第34話 けものになった男

文字数 1,565文字

「ぎゃああああ! 」

 澪は、男のさけび声で目を覚ました。

何事かと表に飛び出すと、近所の人たちが、ある部屋の前にたむろしていた。

澪は、黒山のひとだかりを押し分けると前列に出た。

「あんた。そんな大きな声を出して、

いったい、何があったというんだい? 」

 この部屋で暮らす主婦のおくにが、

ぐうたら亭主の善吉の背中を思い切りたたくと言った。

「またかい? こたびで何度目だ? 

女房困らすのもいい加減にせえ」

 この部屋の隣に住む元大工の兵蔵が呆れ顔で言った。

「どんな言い訳も聞く耳持ちませんよ。

あんたの稼ぎなしでは、あたしらは生活出来ないのですからねえ。

じきに、赤子が産まれるというのに、いつまで、甘えてんだい? 」

 おくにがため息交じりに言った。

「後生だから、これを治せる奴を連れて来てくんねえ。

これでは、表に出れやしないんだ」

 善吉が、頭にかぶっていた桶を外すとゆっくりとふり返った。

「きゃああ! 」

 その場にいた女衆の間から悲鳴が上がった。

澪も危うく、その場に尻もちつきそうになった。

「そ、その面はどうしたえ? 頭についておるのは何だ?

 まるで、獣の耳みてぇじゃねえか」

 兵蔵が口をパクパクさせながらさけんだ。

「みなさん、どうぞ、お静かに願いますよ」

 どこかで聞いたような声が耳に飛び込んで来た。

亀次郎が、野次馬を押しのけると前に出た。

「あんた、たしか、小石川の‥ 」

 おくにが、亀次郎を驚いた顔で見た。

「おくにさん。足の具合はどうかね? 」

 亀次郎が、おくにに訊ねた。

「おかげさまで。痛むこともほとんどなくなりましたってさ? 

あんた、医師みたいな口聞くが、ただの看病人だろ? 

しかも、男の病室の方でしょうが。

なぜ、わたいのことを知っているんだい? 」

 おくにが気味悪がった。

「この際、細かいことは良いとしましょ。

ご亭主の症状を診させてもらうぜ」

 亀次郎が強引に、部屋に上がり込むと善吉の隣に座った。

「看病人が、病を診れるのかい? 」

 兵蔵が言った。

「じいさん。この人、陰陽師の三途川夢幻の仲間ですよ」

 澪が、兵蔵に言った。

「どうだい? 」

 兵蔵が、善吉の顔をしげしげと観察する亀次郎に訊ねた。

「これはしたり。奇病ですな。医術では治せませんぞ」

 亀次郎が神妙な面持ちで答えた。

「2度と、夜遊びいたしません。

博打も酒もやめると誓います。

なんとかしてくだせえ」

 善吉が畳の上に顔を突っ伏すと乞うた。

「さっきは、失礼を言いすいません。

この人をどうか、助けておくんなさいまし」

 おくにが、亀次郎に頭を下げた。

「おばさん。わたいが、

陰陽師を連れて来ますから安心しておくれ」

 澪はそう言うと、通りへ飛び出した。

しばらくして、澪が、夢幻を引っ張って来た。

「なるほど」

 夢幻が、善吉の顔を見ると言った。

「狐憑きか何かかい? 」

 亀次郎が、夢幻に訊ねた。

「それとも違う。昨夜は、どこぞへ行きましたか? 」

 夢幻が狐憑きを否定すると、善吉に訊ねた。

「はぁ。呑んだ帰りに、ダチと一緒に、

ももんじ屋へ顔を出しました。これは夢だと言ってくんねえ」

 善吉が取り乱した。

「それだ! 」

 夢幻が目を見開いた。

「ももんじ屋というのは、どんな所なのですか? 」

 澪が、善吉に訊ねた。

「ももんじ屋というのは、獣肉を食わせてくれる店のことさ」

 善吉が小声で答えた。

「あんた。獣肉を口にするなんぞ、

とうとう、おかしくなっちまったのかい? 

きっと、バチが当たったんだよ。そうに違いないわ」

 おくにが怒り狂った。

「祈祷かお札か、とにかく、何でも良いから治してくんねえ」

 善吉が乞うた。

「残念ながら、祈祷やお礼では治せねえ。

稀に見ぬ奇病故に、ちっとばかし、調べる必要がある」

 夢幻が神妙な面持ちで言った。

「お大事に。2人共、ちっと、話がある」

 亀次郎がそう言うと澪と夢幻に目配せした。


 
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