第33話 母性

文字数 2,033文字

「亀次郎! 」

 夢幻が、亀次郎に目配せした。亀次郎が急いで、おりょうを追いかけた。

「ああ、なんてことだ。かれこれ、30年、

身を心も捧げて来たこの店を女郎に取られたばかりか、

金の卵まで取られるとは、すっかり、ツキに見放されちまった」

 庄吉がくやしがった。

「自業自得だ。同情の余地なし。帰るぞ」

 夢幻がそう言い捨てると立ち上がった。

「お待ちを」

「前田屋」の奥様が、夢幻を呼び止めた。

「まだ、何か? 」

 夢幻が、「前田屋」の奥様に訊ねた。

「猫又退治のお代がまだでした。店は手放しても、

小遣いぐらいは手元にあります。お代はきっちり、支払わさせて頂きますよ」

 「前田屋」の奥様が告げた。

「お代はけっこうです。そうですよね? 」

 澪が、夢幻に言った。

「いかさま博打の摘発に一役買ったというので、御番所から駄賃を頂きます故、

けっこう。猫又は、いたずらでしたしお代はかかりません。あしからず」

 夢幻は咳払いをすると、体よく、報酬を辞退した。

「いかさまがまことでしたら、借金はなしということですか? 」

 「前田屋」の奥様の顔が明るくなった。

「さもありましょう」

 夢幻が告げた。

「あちきはこれで。もとから、他人の店には興味ございません。

店を出すなら自力で出しますよ」

 雪乃はそう言い残すと風のように去って行った。

 それから半年後。澪は、「前田屋」の店先で、

仲睦まじく店支度をしている夫婦の姿を見かけた。

「にゃあ」

 路地の方から、猫の鳴き声が聞こえた。その鳴き声に引き寄せられるように、

路地へ入ると、金毛の猫が尻尾を振っていた。

「ありがとうございました」

 どこからともなく、おしのとそっくりな声が聞こえた。

「忠治さんから、雪乃さんが、浅草寺の門前に茶屋を開いたとお聞きしました。

それと、亀次郎さんは、いかさま博打をした

美人局を取り逃がしてしまったみたいです」

 澪が、金毛の猫に向かって独り言を言った。

「あの時、話を聞いてくれなければ、娘たちはどうなっていたことやら。

三途川さんは覚えていてくれたみたいだねえ。

あの時と同じく、また、助けてくださった」

「ひょっとして、前田屋の奥様に猫魂を憑けたのは、おしのさんですか? 」

「そんなことより、身代わり地蔵の前に、

お礼を置いておいたから、三途川さんに渡しておくれ。じゃあね」

「あの、おしのさん? 」

 金毛の猫は、おしのの声をと共に消えてしまった。

身代わり地蔵の元へ行ってみると、

身代わり地蔵の足元に、反古紙に包まれた丸い物が置いてあった。

澪はそれを懐の中にしまうと夢幻の元へ向かった。

その途中、野良猫を引き連れた奇妙な町人とすれ違った。

澪は気になって、足を止めた。

その奇妙な町人は、裏長屋の戸を開くと、野良猫たちをその中へ招き入れた。

(野良猫たちを家に連れ込んで、何をしようてんの? )

 澪はふと、「前田屋」の先代の変わった

趣味のことを頭に思い浮かべて身震いした。

立ち去ろうとしたものの、気がついたら、

戸の隙間から中をのぞき見していた。

部屋中に、描きかけの浮世絵が散らばっていた。

どうやら、奇妙な町人は絵師らしい。

「のぞき見とは悪趣味だな」

 誰かに背中をつつかれて、ふり返ると、亀次郎が仁王立ちしていた。

「野良猫を家に引き込んだもので、気になって」

 澪が言い訳した。

「おまえさんに渡した絵を描いたのはあいつだ。

無類の猫好きで、最近は、猫ばかり描いていやがる」

 亀次郎が言った。澪は、亀次郎から受け取った浮世絵を見直した。

そしてあることに気づいた。

浮世絵に描かれている白猫の傍らにいるのは、さっき、会った金毛の猫だった。

もしかしたら、娘たちが心配のあまりこの世に残っていたおしのの魂が、

あの猫に憑いていたのかもしれない。

(おしのさんは、主さんに何を渡そうとしたの? )

澪は包みを開けて中を見た。

でてきたのは、手のひらサイズのミニ招き猫だった。

「そいつは、昔あった土産物屋で売られていた招き猫だぜ。

なぜ、おまえさんがそれを持っているんだい? 

その招き猫は、店の主が、看板猫を真似て職人に作らせたらしいぜ」

 亀次郎が、ミニ招き猫を見つけると言った。

「おしのさんが、主さんにこれを置き土産に残したんです」

 澪が言った。

  夢幻に、ミニ招き猫を手渡すと、反応が薄かった。

「いらないのなら、わたいにくださいまし」

 澪が言った。

「いらぬとは言っておらん。思っていたのと少し違ったものでさ」

 夢幻が言った。

「どんなものが良かったのですか? 

だいたい、人助けなのだから、

何かをもらうのは違うのではないですか? 」

「わしは良いから、町絵師の芳蔵に持って行きな。

画料だと言うのを忘れるなよ」

 夢幻がそう言うと、澪を町絵師の元へ送った。

「この絵ってまさか? 

あなたが、あの町絵師に描かせたのですか? どうしてまた? 」

 澪が言い終わらぬうちに、夢幻は勢い良く、戸を閉めた。

 澪は、夢幻の魂胆は知らないが結末はめでたしめでたしだったから、

もういいやとあきらめた。







 
 
 

 

 
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