第10話

文字数 5,618文字

 十二月十五日。私は自宅から今出川通を西にずっと下ったところ、京都大学の近くにある知恩寺という寺に来ていた。
 学園祭後、何度か加世氏と朝永に会うこともあったが、加世氏は取り立てて浅井の話をすることもなく、私一人だけが何だか気が気ではなかった。
 そんな折、サークルの先輩に頼まれ、知恩寺で開かれる「手作り市」のイベントスタッフとして雇われたのである。
 毎月十五日、様々な屋台が寺内に立ち並ぶフリーマーケットが開催される。手作り市はここ知恩寺だけでなく、京都の各所で行われているそうで、平安神宮前の広場や梅小路公園など、日をずらして行われている。屋台を催すのは一般市民や近所の飲食店が中心であるが、イベントスタッフは地元の大学生によるアルバイトがほとんどだ。
 朝の八時ごろに寺に到着した私は、黄色いスタッフジャンパーを受け取り、先輩スタッフに指導を受ける。その後、今日一日の担当場所である本部受付へと向かった。
 総門近くにある本部には私のほかに、何度かこのアルバイトを経験しているもう一人の男性スタッフもいた。彼は京都大学の学生だそうで、大学からも近いこの勤務地が気に入っているという。
 仕事は大したものではなかった。パンフレットの配布と、迷子がいた際の案内が中心であるそうだが、ここを訪れるのは近くの大学生や、手作り品の好きな奥様方が大半であり、迷子などほとんどいない。
 午前中は二人でパイプ椅子に座っているだけで時間が過ぎていった。
 正午を過ぎた頃、順番に昼休憩をとることとなった。昼休憩は約一時間、お弁当は予め配布されているため、それをどこかでとることとなる。
 まず始めに、もう一人の方のスタッフが休憩に入った。一度大学に戻り、食堂で弁当を食べるのだといって、そそくさと荷物をもって去って行く。
 相変わらず人が来ず、手持無沙汰になった私はパンフレットをぱらぱらとめくる。寺の地図と共に、店名が一覧となっている。女性向けの店が多く、私は場違いな感じが今更ながらにした。
 スタッフジャンパーの下に厚手のセーターを着ているとはいえ、じっと椅子に座っていると、私は思わず身震いをしてしまう。
 程なくしてスタッフが戻ってくると、今度は私が入れ替わりで休憩へと入った。
 私は弁当と貴重品だけをもっていく。きょろきょろとあたりを見渡すが、落ち着いて食事をとれるような場所はなかなか見つからなかったため、御廟所の後ろに回って、ひっそりと幕の内弁当を食べた。
 食後はのんびりと店を見て回ることにした。イヤリングや髪飾りなど、女性の装飾品に疎い私にはそれらの違いが良くわからなかったが、琥珀や瑪瑙石といったパワーストーンの中には聞いたことのある名前のものもあったため、手に取って眺めていた。
「どうだい? 運気が上がると言われているんですよ」
 石が人の運気を上げる理由がいまいちよく分からない私は、「そうですか」と、曖昧な返事をした。
――おや、あの石は?
 様々な石が、キーホルダーやブレスレット、ネックレスと身に着けやすい形になっており、それらをゆっくりと見ていると、私から離れた場所できらりと光るものが、無性に気になった。
 前かがみになってその石を見ようとした矢先、そのさらに前方にそれ以上に気になる光景を見かけた。
――あれは……! 
