第17話

文字数 4,365文字

 私はそそくさと着替えをした。いつもの黒のパンツに白のシャツ。その上からグレーのニットを被って、紺のダッフルコートを羽織る。
 彼女を移動用菓子部屋に丁寧に入れ、蓋を閉める。
「狭くないかい?」
「うん! かいてき!」
 私は彼女の言葉に安心して、下宿先を出た。
 私は小さめのボディバッグを肩に斜め掛けにし、彼女の入った箱を抱えて歩く。彼女の入った箱は外観も赤と緑の包装紙で装飾されており、フェイクのリボンであしらわれている。傍から見るとこれからあるクリスマスパーティのためにケーキを大事に運んでいる、ちょっと変わった人くらいで済むのだ。
 バスに乗って、三十分ほどで四条烏丸まで着く。やはり土曜日な上にクリスマスという要因もあるのだろうか、浮足立っている人でどこもかしこも混んでいた。
 私は彼らの間を縫うようにしてデパートに向かう。
 化粧品は匂いがこもらないようにと一階にあると聞いていたが、本当にであったのか、と私は妙なところに納得をしながら化粧品売り場をうろつく。当たり前であるが周りには女性しかいない。しかもデパートに来るような服装に気を遣っているご婦人ばかりで、明らかに私は浮いていた。
「……ねぇ、何かリクエストはあるかい?」
 私はすこしだけ箱の蓋を開け、こっそりと彼女に話しかける。正直、どの店舗に入ればいいのか、全く見当がつかない。
「んー、おいしそうなやつがいいかな」
「君……、ベビーパウダーは本来食べるものでないからな」
 私は頭を抱えて、とりあえず手近な店舗に入った。入った後に、はて、こんなお洒落な店にベビーパウダーは売っているのかと不安になる。
「お客様、本日はどのようなものをお探しでしょうか」
「えっと……、ベビーパウダー……いや、おしろいを探していて」
 きっちりと髪をまとめて制服を着た店員に話しかけられ、私は答える。
「女性へのプレゼントでしょうか?」
「はい。……彼女に渡そうかと」
 彼女は自称“レディ”であるから間違いはあるまい。
「おしろいということで、フェイスパウダーでもよろしいのでしょうか?」
「フェ……イス?」
「フェイスパウダーですと、ルースパウダータイプとプレストパウダータイプがありますが?」
 にっこりと対応をしてくれる女性の言葉が、私の頭には何一つ理解できず、いたたまれなくなった。
「すいません、一番おいしそうなものを……」
「えっ?」
「いえ、化学物質の少ない、体によさそうな粉を」
「でしたらこちらの商品などおすすめです。無香料で肌にも優しいルースパウダーとなっております」
 「はぁ……、じゃぁそれで」、と私は即決した。早くここから逃げ出したい。
 女性店員は恋人へのプレゼントと勘違いしているのか、綺麗な包装をして、メッセージカードまでつけてくれた。
「……一気に疲労感が増したよ」
「おつかれさまっ!」
 彼女はケタケタと笑いながらそういった。困惑した私の様子はしっかりと見えていたようだった。
 その後、デパートを出てどこか夕飯の食べられるところを探す。もう辺りは完全に暗く、私の空腹もそろそろ限界であった。
 ファーストフード店は若者でごったがえしており、かといってお洒落なレストランに入れるような格好でもなかった。
 私は烏丸通の方へ向かって歩いていると、四条駅への地下階段に目がいった。
「おっ、階段おりてみるの?」
聞いたことのある名前の看板に誘われて、地下二階まで降りてみることにする。
 シックな茶系でまとめられた喫茶店に私は入る。
「いらっしゃいませ。何名様で……」
「一人です」
 「ほんとはもう一人いるけどねー」と、小さい声で彼女が言うので、私は箱をこつんと叩いた。
 席が空いていなかったので暫く店の外で待ってから入る。通された三人掛けの席のうち、一つに荷物を、もう一つの机の上に彼女を入れた箱を置いた。店員に注文を告げ、運ばれてきた水に口をつける。
