第60話 白い犬の恩返し

文字数 1,265文字

  明星が、澪を長屋まで送ってくれた。

「店の主が、応援していると言っていました。

当日は、店から差し入れするそうです。

わたいも応援に駆けつけますね」

 澪が言った。

「ありがたいけど、このままだと、中止になるかもしれない。

駿助はたしかに、短気なところはあるけど、

注意されたことを聞かないほど性根は腐っていないよ。

きっと、罠にはめられたんだよ。

瓦版で、武勇伝と騒がれただろう? 

あれを読んだら、逆うらみされてもしょうがないよ」

 明星が忌々し気に言った。

「ごめんなさい。あの瓦版を書いたのは、

わたいの知り合いの男なんです」

 澪が深々と頭を下げた。

「瓦版ならば、何か知っていないかね? 

素人と違って、いろんなネタをつかんでいるはずだ。

おやじさんはああ言ったが、

わたいは、同心の旦那だけに任せるつもりはないよ」

 明星が前のめりの姿勢で訴えた。

「忠治さんにも、真犯人捜しを協力させますよ。

ところで、白犬は元気ですか? 

実は、わたいを現場まで連れて来たのはその白犬なんです」

 澪が言った。

「それはまことかい? 

実は、あれから、犬公は行方不明になっちまったんだ。

澪ちゃんを案内したということは、

店の周辺にうろついているのかなあ」

 明星が言った。澪は、白犬が行方不明になったと聞いて嫌な予感がした。

ぼや現場で、白犬を見たという人は、澪以外いなかったからだ。

 白犬は、炎に包まれた建物の中に生存者がいることを知らせてくれた。

そんな大恩犬のことを誰も見ていないなどありえない!


 それから数日後、忠治が、澪が働く一膳飯屋「小蔵」へ顔を出した。

「ご注文は? 」

 澪は、忠治を席に案内すると注文を訊ねた。

「女中がだいぶ、板についてきたみたいだな。

そうだな、あまり、腹が空いてねぇ故、とりあえず、茶だけで良いよ」

 忠治が苦笑いすると言った。

「弱りましたねえ。飯屋に来て、茶1杯だけとは‥‥ 。

ひょっとして、金欠なんですか? 」

 澪が小声で訊ねた。

「実はそうなんだ」

 忠治が肩をすくめた。

「菜飯10人前。あと、田楽50本! お願い! 」

 突然、忠治の向かいに、誰かが、腰を下ろすなり大量注文した。

「明星さん、なぜ、ここに? 」

 澪は、大量注文した人物の正体に気づくと絶句した。

「いってえ。誰が食うんだい? 」

 忠治がぎょっとした。

「へい、お待ち」

 澪が店の奥に注文を通すと、店主の徳兵衛が自ら、注文の品を運んで来た。

「ありがとう」

 明星が上目遣いで言った。

「たんと食いな。食って元気だせや」

 徳兵衛は鼻歌を歌いながら、店の奥へ消えた。

「あんたがここに入るのを見たから、

話を聞かせてもらおうと思ってさ。

相席させてもらうよ」

 明星が、忠治に言った。

「かまわねぇが、何が聞きたいんだい? 」

 忠治がお茶を一口飲むと言った。

「わたいもまぜてくださいな」

 澪が、忠治の隣に座った。

「仕事中だろうが? 」

 忠治が、澪をとがめた。

「澪。明星の助太刀してやんな」

 店の奥から、徳兵衛の声が聞こえた。

「店主の許しを得たところで、

忠治さん、つかんだネタを聞かせておくれな」

 澪が告げた。
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