二章-4
文字数 1,486文字
分厚い眼鏡を掛けた、ひょろっとしていて冴えない見た目の男の面影を思い出して、ルナは切なくなった。
ヤナギが生きていても、死んでいても、ルナの前から姿を消したことは事実だ。彼の職業柄、不慮の事故で帰って来られなくなった可能性より、私怨で消された確率が高い。もし、ルナが傍にいることが煩わしくなってしまっただけなら、それでもいい。どちらにせよ、ルナに先などない。望まない。
「死ぬ覚悟でも決めるのか」
揶揄するようなシュントの物言いに、
「……そうかも知れません」
ルナは寂しげに笑った。
「僕も疲れたんです」
いつかのシュントの言葉を思い出しながら、ルナは深く嘆息して、
「何もしたくないくらい、疲れました」
本音だった。
物心がついた頃からストリートで体を売って生きてきた。生きるためには対価を得なければいけないから、嫌悪や抵抗など抱いている余裕はなかった。ルナにとっては呼吸と同じ感覚で受け入れていたはずの行為だったのに、実は、そんなことをしなくても生きる道があると伝えるだけ伝えて、ヤナギは消えた。絶望を突き付けて、幸せを教えて。どうする術もないルナを、置き去りにして。
「シュントさんは、どうしてハウンドに?」
沈むだけの気持ちを振り払うように、ルナは話題を変える。
「どうして?」
シュントが意外そうに聞き返すから、
「そんなに優しいのに……」
答えると、シュントは呆れたように笑った。綺麗だ、と思った。
「なりたくてなった訳じゃない」
頬杖をつき、ルナを慈しむように目を細め、
「死にたくなかったから──お前と同じだ」
諦観を滲ませて答えた。
死ねないのなら生きるしかない、この世界は残酷だ。理不尽で、不平等で、綺麗事など通用しない。与えられたものだけで生きて行ければ、誰もが苦悩しないだろう。与えられたものだけでは足りない、与えられてすらいない、そういった人々は生き長らえるためだけに今日を生きて、明日など描けない。長かった今日を終わらせるために眠り、目覚めればまた、長い今日を始める、その繰り返し。そこに罪はなく、救いもない。
ルナはふと、二の腕の半ばで切断された、シュントの右腕を見る。何があったのかは聞かないけれど、この傷を負ったとき、彼は死を願っただろうか。それでも生きていたいと思っただろうか。
「……逃げる気はないんだろう」
不意に聞かれて、ルナは目を瞬かせる。切断された腕から目を離すと、シュントが真顔で見ていることに気づく。咎める意図はないだろうが、少し気まずくて俯き、少年はこくんと頷いた。
「お二人には申し訳ないことをしたけど、雨が凌げて凍えないのは、助かるから」
嘘偽りなく答えれば、
「素直でいいな、お前は」
シュントが柔らかく微笑むから、この綺麗な笑顔のためなら、ルナは、盾になれると思うのだ。
それから幾日か経ったある日、珍しく双子が揃って不在の夕方。夜まで戻らない二人を手持ち無沙汰に待ちながら、浴室の掃除を終えたルナがリビングに戻ろうとした時だった。ドアポストに何かが投函される音がして、思わず足を止める。
戦後、メディアと共に衰退した機関として、運輸と郵便がある。双子は仕事柄、足がつくような買い物はしないし、郵便が投函されることもないから、気になった。勝手に見てもいいものか、と逡巡したのは一瞬で、双子宛のものなら宛名を確認して伏せておけばいいと、ドアポストを開けた。
入っていたのは一枚の写真だ。旧世界製のポラロイドで撮られた、不鮮明な一枚。宛名書きがされていないかと裏面を見たものの、何の記述もなく、不思議に思って表に返したルナは、息を飲む。
ヤナギが生きていても、死んでいても、ルナの前から姿を消したことは事実だ。彼の職業柄、不慮の事故で帰って来られなくなった可能性より、私怨で消された確率が高い。もし、ルナが傍にいることが煩わしくなってしまっただけなら、それでもいい。どちらにせよ、ルナに先などない。望まない。
「死ぬ覚悟でも決めるのか」
揶揄するようなシュントの物言いに、
「……そうかも知れません」
ルナは寂しげに笑った。
「僕も疲れたんです」
いつかのシュントの言葉を思い出しながら、ルナは深く嘆息して、
「何もしたくないくらい、疲れました」
本音だった。
物心がついた頃からストリートで体を売って生きてきた。生きるためには対価を得なければいけないから、嫌悪や抵抗など抱いている余裕はなかった。ルナにとっては呼吸と同じ感覚で受け入れていたはずの行為だったのに、実は、そんなことをしなくても生きる道があると伝えるだけ伝えて、ヤナギは消えた。絶望を突き付けて、幸せを教えて。どうする術もないルナを、置き去りにして。
「シュントさんは、どうしてハウンドに?」
沈むだけの気持ちを振り払うように、ルナは話題を変える。
「どうして?」
シュントが意外そうに聞き返すから、
「そんなに優しいのに……」
答えると、シュントは呆れたように笑った。綺麗だ、と思った。
「なりたくてなった訳じゃない」
頬杖をつき、ルナを慈しむように目を細め、
「死にたくなかったから──お前と同じだ」
諦観を滲ませて答えた。
死ねないのなら生きるしかない、この世界は残酷だ。理不尽で、不平等で、綺麗事など通用しない。与えられたものだけで生きて行ければ、誰もが苦悩しないだろう。与えられたものだけでは足りない、与えられてすらいない、そういった人々は生き長らえるためだけに今日を生きて、明日など描けない。長かった今日を終わらせるために眠り、目覚めればまた、長い今日を始める、その繰り返し。そこに罪はなく、救いもない。
ルナはふと、二の腕の半ばで切断された、シュントの右腕を見る。何があったのかは聞かないけれど、この傷を負ったとき、彼は死を願っただろうか。それでも生きていたいと思っただろうか。
「……逃げる気はないんだろう」
不意に聞かれて、ルナは目を瞬かせる。切断された腕から目を離すと、シュントが真顔で見ていることに気づく。咎める意図はないだろうが、少し気まずくて俯き、少年はこくんと頷いた。
「お二人には申し訳ないことをしたけど、雨が凌げて凍えないのは、助かるから」
嘘偽りなく答えれば、
「素直でいいな、お前は」
シュントが柔らかく微笑むから、この綺麗な笑顔のためなら、ルナは、盾になれると思うのだ。
それから幾日か経ったある日、珍しく双子が揃って不在の夕方。夜まで戻らない二人を手持ち無沙汰に待ちながら、浴室の掃除を終えたルナがリビングに戻ろうとした時だった。ドアポストに何かが投函される音がして、思わず足を止める。
戦後、メディアと共に衰退した機関として、運輸と郵便がある。双子は仕事柄、足がつくような買い物はしないし、郵便が投函されることもないから、気になった。勝手に見てもいいものか、と逡巡したのは一瞬で、双子宛のものなら宛名を確認して伏せておけばいいと、ドアポストを開けた。
入っていたのは一枚の写真だ。旧世界製のポラロイドで撮られた、不鮮明な一枚。宛名書きがされていないかと裏面を見たものの、何の記述もなく、不思議に思って表に返したルナは、息を飲む。
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