 私の眼は、群衆の中に自然に溶け込む男女――加世氏と、朝永もとい浅井――の姿をぐっ! と、とらえた。
先日とは違い、浅井はグレーのパンツに臙脂色のニット、黒のチェスターコートを着ている。加世氏は見覚えのある濃い緑のロングカーディガンの下に、赤のタータンチェックのワンピースを着ていた。
「お客さん、どうされました?」
 店の人の声に、私ははっとする。私は前かがみになったまま、どことも知れぬ方向を向いていたのだ。
「あ……いえ、これをください」
 私はもともと気にかかっていた、石を拾い上げる。何であるかも気にせず代金を払い、商品を受け取る。
 私は慌てて彼らを探した。彼らは私が見ていた屋台の先を歩いていたのだ。私は身をかがめながら歩く。
 私に残された時間はあと四十分ほどであった。給料を得るからにはそれ相応の働きはせねばならず、それ故に休憩時間の超過などあってはならない。
 彼らは屋台で購入した淹れ立てのコーヒーを片手に歩いていた。私の距離からでは、会話は途切れ途切れにしか聞こえない。
 どういうわけか、今日は浅井からの誘いでここへ来ているらしい。
「……今日はありがとうございます。とても興味のあった演奏会だったので、ご連絡いただいたときはとても嬉しかったです」
 加世氏は、見上げるようにして浅井の目を見てそういった。
「いえいえ、こちらこそ、ついでに買い物にまでお付き合いいただき、ありがとうございます。今どきの子の好きなものとかよくわからなくて、正直助かります」
 浅井はにっこりと微笑んだ。普段もこれくらい愛想よくしていたら、周囲へ与える印象も変わるだろうに。
「妹さん、おいくつなんですか?」
「十八です。今、高校三年生なんですよ」
 はて、朝永に妹などいただろうか。姉がいるという話は耳にしたことがあったが、どうやら浅井には妹がいる設定ならしい。
「ハンドメイドなものが好きだっていうのは、持っているものをみて何となく分かったのですが、どうもすべて同じに見えてしまいまして」
「偉いですねっ。妹さんの誕生日をちゃんとお祝いするなんて」
「こういう時にポイントを稼いでおかないと、後でいろいろと文句を言われるんですよ」
 浅井は苦笑いをしながら言った。
 二人は御影堂の方へ向かってゆっくりと歩いている。この寺のメインストリートのような道を歩いているから、人通りは多い。私はそれに紛れて、二人の後ろをついていく。
 話を聞く限り、どうやら浅井には妹がいるらしい。何かの演奏会の招待状を渡すために加世氏と待ち合わせをした浅井は、そのついでに妹の誕生日プレゼントを一緒に探してもらっているようであった。
 ここならば我々の大学からも、加世氏の大学からも程よく離れており、知り合いに合う可能性は少ない。そう踏んで浅井は誘ったのであろう。
 こういった手作り市というのは女子学生にとっては楽しいものなのだろうか。ポーチや染物を見て、加世氏はどことなく目を輝かせていた。
「妹さん、アクセサリーとかはつけますか?」
 少し先を歩いていた加世氏は、振り返って浅井に訊ねる。
「そうですね……学校では校則で禁止されていてつけていけないみたいですが、休みの日はたまに」
「じゃぁ、イヤリングとかはどうですか?」
 加世氏は一つの店を手で示す。コルクボードでできたスタンドには様々なピアスが飾られていた。
「無料でイヤリング用の部品に付け替えてくれるそうです」
「なるほど」
 浅井はじっくりとピアスを見ていた。男の私から見ると、色味や形から必死にそれらの違いを探しているようであるのが分かった。
「ほら! これとか、かわいいです」
 加世氏は一つを手で示した。
 浅井はそれを受け取り、じーっと観察する。
「あ、いえ、ただの私の好みなんですけど……」
 表情の変わらない浅井に対して、加世氏は急に恥ずかしくなったのか、照れ笑いをした。
「こっちの方が女子高生ウケはいいかもしれません」
 そういって、他のアクセサリーも浅井に勧める。
 浅井はそれらを見比べた。男の私から見ると、どのあたりが女子高生ウケが良いのか、さっぱりわからない表情であるというのが分かった。
 浅井は結局、イヤリングを一組購入した。他の店も見て回り、ポーチと自家製の蜂蜜も購入する。
 途中で購入していたのか、二人は細長い芋けんぴを寺内のベンチで食べながら、休憩をはじめた。私もこっそりとその様子を木陰から見守る。
 傍から見ていると、平日にデートをしている立派なカップルである。触れそうで決して触れない肩が、むしろ付き合いたての初々しさのように見られた。いつもの朝永と加世氏のような、お互いに慣れ親しんだ関係とは微妙に違っていて不思議な感覚である。
 会話は私のところからは全く聞こえなかった。時折、笑っているような様子がうかがえるから話は盛り上がっているようだ。
――帰りに、芋けんぴを買って帰ろう
 ケサラさんが食べられるのかは分からないが、私はそう心に誓った。
――……ん?
