一章-6

文字数 1,361文字

 男の声は恐ろしく冷めていた。

 晒された無防備な粘膜に触れた熱源が、ゴムかラテックス製の皮膜に包まれていることを感触で知り、とうとう、ルナは嘔吐する。込み上げる胃酸に食道を焼かれ、(えず)きが止まらない。ひどい悪寒で痙攣するように震えながら、現実を受け入れないよう、きつく、固く目を閉じる。

 勝手に濡れることのない排泄器官に、灼熱の圧迫感が押し入ってくる。辛うじて纏う滑りは死体から流れた血なのか、皮膜の表面についた潤滑剤なのか、或いはルナ自身の裂傷のせいなのか、わからない。入り口を、胎内を、無遠慮に傷つけていくだけで、悦びを見出すことの出来ない瞬間が、根元まで埋まりきると、一度、終わりを告げて、

「殺して下さい」

 慟哭に枯れた喉で、ルナは願った。

「ころして、」

「お前みたいなのバラして売ったところで足りるかよ」

 譫言のように繰り返す言葉を、男の声が切り捨てる。

「達磨にして売るにしたって痩せすぎて、買い手がつくわけねーだろ」

 そんな裏世界の事情など、ルナは知らない。この絶望と苦痛が終わるなら、生きたまま四肢を切断されても、指先からヤスリに掛けられても、八つ裂きにされても構わなかった。こうして犯されるくらいなら、常軌を逸した拷問で気絶すらできずに嬲られるほうが、何倍も良かった。

掃除屋(ハイエナ)が来るまで愉しませろよ、腐っても男娼だろ」

 ルナの頬を吐瀉物に押し付けるように頭を押さえ、男が残酷に言い放つ。ツンとした臭いと、下腹部の痛みで顔を歪め、ルナは感覚を自分の体から切り離すことに専念した。

 この体を暴かれて、誰かの好きなようにされても、ルナという精神性や人間性は汚れない。それだけを、半ば祈るように信じ続ける。そうでもしなければ、ルナはとっくに、ルナであることをやめていた。ストリートで体を売ることでしか生きていけない、年端もいかない少年少女たちのほとんどが、自分の命を守り、見失わずにいられる、唯一の方法。

 本当は、ずっと、誰かに手を差し伸べて欲しかった。ここで生きるのは大変でしょうと、手を引いて、連れ出して欲しかった。自分に嘘をつかずに生きていてもいい、誰かに差し出さなければ紡げない命なんてないと、無条件に抱きしめて、教えて欲しかった。

 ──ヤナギ。

 固く瞑った瞼の裏に、懐かしい面影を浮かべる。ある日、突然、ルナの前から姿を消してしまった、冴えない男。

 恋人じゃなくていい、家族じゃなくていい、友達じゃなくていい。ただ、傍にいていいよと、ここで生きていていいよと言ってくれたら、何も望まない。そんな幸せは、世界中の何処を探しても見つからない。だから帰ってきて、何も欲しがらないから傍にいて、穢れてしまったルナの手を見て、ただ、困ったなぁと言って欲しい。

 ルナを犯した暴君と瓜二つの顔で、ダイニングテーブルの向かいに座って、隻腕の男は重く嘆息する。

 ルナが見知らぬ部屋のベッドで目覚め、そこが天国でも地獄でもないことを知り、粘膜の炎症から熱を出して三日が過ぎていた。ようやく微熱に下がり、起きられるようになった少年を監視する彼は、あの暴君の兄だと言った。

 片腕ながら、器用に用意してもらったホットミルクに口を付けて、ルナは向かいの男を盗み見る。どちらも同じ顔立ちなのに、纏う雰囲気は兄と弟で全く違うので、変な感じだ。
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