第59話 ぼや

文字数 1,457文字

 幸い、火事はぼやで済んだ。

同心の新助が手下を引き連れて駆けつけると、現場検証が行われた。

検証結果によると、火元は、「相模屋」の米俵を保管している蔵前だった。

その火が風に乗って、近所へ燃え移った。

 ぼやが発生する1時間前。「高積見廻」の同心、金治が、

「相模屋」の近くを通りかかった際、駿助に注意をしたことがわかり、

駿助が、金治の忠告に耳を貸さずに蔵前に米俵を放置したため、

ぼやが発生したということになり、取り調べのため、自身番へ送られた。

 周囲に、火の気がなかったことから、

単に、米俵の積み方が悪かっただけで、

ぼやが発生すると決めつけるのはおかしいと新助は主張して、

駿助も無実を訴え出たが、

「大橋屋」が、日頃から険悪な仲の主人の命を

ねらったかもしれないと騒ぎ出したことから、

駿助に注意した金治の証言が認められて、駿助は入牢することになった。

「納得なんぞ出来るものか」

 吉之助は、庄五郎を救ったというのに、

「大橋屋」の連中が、駿助を追い詰めることになったことに憤慨した。

「悪いのは、あの悪同心ですよ。逆恨みでしょうか? 」

 明星が忌々し気に言った。

「新助さんが絶対、真犯人を見つけ出して、

駿助さんの無実を晴らしてくれますから、今は耐えて待ちましょう」

 澪は偶然、ぼやの現場に居合わせることになって

2人を何とかはげまそうとした。

「ありがとう」

 明星が涙を流しながら言った。

「ぼや騒動で、お得意さんたちから苦情が押し寄せている。

このままでは、店がつぶれちまいますよ」

 「相模屋」の番頭、万蔵が嘆いた。

「万蔵。焼け残った米俵の数を確認して来い。

泣き言を言うのは、今出来ることをしつくしてからにしろ! 」

 吉之助が低い声で告げた。

「おやじ。番頭にやつあたりはよしてくんねえ。

わしは、この店を継がないと決心したぜ。

どうせ、とんまな手代の失態で、店の評判はがた落ち。

得意先には逃げられて立ち行かなる。

そんな店を継いだとしても良いことは何もねえ。

こうなったら、あの話受けるしかねぇわけさ」

 吉之助の倅、健之助が言った。

「兄さん、そこにいたのかい? 

影がうすいから気づかなかったよ。

出て行きたければ好きにするがいいさ。わたいは止めないよ」

 明星が言った。

「もう、うんざりなんだよ。

おやじが現役のころは、大関の倅だから跡を継ぐのは

当然みてぇに圧力かけられて、

引退したらしたで、米問屋を継げと言われてさあ。

わしは、米問屋ではなく、力士のおやじが好きだったわけさ。

力士になる夢を奪われた挙句、

つぶれそうな店まで押しつけられるのだけは勘弁してくんねえ」

 健之助がそう言うと店を飛び出して行った。

「兄さん! 」

 健之助のあとを追おうとした明星の腕を吉之助がつかむと引き留めた。

「今は何を言っても、あいつの心には響かねえ。

駿助の無実を晴らすのは新助に任せて、

手前共は、店を立て直すのに専念するかしかねぇわけさ。

こんな時に、やる気のねぇ野郎は不要だ」

「なんだい? 倅を見捨てるのかい? 」

 明星が、吉之助を非難した。

「興業がはじまると聞いたぜ。

相手の部屋をみているのは手前と同じ元力士だ。

店のことはいいから、相撲に集中しろ。

良いか、しばらくの間、ここへは出入りするな」

 吉之助が、明星に言って聞かせた。

「おやじさんがみてくれるのではないのかい? 」

 明星が、吉之助に訊ねた。

「悪いがそんな暇はねえ。こたびは、自力でなんとかするんだな。

明星、おめぇの実力ならば、他の力士らも指導出来るはずだ。

期待しているぜ」

 吉之助が、明星の肩に手を置くと言った。
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