 芋けんぴに気をとられていたからであろうか、私は妙なことに気付いた。
 細長いから自然に二、三本まとめて食べることになるわけであるが、浅井が丁寧にそれらをそろえてから口に運んでいたのである。
 これは……、これは朝永の癖だ。細長い食べ物や小さな食べ物を一本一本丁寧に向きをそろえて食べる癖は彼そのものであった。
 しかし、浅井はどうやらそのことに気付いていないようであった。これは困った。私はそっと彼らの後ろから近づいた。
 辺りに人は多くいるから、気配で気づかれることはなかった。
 しかし、どうしたものか。加世氏に気付かれないように、そのことを浅井に告げるか? 否、そんなことは無理だ。
 かといってこのままでは、加世氏がその癖に気付くのも時間の問題である。
「……そうなんです。京都には大学から来たばかりなので、あまり詳しくはなくて」
 段々と加世氏たちの会話も聞こえる距離になってきた。
「僕もです。どこか観光にはいかれましたか?」
「はい、大学の友人と一緒に、ある程度は」
「それはいいですね。僕なんていつでも行けると思うと、結局なかなか行けずじまいでして」
 なんだかんだで今年でもう卒業です、と浅井は苦笑いをする。
 なんだよ、その二歳年上設定、と私は心の中で呟いた。
「私は小さいころから家の事情で引っ越しをすることも多かったので。ちゃんとその地にいるうちに、その場所での思い出を作っておきたいと思っています」
 加世氏の言葉に、浅井は驚いたように目を丸くした。その後、ふっと穏やかに微笑んだ。
「……良い考えですね。僕も見習いたいくらいです」
 今度は加世氏が目をきょとんとさせた。そして、浅井をじっと見つめる。
「……どうしましたか?」
「いえ……浅井さんは、とてもお優しいんですね。どうして……」
 浅井は芋けんぴに手を伸ばしていた。加世氏の表情に、何やらハッとしていたようだが、私ももう我慢ならない。
ドガッ!
「すいません」
 私は後ろから浅井の肩に思い切りぶつかった。そのまま彼が持っている芋けんぴの入った紙コップを落とす。
「申し訳ありませんーっ! すぐに新しいものと取り換えてきますーっ!」
 私は顔をあげないで、声高に落ちたカップを拾い上げると、急いで新しいものを購入した。そして、背格好の似た手近なスタッフに、それを届けるようにと頼みこむ。
「……先程、うちのスタッフが落としてしまったようで、代わりといっては何ですが」
 スタッフが浅井に手渡したのは、大学芋であった。うむ、楊枝でつつくスタイルのこれならば、朝永の癖は現れまい!
「……あ、ありがとうございます」
 浅井は不思議そうに首をひねりながら、それを受け取った。
 私は時計を見た。休憩はあと十分ほどであった。そろそろ総門の受付へと向かう必要がある。
「風岡さん、ありがとうございます。おかげで何とかなりそうです」
 浅井は大学芋をつまみながら微笑んだ。
「ふふっ。お役に立てたようでよかったです」
 加世氏は浅井に言葉を返す。
「風岡さんは、もう見るものとかはありませんか?」
「はいっ、もう大丈夫です」
 二人は手早く休憩を済ませると、総門に向かって歩き出す。私もそちらへ向かう必要があったから、ちょうど良い。
 二人は釈迦堂や阿弥陀堂の横をゆっくりと通る。
 私はそのまま、速やかに本部受付の方へと戻った。自然な流れでパイプ椅子へと座り、そこからこっそりと二人を見た。
 黄色いジャンパーを着ているからか、私は手作り市の空気の中に馴染んでいるようで、彼らからは気づかれていない。
「風岡さん」
 総門近く、広場のようになっているスペースで浅井は立ち止まる。
「はい、今日はありがとうございます」
 浅井は加世氏の手に、小包を置いた。
「私に……ですか?」
 加世氏は目をぱちくりさせる。
「はい、よろしければ」
 加世氏は不思議そうにその包みを開けた。こちらからはきらりと光るのが見える。
「これは……、」
「今日、買い物に付き合っていただいたお礼と言ってはなんですが、是非受け取ってください」
 私は目を凝らした。
 加世氏は受け取ったそれをなにやら耳にあてている。どうやら、一緒に見て回った店でのイヤリングらしい。
「私こそ、今日は演奏会のチケットをいただいたのに、こんなものまで……、申し訳ないです」
「いえ、付き合わせてしまったのは僕の方ですから。それに、これはあなたによく似合いそうだったので」
 僕が身に着けられるものでもありませんし、貰ってやってください、と浅井は苦笑いで付け足した。
「では……」
 加世氏は深々と頭を下げて受け取った。
 そこで二人は今出川通りに向かって去っていく。何かの映画のワンシーンを見るようなむず痒さと、ここから先を見ることのできない残念さとで私はいっぱいになる。
「今日は雨が降らんでよかったですね」
 隣で退屈そうにそう言ったアルバイトスタッフに対して、私は「そうですね」と、返す。
 全てが終わり、冷静になったとき、右手がちりっと痛んだ。
 とっさに購入した石を、私はぎゅっと握りしめつづけていたようである。これは私にもわかった。
 私が購入した石は水晶であった。
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