第13話 鬼子母神

文字数 1,125文字

 佐伯医院のことなら、澪もよく知っている。

幼いころから、風邪をひいたり、ケガした時にお世話になっているからだ。

長いつきあいにも関わらず、いまだかつて、

澪が川におぼれた日のことを聞いたことがなかった。

「先生。わたいが川におぼれた日のこと、覚えていますか? 」

 澪は、縁側に座り一息ついていた佐伯に訊ねた。

「庭から入って来るとは、どういう用件だね? 」

 佐伯がとがめた。

「すみません。表戸が閉まっていたものですから」

 澪が言い訳した。

 昔から、気難しくてとっつきにくい人だったが、

ふつうは、年を重ねる度に丸くなるものなのに、

佐伯にいたっては、ますます、度が増している気がする。

「何故、今になって、そんなことが知りたい? 」

 佐伯が眉間にしわを寄せると訊ねた。

「わたい、恩返しのために、三途川夢幻の元に通っているんです。

夢幻さんから、わたいを助けた時、

血をわけたと聞いたもので、真相を確かめに参りました」

 澪が事情を説明した。

「さようであったか。あの男は、

あれほど、おまえさんには言わぬよう口止めしたにも関わらず、

手柄を自慢したいがために約束をやぶったか。信用のおけぬやつだ」

 佐伯が忌々し気に言った。

「血をわけたというのは、まことの話なのですか?

 いったい、どういうことなんですか? 」

 澪が身を乗り出すと訊ねた。

「救い出した時、おまえさんは深手を負っていた。手術することになり、

出血があまりにもひどいことから、輸血が必要になったというわけだ。

調べたところ、あいつが、おまえさんと同じ型だった。

あいつはいつもは見せぬ真剣な面持ちで、

おまえさんを助けるためなら、いくらでも、血をわけると言った。

そこまでして、おまえさんを助けたい理由とは何なのか聞くと、

あいつは、何も答えなかった」

 佐伯が当時のことをふり返りながら、覚えていることを語った。

「そうだったのですね。教えて頂き、ありがとうございました」

 澪はお礼を告げると頭を下げた。

「気が済んだのなら、さっさと、帰りなさい」

 佐伯はつれなく、そう言い残すと中へ引っ込んだ。


 澪は、佐伯医院を出た後、鬼子母神が祀られている場所に立ち寄った。

両親がまだ、生きていたころ、母親に手を引かれて

連れて来られたことをおぼろげに覚えていた。

 鬼子母神の像の前まで来ると、熱心に手を合わせる老婆がいた。

すれ違った時、その老婆が、鈴を地面に落とした。

「おばあさん。落としましたよ」

 澪は、地面に落ちた鈴を拾うと、その老婆に手渡そうとした。

「私のことかね? 」

 その老婆が肩をびくつかせた。

「これは、おばあさんの鈴では? 」

 澪が訊ねた。

「ありがとうね」

 その老婆は、澪の手から鈴を受け取ると、大事そうに、懐の中にしまいこんだ。
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