第25話

文字数 3,825文字

 あの日、暴走する浅井を遮った私とつばくろさんによって、計画が加世氏にばれた。カップルらしき男女と、それを取り囲むように男子大学生と着物姿の女性がいるという光景はさすがに目を引くようで、その日はそそくさとお開きになった。
 そこで、今日、改めて事情を共有するために会が開かれたのであった。
 私はこれまでの経緯をかいつまんで話す。加世氏はある程度は朝永から聞いていたようで、私はつばくろさんと大先生に向けて話す形となった。
 ふと現状に疑問を抱いたこと、一人二役をすることになったこと、加世氏の大学の学園祭に、手作り市、クリスマスのデート、朝永という人間が消えた日、そして秘密が終わった先日。
 言葉にするとあっけなく終わってしまったかのようにも思うが、この半年の時間は私にとっても長いものであった。
 何か一仕事終えた様な区切りのようなものすら感じる。
 私は朝永の名誉のために、決して悪戯に行ったのではないことを付け足す。しかし、加世氏の顔を見ることはできなかった。
 今回の被害者と言っても過言はない彼女が、何を考えているのか想像するだけでも恐ろしい。
 つばくろさんは一通り聞き終えてから、大きく息をついた。
「嫌な予感はしていたけど……、まさか本当に、一人二役をやっていたとはね」
 そういって、大先生と目を合わせ、再びため息をつく。
「予感とは?」
 私はずっと気にかかっていたことを聞いた。
 ショッピングモールで会ったつばくろさんは、事情を知っている風であった。まるでずっと、浅井の行動を監視していたかのようなタイミングで飛び出してきていたのだ。
あぁ、とつばくろさんは頷く。
「実は、確信はなかったのだけれど、あなたたちが何か企んでいるっているんじゃないかっていうのは思っていたのよ。大先生に言われてね」
 我々は思わず、大先生の方をみる。皆の視線を受けた大先生は、愉快そうにふぉっふぉっと笑い、ぐびーっと酒を飲んだ。
「加世氏がここで浅井さんの話をしたことがあったでしょう? どうもその時の様子が引っかかってね。その後大先生にお会いした時に話したのよ。そしたら、一人二役じゃないかって」
 つばくろさんも喉が渇いたのか、こくりと日本酒を飲む。一口が大きいから、その一口で杯は空になる。
 私は酒を注ぎ足してから、先を促した。
「それで?」
「でも、確証があったわけじゃないの。それに、別にあなたたちが何をしようとそれは自由でしょ? だから初めは放っておいたんだけど」
 段々気まずくなっている三人を見ていたら、つい足を突っ込んでしまったわけ、とつばくろさんは肩をすくめる。
 私は何だかじいんと来てしまった。
「つばくろさん……我々のことをそんなにも気にかけてくださったんですね」
「いや、別に? 酒がまずくなるのが嫌なだけよ。三人の仲が悪くなったら、私は複雑な気持ちの加世氏と二人で酒を飲むことになるでしょう?」
「……」
 どうやら、ばらばらになった時、私や朝永は真っ先に切り捨てられるらしい。
「……えー、では、クリスマスに烏丸に行くようにけしかけたのも、意図的だったんですか?」
 つばくろさんは勿論というように頷く。
「“浅井”って男を見てみたかったからね。……にしても、良く化けたわね」
「そうでしょう。普段より賢く見えますよね」
 激しく同意する私を、「……うるさい」と、朝永が小突く。
「“浅井”くんに話しかけた、緑のコートの男性がいたでしょう? あれ、私の知り合いなのよ。“浅井”という人物が本物なら、知り合いなんて嘘をつく必要はないからね」
「つまり、カマをかけたということですね」
「そういうこと」
 つばくろさんは悪びれる様子もなく頷く。
「……」
 朝永は静かにため息をついた。
 あの謎の“浅井の知人”のことはひどく気味悪がっていたから、無理もない。
「でも、カナートであなたたちに会ったのは偶然よ。私も知り合いと来ていたんだけれど、あなたたちを見つけたからこっそり観察していたのよ。そしたらいきなりあんなことになるじゃない? 思わず止めに入ったのよ」
 私の話はこんなところよ、とつばくろさんは締めくくった。
「成程……」
 私は納得した。謎の男の正体に、急に現れたつばくろさん。これまででどうにも引っかかっていたことは、一応筋が通っている。
 話を終えたつばくろさんは、一仕事終えたように、嬉しそうに大根餅を頬張った。
 そのまますかさず酒を入れる。
 私は空になったお銚子を一階に持っていき、追加オーダーをした。
「ですが、大先生が“一人二役”に気付いたというのは、どうしてなのですかっ? 私は大先生にお会いしたのも今日が初めてなのに」
