四章-2

文字数 1,382文字

「特に大したことはなかったんだが、微熱が続いたあと、その男に聞いてみたんだ」

 シュントが向かいの椅子に腰掛けながら、話を紡ぐ。

 ルナは両手で、温もるマグを包み込む。

 シュントの言う男は、前置きに出てきた、筋書きを書いた人だろう。そう了解して、どこか遠くを見るようなシュントを見つめる。

 相談するようなニュアンスではなく、世間話をするような、軽い感じで聞いたつもりだった。シュントの経歴が元男娼だったから、とりあえず、過去に良くない病気でも貰ったのではないかと、知り合いの医者を勧められて受診した。そちらは問題なかったものの、男娼の経験やハウンドの経験がシュントを苦しめているのには間違いがなく、適切な療養が必要だと言われた。

「──いや、」

 そこまで澱みなく話し終えて、不意にシュントが首を振る。今までの全てを否定するかのような声に、ルナは小首を傾げる。

「正直に話す。もう自分にも嘘はつけない」

 シュントがかなり追い詰められているのだと、そのとき、ルナは気づいた。古傷を抉るような話を止めるべきか迷っていると、シュントはそんなルナにも首を振って、

「本当は、」

 言葉を紡ぐ。

 本当は、フユトに酷く苛まれたあと、助けを求めるようにして男と会った。顔に出来た痣や切れた口角を優しくなぞって、男は唆した。フユトから離れるべきだ、と。それまで、どうにか堪えていたはずのシュントの気持ちが、責任感が、ブツンと音を立てて瓦解した。自分が負わなければいけない荷物は途方もなく重すぎて、負いきれなくて、潰れてしまいそうで、そんな弱い自分が嫌いだと呪い続けるシュントに、男は取り引きを持ちかけた。

 俺はフユトが欲しい──あの日、そう言った男の目を思い出すたび、胸が痛い。ルナには言わなかったものの、シュントはその男の強さに焦がれ、切望していた。だからこそ、男にとって、自分も目的のために利用した駒でしかなかったと思い知らされた瞬間、すぐにでも飛び降りてバラバラになりたいと願った。

 シュントは取り引きを飲んだ。自らの想いが永劫に叶わない絶望と共に。飲み込むのは壮絶に苦しかった。何度か息を止めたいと思った。それでも、フユトと視線が絡むたび、指先が触れるたび、絶対零度に冷えていく心臓を思えば、いずれ消えていくはずの痛みなど、取るに足らなかった。

「……シュントさん?」

 ルナが不安そうに呼ぶので、シュントはふと、カップの中に揺らぐ漆黒を見つめていたことに気づき、

「──何でもない」

 首を振って話を続ける。

 取り引きを飲んだシュントに提示されたのが、ルナを巻き込むことになった筋書きだった。

 今、ちょうどいい不穏分子がいる。シュントがそう聞かされたのは、もう一年半ばかり前──片腕を切断して一年になるかという頃だった。

 情報屋の顔も持つだけあって、その男の元には、あらゆるルートから、様々な情報が、取るに足らない噂レベルまで、ごまんと集まる。どのように真偽を見定めるのか知らないが、彼はその中から確実な情報のみを洗い出し、対価に替えたり、依頼者の弱みを握ったりと、常に有利な選択をする。

 不穏分子とは、フリーの人身売買ブローカーだった。素性は女のヒモとして生計を立てるジゴロ、そのものだったが、稼業か素性か、どちらかの事情で前に住んでいたところには居られなくなり、この街に流れ着いたらしい。
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