プロローグ-4

文字数 1,197文字

 そんな確信を抱いて、一年ばかりが過ぎようとしていた、秋の終わり。

 合鍵を部屋に忘れて出かけたルナは、ヤナギの帰りを待って玄関口に座り込んでいた。取材だ何だと飛び回っているヤナギの帰りは不規則だから、いつ戻ってくるのかわからない。冷え込む夕方の気配に身震いし、両膝を深く抱え、ルナはそこに顔を埋める。待てども待てども、聞き慣れた足音がしない。そのうち夜が来て、ヒールを履いた足音がして、

「風邪ひくよ」

 髪を明るく染めた隣人の女が、ルナにそっと声をかけた。むくりと顔を上げたルナは、

「でも、鍵、中に忘れちゃって……」

 血の気の失せた唇で答える。いくら体を丸めていても、上着を着ていても、初冬を前にした夜の寒さは身に染みる。カチカチと奥歯が鳴るほど震えていないのが、まだ救いだ。

「そんな日に限って、まだ帰らないんだね」

 女が心から同情するように言った。こくん、と頷いたルナは、本当にその通りだと改めて思った。

「男なんて、みんな、そんなもんよ」

 女は酒に焼けた声で笑って、

「うちの人も遅いみたいだし、あったかいもの出すから、寄ってきな」

 不安に満ちたルナに、手を差し伸べた。

 ヤナギは帰らなかった。冬が来て、春になっても、帰って来なかった。ルナは端末を持たないし、ヤナギの連絡先も知らないから、気が遠くなるような、どうしようもない日々を過ごした。この時代、ジャーナリストとやらは、とかく恨まれると聞いたことがある。だから、ヤナギの身に何かあったのかも知れないし、単にルナといることに息が詰まっただけかも知れない。出来れば後者であって欲しいと祈りながら、それはそれで、とても寂しくて、胸が痛い。

 ルナはまた、廃墟群に戻って生きる他なくなった。街頭に立ち、客を引き、客の望むことをして日銭を稼ぎ、命を紡ぐ。馴れていた日常なのに、客の一挙一動など気にしなかったのに、今はもう、ここに以前のルナはいない。客の指が芋虫のようで、客の舌が蛞蝓のようで、買われるたび、声を掛けられるたび、ルナは摩耗していく。呼吸をするのが難しくなる。

 だから、これも、生きるためだと。

 ある日、ルナはスラムにいた。殺し屋や解体屋が御用達にしている武器屋が、そこでひっそりと営まれていることを、ルナは最近、知ったばかりだ。

 地上二階建ての建物は崩壊する寸前だが、地下一階に構えられた店はアンダーグラウンドな空気を醸しながら、頑丈なままで存在していた。壁に飾られた銃火器や刃物類を一通り見て、これまでの稼ぎで買えたのが、山刀の一種、小振りなマチェテだった。

 これでようやく息が出来る、と、ルナは鈍い煌めきを見つめて、思う。これでようやく、他人も自分も、好きな時に殺すことが出来る。だからきっと、生きていける。安否不明の想い人だけを待ちながら、ただ待つことに飽きるまで。

 そのとき、ルナの世界の瓦解が始まったことを、少年はまだ知らない。
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