 私が二階へと戻ってきたころ、加世氏は首をかしげていた。
 普段通りの口調に、私は少しほっとする。
 確かに、つばくろさんから事情を聴いたとはいえ、そこから一人二役をすぐに想像できるものであろうか。
 大先生はふぉーふぉっと愉快そうに微笑んだ。目尻に皺が、きゅっと刻まれる。
「あれは、わしがまだ若い時のことじゃった……」
「え、語りだすんですか?」
 私の言葉など聞こえなかったかのように、大先生は杯を持ち、遠くを見つめる。
 壁にはいつの時代のものか分からないビールの宣伝広告のポスターが貼られており、昔の若い女優がビールを片手に笑顔を振りまいている。
「安保闘争が終わりを迎えた頃だったかの。私は当時、大学四年生で、大学の新聞部におったんじゃ。といっても卒業も間近で幽霊部員みたいなものだったがの。当時、交際していた女性がいた。二つ上の部活の先輩で、社会人の女性じゃった」
 大先生は話を続けた。
 全国紙の新聞で江戸川乱歩の訃報を見たのは、丁度その時だった。当時は大して本を読む方ではなかったが、推理小説やSFは好きだった。思い出しついでにと家にある本を読み返しているときに、「一人二役」も読んだ。
「読んでいで、何て馬鹿な男だと思ったもんだ。じゃけど、人の心というのは、そうなるまでは誰も気づかないんじゃよ」
 大先生は悲しそうにため息をつく。ポスターの女性から目をそらすように、目を伏せた。
 就職活動と卒業論文に追われる中、恋人と会う頻度は次第に少なくなっていった。彼女は京都府内の企業に勤めているとはいえ、学生の生活習慣とは全く合わない。
 大人の付き合いに駆り出されることもしばしばで、それは年下の自分にとっては劣等感すら感じたという。
「社会が大きく動いていた時代じゃったからな。本当は大学に残って研究をしたい自分と、彼女に追いつきたい自分と、色んなモンに折り合いがつかなかったんじゃ。次第に誰のことも、……彼女のことすら、信用していいのか分からんくなる」
「それで、もしかして……」
 私の呟きに、大先生は二カッと微笑んだ。
「そのまさかじゃよ。わしは彼女を試したんじゃ。彼女と同い年の、実業家を装ってな」
 アルバイトで貯めた金で、思い切って洋服を買い、髪を整え、鬚を剃る。別人の自分で夜の街で彼女と出会った。大勢いる彼女の会社の人や友人の目を避けるようにして、二人でひっそり、街の中を歩いた。
「そうして、朝まで一緒にいた」
「……」
「わしが別人に成り代わったのはその一度きりじゃ。だが、普段自分を見るのとは違う彼女の目が、どうしても忘れられなかった。声が、肌の紅潮が、初めて見るそれに、我慢できんかった」
 大先生は静かに息を吐いた。吐いた時と同じスピードで、ゆっくりと酒を飲む。
「わしは懲りて、大学に残ることを決め、彼女とも自然に距離を置いた。あの時のことを間違っているとは思っとらんが、覚悟は足りなかった」
 大先生はぽつりと言った。
「……」
 成程。だからこそ、つばくろさんから話を聞いただけで、とっさに思いついたということか。
「まぁ、お前さんたちが別れようが別れまいが、そんなことはどうでもいいがな」
 ケロッとしたように、大先生は言う。
「え? 心配してくださったんじゃないんですか?」
 私はきょとんとし、代表して聞く。
 大先生は「まさか!」と、腕をぶるんっぶるんっと振った。
「つばくろ殿から話を聞いて、昔のことを思い出しただけで、確信は全くなかったしな。それに、お前さんたちにはほとんど会ったことがないんじゃから、大して情もない」
「……」
「まぁ、元の鞘に収まってくれたおかげで、いい酒のアテにも出会えたんじゃ。儲けもんじゃ」
 大先生は、ふぇっふぇっふぇと愉快そうに笑った。全く、私の周りの大人はロクでもない。
 視線のその先には、加世氏がいる。
「お嬢さんが何を考えているのかが知りたい。それが今日の一番の肴じゃ」
 加世氏は大先生を見つめ返した。
「……私は、あの時の女性ではありませんよ」
「ふぇっ、そんなことは知っておる。あれは若い日の熱い記憶が溶けて固まったものじゃ。それを無理やり剥がそうなんざ思っとらん」
 大先生は穏やかに微笑んだ。
「お嬢さんの話を聞かせてくれたら、それで充分。お礼に、今日一の酒をお嬢さんに馳走しよう」
 加世氏は一瞬考えたが、観念したようにふふっと微笑んだ。
「いいんですか? 言質は取りましたよ?」
「男に二言はない」
 加世氏はその言葉にしっかりと頷いた。
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