第18話

文字数 2,777文字

「これから、いよいよライトアップの方へ行くよ」
「うん。たのしみ」
 ケサラさんは一回、嬉しそうにトンッと音を鳴らすと、それ以降は静かになった。
 私はその後、無言でCOCON KARASUMAを目指す。COCON KARASUMAは商業施設であり、飲食店や映画館などが並ぶビルである。有名な人が建築している建物だそうだが、学生には少し高級な店も多く、訪れたことはなかった。
――……京都駅へ向かう市バスの中から見たことがあるくらいか。
と、私は心の中で呟いた。
 私は迷うことなく目的地に着いた。ゆっくりと歩道の脇で立ち止まる。特にイルミネーションというわけではないのでじっくりと見ている人は私以外にはいないが、その鮮やかさに、誰もが一度は顔を上げていた。
 緑青のような少し青みがかった緑に、雲のような和柄がある。壁のようにぼわっと広範囲に浮かび上がっており、息をのむ。
「……見えているかい?」
「うん。きれいだね」
 ケサラさんもマジックミラー越しに見ているのだろう。「ほー」と、感嘆の声を漏らしていた。
「これが、いつも見られるらしいよ」
 私はひとりごとのようにぽつりと彼女に言う。
「今まで見たことなかったの?」
 思ったよりも近くにあるのに、と彼女は不思議そうに言う。
「近くにあると思うと、いつでも行けるという気持ちになって行かなくなるのさ」
 京都にいると寺社仏閣に通い詰め、着物や浴衣を嗜むのかと思いきや、なかなか行動には移らないものである。
「でも、今日だから綺麗に見えるとしたら、少し癪だな」
「あぁ、くりすます?」
 私は頷く。
「イベントにかこつけて行動するのは好きではないんだけども、この光景にもそうした補整がかかっているのかと」
「いいじゃん。普通のものも特別にみえちゃうなんて、すてきだよ」
「……そういうものかい?」
「うん。なにを見るかも大切だけど、いつ、だれと見るかもたいせつ」
「その考え方は……少しいいかもしれないな」
 私は微笑んだ。彼女と一緒に見られたことが、目の前の景色を変えたのだとしたら、それは素敵なことである。
「また……、時間がある時にこようか」
「うん!」
 彼女は頷くようにトンッと床を叩いた。
 私たちは暫くその場でぼぅとしていた。冷たい息が体中を駆け巡り、体外へと吐き出されている過程を、幾度と繰り返す。何も話すこともなくゆったりと時間を過ごすのはなんとも心が落ち着いた。
「このまま時間が経てば、一日の始まりを見ることができるのかもしれないな」
 私が何気なく呟き、「なにいってるのか、わかんないー」と、彼女が寝転がる気配を感じた。
 その時、
「……ん?」
「どうしたの?」
「聞き覚えのある声が……! そうか、君は彼らの声を知らないのかっ!」
 私は慌ててビルの隅に隠れた。
「あわわわわっ!」
 いきなり走ったからか、ケサラさんが驚いたような悲鳴を上げる。
「すまない!」
 私はビルの隙間から顔を覗かせる。人込みの中にいる彼らから目は離さない。
「どこどこ?」
 加世氏と朝永の顔を知らないケサラさんはきょろきょろと探しているようであった。
「……右斜め前、灰色の上着に、白のとっくり、チェックのスカートが加世氏」
「グレーのノーカラーコートに白のタートルネックのニット、緑のブロックチェックのミモレ丈タイトスカート、ね」
「……さすが、元主人が女子高校生だな。うぉほんっ、……その隣にいる、コートにニットに細身のズボンにマフラー首から下げているのが、所謂、浅井だ」
 浅井の格好は以前のものに似ていた。きっちりと清潔感のある、大人っぽい服装だ。一つ気がかりなのは首からぶら下げているマフラーである。首に巻き付けておらず、全く防寒をなしていない。あれがお洒落というものなのだろうか。
 それをケサラさんに告げると、
「万年白シャツ黒パンツ男にくらべると、だんぜんオシャレ」
と、即答された。
「……こっそり後ろを追いかけよう」
 私は彼女にそう言い、ビルの隙間を飛び出した。
 いつも通り、人の背に隠れながら彼らの後ろを同じ速度で歩く。加世氏たちはつい先ほど食事を終えたのか、初めて見たライトアップに感激をしていた。
「わぁ……、すごい……っ!」
「本当に、鮮やかな色ですね」
 目を輝かせる加世氏に、浅井は微笑む。よく見ると、加世氏はイヤリングをつけていた。赤いガラスのついた鮮やかなものである。いつもと違って髪は緩く一つに束ねられており、それに目がいきやすかったのだ。
「浅井さんは、来たことはありましたか?」
「いいえ、僕も初めてです」
 場所は知っていましたが、なかなか訪れる機会はなかったですね、と照れたように浅井は笑う。
「風岡さんこそ、意外です。結構、いろんなところに出掛けられてはるとの話だったので、既に来たことがあるものだと思っていました」
「実は、ここのライトアップのこと、知らなかったんです。先日、知り合いの方に教えていただいたので是非行きたいな、と」
 加世氏は恥ずかしそうに頬をぽりぽりとかく。浅井を含め、心当たりのありすぎる我々は、うんうんと頷いた。
「でも、いいんですか? 折角の日に僕なんか誘っていただいて」
「はいっ! ついでにおいしいご飯屋さんに連れていってくださって、助かりました!」
「……あぁ、なるほど」
 浅井は意図が全く伝わらなかったようで、これ以上は何も言わなかった。確かにそうだ。浅井を誘うにしても、なぜ加世氏はこの聖なる日を選んだのだろうか。
 加世氏たちは暫くの間立ち止まってライトアップを見ていたが、次々と押し寄せる人の波に追いやられるように少しずつ離れていっていた。
「……ゆっくり見ることができないのが少し残念ですね」
 加世氏は苦笑いをした。人の流れから二人はそっと離れる。
「どこかでお茶でもしてから帰りますか?」
 浅井は「近くに店があるかな……」と、携帯電話で検索を始めた。加世氏もそれに合わせるように自分の携帯電話を取り出す。
 二人ともこの辺りにはあまり来ないからか、今の時間でもしている喫茶店にアテがないようである。
 私も彼らが見えるように視界を確認しながら影に隠れた。
「さっきごはん食べたところ、おすすめなのにね」
 ケサラさんの小声に、私は頷く。
「しかし、それが言えたら苦労はしないというものさ」
「ほんとにね」
 ケサラさんは小さな声でふふふっと微笑んだ。
「あ」
 浅井は何かを見つけたように声をあげる。よい店でも見つけたのだろうか、少し屈んで携帯電話の画面を加世氏に示す。
 加世氏はそれを見て、にっこりして頷いた。
「動き出したぞ……!」
 我々は彼女たちの後ろを再びついていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み