三章-3

文字数 1,584文字

 出処のない不安に、唐突に押しつぶされそうになるフユトの宥め方を熟知しているから、交渉はシュントのほうがいつも上手(うわて)だ。言い換えれば、弱みを握っているから、交渉事は常に優位に立てる。

 あの夜、情報屋の依頼のことを話した夜、二度と、情報屋とシュントの二人きりで会わないと言われたら、フユトが最も望む結論を出されたら、面倒でも受けざるを得なくなった。そもそも、二件ぶんとあって、報酬は悪くない。踊らされているような、不気味な感覚は消えないものの、フユトはシュントの提案を、不承不承ながら受け入れた。受け入れざるを得なかった。

 依頼を受けたら、仕事は常に、対象者をマークすることから始まる。組織から割り振られる仕事の場合、対象者の素性や行動は既にある程度、割れているものの、詳細な行動パターンや行動範囲から適切な殺害場所を割り出すには、どうしても必須な作業と言っていい。

 情報屋が言っていた男は、長身ながら痩せぎすのためにひょろっとしていて、孤児の少年少女に接触するときは分厚い眼鏡をかけ、冴えない見た目の垢抜けない男を演じている。片や、ジゴロとして女と接触するときは眼鏡を外し、偽りの肩書きに見合った小綺麗な姿ながら、少しばかり頼りない男を演じるから、なるほど、小悪党には違いない。

「今、これが接触してる男娼がいる」

 進捗の定期報告で情報屋に連絡すると、端末の向こうで【蛇】が言った。

相談役で面倒を見てる連中の一人だから、売り飛ばされる前に何とかして欲しいと泣きつかれてな」

 情報屋の顔を併せ持つために、相変わらず、顔が広い男だとフユトは思う。

 情報屋の言う相談役にはフユトも覚えがあった。知っているのは彼の現役時代だが、確かに面倒見がよく、シュントとフユトのことも気にかけてもらっていたと記憶している。

 爽やかな短髪ながら、垂れ目がちの甘い顔をしていて、独特な色香を放つ、廃墟群きっての売れっ子。自らを犠牲にするように客を取り、その金で孤児たちを養う側面がある、慈愛の人だ。

「まだ十六かそこらのガキだが、ここ最近は客も取らずに、これのところに入り浸っているらしい」

 情報屋の声に、フユトは我に返った。懐かしい感慨に浸っている場合ではない。

「どれくらい掛かりそうだ」

 問われて、一ヶ月以内に、と返し、通話を切った。

 段取りはほとんど、終盤に差し掛かっていた。ただ、対象者である男は自分の立場をよく弁えているから、警戒心が強くて隙がない。裏稼業の人間らしくない見た目で周囲を欺いて味方につけ、動かせる金は惜しまず、路地裏には入らないから急襲もできない。もちろん、背後からナイフで急所を狙う、なんて確実性の少ない方法は取らないが、誘き出すにはもう少し、時間が必要だった。

 富裕層の親元に生まれた子どもたちが多く通う学校、その校舎を眩しそうに見上げたフユトは、着慣れないブラックスーツに辟易し、思わずネクタイを緩めそうになりながら、下校中の学生の間に、件の少女を見つけて歩み寄る。ある企業の会長の孫で、大企業の雇用推進部の外部顧問を自称する男に目をつけられた、可哀想な娘だ。

「どなた?」

 彼女に問われて、

「お爺様に貴方の警護を頼まれまして」

 出任せを答える。

 全体的にふっくらした見た目で、おっとりした雰囲気の、美人ではないが愛嬌ある少女だった。箱入りらしく、他者を疑うことを知らない、幸せな生まれの娘。

 必要であれば強引な色仕掛けも辞さないと決めていたフユトは、情報屋が手配した運転手付きハイヤーの送迎車の中で、さほど日を置かず、彼女と親しくなった。礼節を重んじた言葉遣いや堅苦しい服装は性に合わず、すぐにボロを出したものの、彼女は怯えたり敬遠したりするどころか、憧れの王子様でも見るような顔をして、

「──わかりましたわ」

 フユトの申し出を二つ返事で受けてくれた。
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