第19話

文字数 3,194文字

 COCON KARASUMAから南へと下り、高辻通を西に入る。そこから何度か小道を曲がっていたが、暗くて私にはどの道かは分からなくなった。
 一本道を外れるだけで、一気に人気はなくなり、風が私の頬を突き刺す。昔ながらの民家なんかもわずかにあり、一体、二人はどこへ向かっているのかと不思議に思っていると、ぽつんと明かりの灯った小さな洋館が現れた。
 どうやら二人はそこへ向かっているようだ。二階建てのその洋館は周りの他の建物に比べると大きくて目立つ。壁には蔦が絡まっており、なんともレトロな雰囲気だ。加世氏たちの会話からすると喫茶店なのだろう。
 建物に近づくにつれて、二人の顔がくっきりと映し出される。どこからか遠くから聞こえてくる聖歌があたりをやさしく包んでいる。
「風岡さん、それ、つけてきてくださったんですね」
 浅井は自分の耳を指で示す。加世氏のつけていたイヤリングをさしているようであった。
「あ、はいっ! ……せっかくなので」
加世氏は照れくさそうに頷く。浅井はそれを見ながら、
「とても似合っています。……よかった」
と、にこりと微笑んだ。
 その言葉に、加世氏はかぁっと顔を赤らめる。
「……あ、りがとうございます」
 おや、加世氏がここまで照れるのも珍しい。浅井もそう思ったのか、彼女の顔を覗き込む。すると加世氏はますます恥ずかしがって顔を手で押さえた。
「あんまり言われることないので、……慣れていなくて」
 押さえていた手がふっと緩んだとき、彼女の顔が繭に包まれたようで浅井は私と同様に息をのんだ。
 私は加世氏と朝永が二人きりのときを知っているわけではない。共に食事をしていてもあまりベタベタとしないから、二人の間のことを知ることもなかったが、どうやらこの顔は浅井自身も見たことがなかったようだ。
「……とても素敵ですよ。ステージに立つあなたも凛としていましたが、こうやって隣を歩く風岡さんも花のようです」
「もう……、恥ずかしいのでやめてくださいっ……」
 ますます強く顔を押さえる加世氏に、
「慣れてください。思う度に、何度も言いますから」
と、浅井は面白そうに言う。
「……もうっ」
 加世氏は「あー、顔が赤くなっちゃいました」と、自分の頬に手をあてる。その表情はいつも通り、どこか幼くて愛嬌がある。
「浅井さんは慣れているかも知れませんが、そういうことを簡単にいってはいけませんよ。勘違いする人もいるんですから」
 その言葉に、浅井はくすっと息を漏らす。
「そんなことはしていませんよ。僕だってそんな節操ない人間じゃありません」
 浅井はあくまで大人な対応を保っていた。内心では、褒め言葉の連呼に加世氏以上に恥ずかしがっているだろうに、それを見せずに、あくまで何か理想に近い男性を貫いていた。
「……たいしたものだな。君はああいう男性はどう思う?」
 私はケサラさんにこっそりと訊ねる。少女漫画的世界に慣れている彼女からすると、浅井のような男性はまさに王子様のような浪漫にあふれるものなのだろうか。
 しかし、ケサラさんから返ってきた言葉は私の質問に対する返答ではなかった。
「だれか、近づいているひとがいる……」
「えっ?」
 私は思わず自販機の影に身を隠す。
 よくよく見ると、確かに洋館を過ぎたその先、彼女たちの方へ向かってきている姿が見えた。私の距離からはぼんやりと薄黒い物体にしか見えない。
 加世氏たちはその人のことを気に留めていないようであった。ということは彼らの知り合いではないのだろう。
 私は自販機の傍から再び加世氏たちの方へとゆっくりと近づく。
「すとっぷ!」
「えっ?」
 私はケサラさんの小さく鋭い声に、今度は電柱の影に隠れた。
「一体、どうしたんだい?」
「あのひと、二人のことをみてる。……きもちわるい」
「見えるのかい?」
「うん」
「すごいな……」
