第1話 陰陽師三途川夢幻

文字数 2,997文字

 百本杭辺のあばら家に、三途川夢幻なる男あり。

この男、あやしげな術を用いて人をかどわかすとしておそれられていた。

 それと言うのも、とある夜更けに、

あばら家の近くを通りかかった数人が口をそろえて、

あばら家の中から、あやしげな音が聞こえてきたとか、

大川の方から、あばら家の方へ向かって、

無数の人魂が飛んで来たとかいう物騒なことを言い出したせいだ。

 不可思議なことはまだある。毎日、仕事に出かけるようでもいないし、

表に看板も出していないのに、飢えているわけでもないということだ。

時々、誰かが出入りしているような物音が聞こえるが、

近所の人たちは、顔を合わせたことがないから、

あばら家の主の交友関係まではよく知らない。

無病息災なのは確かだ。

数年前、市中で、疫病が蔓延した時でさえも、

疫病にかかった様子はまるでなかった。

近所の人たちは、夢幻が、どこから流れて来て、

あばら家に住むようになったのか誰も知らないし、

どうやって、生計を立てて暮らしているのかと不審がった。

 そんな中でも、近所の長屋で、

老いた祖父と2人で暮らす澪だけはなぜか、夢幻をこわがらなかった。

 澪は、13歳になったころから、

時々、朝早くに、夢幻の元を訪れて、

木戸が閉まる直前、人目を気にするようにして、長屋に帰る生活を送っている。

近所のおかみさんたちが、澪が時々、あばら家に出入りすることを心配して、

顔を合わせる度、「行ってはいけない」と口をすっぱくして言い聞かせたが、

 澪は「行かない」とは言わなかった。何か理由がありそうだが、

誰も深く追求しようとはしなかったため、その話はそれきりになった。

 澪の祖父も、孫が危ない目に遭いやしないかと気が気でなくなり、

とうとう、ある日。澪をきつくしかって、夢幻と縁を切るよう言い迫った。

「いくら、おじいちゃんの頼みでも、

こればかりは、聞けやしないよ。

あたいを信じておくれな。大丈夫だから、心配せんといて」

 澪は必死に、祖父を説得した。

結局、祖父は、孫可愛さに黙認することにした。

 澪が、夢幻と初めて出会ったのは、3つの時だった。

疫病で、両親を1度に失って、悲しみのどん底にいた時、

思い余って、大川へ落ちてしまったことがある。

近くに誰もいなかったため、幼い澪は今にも、川の底に沈みそうになった。

その時、誰かが呼ぶ声が聞こえた。川に落ちた直後、気を失った澪は、

その声で息を吹き返した。気がつくと、あばら家の中にいた。

 目を開けると、熊みたいな図体のでかい男が、澪を見下ろしていた。

「危ないところでしたね。気がついたのでしたら、お家へお帰り。

その前に、これを飲むと良い。からだが温まるよ」

 その男が、具なしのお味噌汁が入った茶わんを澪に手渡した。

澪はフーフーしながら、お味噌汁を飲み干した。

「助けてくれて、ありがとう。このご恩は一生忘れません」

 澪は、お味噌汁を飲み終えるとお礼を告げた。

「わしは、三途川夢幻と申す。

川の水が増水している時は、近づいてはいけないよ。

間に合って、本当に良かった。あの時、わしが通りかからなければ、

いまごろ、おまえさんは、川の中に引きずり込まれてしまうところだったからね」

 夢幻がそう言うと、小さく息をついた。

 見た目は、熊みたいなのに、しゃべると、

男なのに、女みたいな甲高い声を出す。

澪は悪いと思いつつも、見た目と声のギャップがおかしくてクスっと笑った。

「何がおかしいんだい? ひとがまじめに、

生き死にの話をしているというのに、笑うとは、おかしな娘だねえ」

 夢幻はそう言うと、くるりと背中を向けた。


「ごめんなさい。わたいは、澪っていいます。ご恩返しに、何かさせておくれな」

 澪が平謝りした。

「おまえさんみたいな幼い娘に出来ることは何もないよ。

