートで生きて来たんだ、体を売るのに抵抗なんかないだろう」
左手の指でテーブルをトントン叩きながら、渋面で苛立ちを示す男は、それでもルナに選択を押し付けることはない。首を振るルナを諭そうと、言葉を重ねる。
「客をどうにかしてやりたい気持ちは、俺にも経験があるからわかる」
ルナが気づいたように顔を上げると、切れ長の三白眼は思いのほか、優しい色を湛えて、
「お前が手っ取り早く落とし前を付けられる方法を、どうしても選べない理由があるんだろう」
ルナに尋ねた。
「……僕はもう、無理なんです」
この人はきっと、言わなくても理由に勘づいている。根拠のない確信から、ルナは端的に答えて、堪えるように、一度、唇を引き結ぶ。
「誰にも触られたくない、触らせたくない、そんなことをしなくても生きていきたい、だから無理なんです」
言葉を紡げば紡ぐほど、視界が滲んでぼやけた。誰かに奉仕しなくても生きていていいと知ってしまったら、許されてしまったら、そんな人生を生きてみたいと望むのは、傲慢だろうか。
鼻の奥がつんとして、項垂れたルナは、瞬きと共に零れ落ちた雫が二つ、服を濡らすのを見た。
ふ、と、向かいの男が鼻で笑う。先程の優しげな眼差しなど嘘のような、侮蔑を込めた声で、
「それを選ばなかったのはお前自身だろうが」
現実を突きつける。
「……選びたくても、選べなかった……」
ルナは頷いて、呟くように答えた。
胸を掻きむしってしまいたかった。息が詰まって苦しい。後からあとから溢れ出す感情に、気持ちに、後悔に、押しつぶされそうになりながら、けれど溺れないように、懸命に言葉を振り絞る。
「傍にいて欲しかった人が居なくなって、頼れるところなんかなくて、待つためには生きなきゃいけなくて、なのに僕はもう……!」
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