 彼女をヒト目線で見ては良くないのかもしれないが、まだまだ私には知らない能力があるのかもしれない。
「にしても、二人のどちらかの知り合いなのだろうか」
 私は電柱から顔だけを出し、二人を覗く。影は段々と輪郭をおびてきて、若い男性だと分かる。
 シークレットブーツをはいた浅井よりも背はやや低いくらいだろうか。私は見覚えのない顔であった。
「おぉ、浅井じゃないか」
「……えっ?」
「……っ!」
 今、一カメから三カメまであったら、一カメは颯爽と現れて浅井に話しかける男の姿を、二カメと三カメは顎が外れそうなくらい驚き、声の出ない私と浅井のアップの顔がうつっているに違いない。
「偶然だな。こんなところで会うなんて」
 カーキ色のコートに短めの黒髪の男は、細い目を更に細め、ニコニコしながら浅井の肩をパンと叩く。
「あ……あぁ」
 浅井の目は完全に泳いでいた。状況が読み込めず、言葉を濁す。
――というか、誰だよ!
「近くの飲み屋でこれから棚橋らと一緒に飲もうってことになっているんだけど、来るか?」
「いや……僕は……」
 そこで男は、しまった! といったような顔になった。
「あっ……悪い、彼女とデートだったのか。また、誘うわ」
 男は再び浅井の肩を二、三度叩くと、「また、じゃぁ年明けに」とだけ残し、加世氏達のもとから去っていった。
 私の横を通り過ぎ、その男は烏丸通の人込みへと消えていった。
「……」
――……いや、だから誰だよ!
 嵐の後の静けさのような一瞬に、私は思わず心の中で叫んだ。
 加世氏は浅井の方を見上げる。
「お知り合いでしたか?」
「……あぁ、……大学の同期なんだ」
 何が何だか分からない浅井は、しどろもどろに言った。
 一体何だったのだろうか。
 人違い? 否、彼は浅井の名を呼んでいたのだから、間違えではないはずだ。じゃぁ、浅井の知り合いなのか。しかし、彼自身、見覚えがなさそうであったし、何よりその姿で加世氏以外の人には極力会わないようにしていたはずだ。
 私は菓子箱越しに、ケサラさんと顔を見合わせた。マジックミラーで彼女の姿はこちらからは見えないけれど、きっと私と同じように首をひねっているに違いない。
「一体誰だったのか……」
 私は電柱の影から、ゆっくりと歩き出した。再び彼女たちを追いかけようとし……
「えっ? 櫻井さんっ?」
「しまった!」
 私は思わずバッ顔をそらす。慌てて電柱に引っ付くように身を隠したが、もう遅かった。
「……櫻井さん? ですよね?」
 加世氏はこちらにトタトタとやってきて、電柱と一体化した私の方へ、ひょいっと顔を覗きこむ。
「あー……、今晩は、加世氏」 
 私は加世氏と顔を合わせられない。
「こんなところでお会いするなんて、奇遇ですねっ! お一人ですか」
「あー……まぁ、そんなとこだね」
 浅井もゆっくりとこちらにやってきた。加世氏以上に浅井とは合わせる顔がない。
 私は初対面を装うように、もとい浅井から顔を隠すようにおじぎをした。
「あっ、こちら、先日お話しした浅井さんです。これからお茶を飲もうかとお話ししていたんですけど、櫻井さんもいかがですか?」
「……悪いけど、ちょっとこれから用事があってね。また今度にさせていただくよ」
 私は浅井の方を恐る恐る見た。先ほどの謎の男のことが気にかかっているのか、浅井はなんともうわの空であった。
 私は残念がる加世氏に平謝りをし、そのまま逃げるように彼女たちのもとを立ち去った。
 浅井が心ここにあらずな状態であったことだけがせめてもの救いであったが、これは「傍観者」としては大きな失態である。
「もうかえるの?」
「あぁ……、ミッションは失敗だ」
 何が聖なる夜だ、何もかもがぐちゃぐちゃだ。
 私は無言で、そのまま帰りのバスへと乗った。
 
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