もう少し、大きくなったら、出直しておいで」

 夢幻が背を向けたまま言った。

「わかりました。13になったら、出直すことにします。

そのころには、今より、もっと、お役に立ちましょう」

 澪はそう言うと、あばら家をあとにした。


 その後、澪は、13になるまで、あばら家の前を通り過ぎても、

夢幻の元を訪ねることはしなかった。祖父にさえ、

川におぼれたところを助けてもらったことを黙っていた。
 

 13になったある日突然、澪は意を決したように、夢幻の元を訪ねた。

夢幻は相変わらず、囲炉裏の前に座っていた。

 夢幻も、あばら家の様子も、

あの日とまったく、同じだったため、澪は驚きを隠せなかった。

「ようやく、来たね。さあ、はじめようではないか」

 夢幻がそう言うと、すくっと立ち上がった。

「来て早々、何をさせようと言うんです。

まずは、近状を訪ねるとかしないのですか? 」

 澪があわてて言った。

「おまえさんが今まで、どう暮らして来たのかは、

いちいち、聞かずとも、ちゃんとわかっているとも」

 夢幻が言った。

「あの。何とお呼びしたら良いですか? 」

 澪がおずおずと訊ねた。

「そうだねえ。これからは、わしのことは、主さんと呼ぶと良い」

 夢幻が答えた。

「それでは、まるで、この家に奉公しているみたいではないですか? 

それとも、奉公させるおつもりですか? 」

  澪が言った。

「別に、通いでもかまわない。こちらが呼んだ時にだけ来れば良いだけさ」

 夢幻が顔を近づけると言った。

「そんなに? 1度で済むのではないんですか? 」

 澪は戸惑った。恩返しは1度限りだと思っていたからだ。

通いで奉公するなど、夢にも思っていなかった。

「もちろん、給金はなしだよ。おまえさんが、

恩を返したと思ったらしまいにすれば良い」

 夢幻が言った。

「わかりました。とりあえず、よろしくお願いします」

 澪は、恩を返したと思ったらしまいと聞いて気を緩めた。

気がついたら、承諾した形になっていた。


 早速、夢幻から仕事を言いつけられた。

その仕事と言うのが、少し変わっている。

「ここに書いてあるものを急いで、調達してきな」

「もぐら、亀、すずめ、とら猫‥って、

全部、いきものではないですか? 

いったい、何を始めるおつもりですか? 」

 澪は、手渡された紙を見るなり声を上げた。

丁寧に、獲得する方法まで書いてある。

「四の五の言っていないで、さっさと、お行き。

早くしないと、日が暮れてしまうよ」

 夢幻がそう言うと、澪を外へ追い立てた。

「こうなったら、指図通りにやるしかないわね」

 澪は、紙に書かれた通りにすることにした。

まずは、とら猫がいそうな路地をのぞくと、

数匹の野良猫がたむろしているのが見えた。

その中に、とら猫が1匹いるのを見つけた。

「みっけ! 」

 澪は、とら猫を抱きかかえると懐の中に押し込んだ。

懐の中でもぞもぞと動くとら猫を

何とか押さえつけながら、あばら家へ舞い戻った。

「もう、調達してきたのかい? 」

 夢幻が戸を開けるなり言った。

「とりあえず、とら猫を見つけたので連れて来ました。

袋か何か、貸してくだされ」

 澪は、夢幻の胸にとら猫を押しつけると、

どこかに、獲物を入れる袋がないか目で探した。

「これを持って行くが良い」

 夢幻が、土間にある甕の脇に立てかけてあった木箱を指し示した。

その木箱には、背負うための紐がくくりつけられていた。

「お借りしますね」

 澪はそう言うと、箱を背負った。

「背負うというより、箱に食われているようだね」

 夢幻が、とら猫を胸に抱えながら笑った。

「いってきます」

 澪は元気良く言うと戸を閉めた。

 
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