 時計を見たら、午後七時であった。少々、買い物に時間を使いすぎたようだ。
「加世氏たちはまだ食事をしていると思うが……」
 私は独り言のように、彼女に向けていった。
「そういえば、君も食事をするかい?」
 私は彼女へ向けて買ったフェイスパウダーを袋から取り出す。丁寧に包装紙を剥ぐと、更に箱で覆われていた。白地に細い紺の線で描かれた花の中央に商品ロゴが記されている。
「おいしそう?」
「おいしそう……なんじゃないかな?」
 箱と同じような花の彫りの入った本体の蓋を開けると、肌にぽんぽんするスポンジ(パフというらしい)の下に、真っ白の粉が現れる。仄かに甘い香りがするような気がした。
 蓋を開けた状態で、そっと彼女の入った菓子箱の中に入れてやる。
「わぁ……っ、きれい……!」
 彼女はきゃっきゃと歓声を上げた。
 暫くして「おいしいかい?」と、訊ねると、「まだたべてないー」と返事が返ってくる。
「おいしそうではなかったのかい?」
「ううん、一緒にたべようとおもって」
「……そうか」
 私はくすりと微笑んだ。
 程なくして、私も料理が運ばれてくる。時間も押しているので、ハヤシライスとともにコーヒーも一緒に出してもらった。
 私は丁寧に手を合わせる。きっと彼女も箱の中で手を合わせようとしているのだろう。
 ハヤシライスを一口頬張る。じっくりと煮込まれたルーの中で、グリンピースがぷちりとはじける。
「おいしいね。おいしいよっ」
 ケサラさんがこそっと顔を出して言う。
「うむ。私もだ」
 私は更に、コーヒーにも口をつけた。アラビアの真珠という名のコーヒーは、どのあたりがアラビアなのかはよく分からないが、苦味や酸味が強すぎず飲みやすかった。砂糖もミルクもあらかじめ入れられており、ちょうどよい状態に初めからなっていた。
「これは……追加の砂糖ということなのだろうか?」
 私はスプーンの上に置かれた一つの角砂糖を見て、首をひねる。きっとそうなのだろうが、特に必要がなかった。
「……これ、いるかい?」
 私は箱をこっそりと開けて、ケサラさんに渡した。
「かわいい」
 どうやら、彼女にとっては食べ物ではなく観賞用の用であるが、気にいってもらえたようだ。
 黙々と食べ進め、コーヒーも飲み終わったころに菓子箱の蓋を開けると、彼女も食事を終えたのか満足した表情をしていた。フェイスパウダーに蓋をして元のように袋に入れなおすと、私は席を立った。
 加世氏たちが立ち寄るであろうCOCON KARASUMAは、目と鼻の先にあった。どこもかしこも煌々と輝いており、人の数は一層増していた。
「寒くはないかい?」
 私の言葉に「だいじょうぶー」と、彼女は小さな声で答える。
その時、強い風が一陣ふき、私は思わず身震いをした。どうやら私の方が寒さに晒されているようだ。
箱をぎゅっと抱きながら、歩き進める。
……とはいっても、加世氏たちに見つからないように、彼女たちを探すにはどうすればよいのやら。
私にあまり来てほしくない朝永からは、大した情報をもらっていない。烏丸周辺をひたすら歩き回るしかないのだろうか。
「おや、櫻井君?」
「えっ?」
 私は聞き覚えのある声に振り返った。そこにいたのは……
「つばくろ……さん、ですよね?」
「他に櫻井君に話しかける着物姿の女性がいると思っているの?」
 そういわれると何も言い返せない。私に話しかける女性など、親族か加世氏、つばくろさんくらいである。
「いつもと少し、雰囲気が違いますね」
 つばくろさんはいつも通り着物姿であった。しかし髪はいつもと違ってアップにしており、着物もどこかきっちりとしたものであった。
「小紋といってね、全体に柄が規則的に散りばめられていてよそ行きにも使えるのよ」
 つばくろさんはコートの下をちらりとみせて説明をしてくれた。
「例のバーに行くところでしたか?」
「そう。友人と待ち合わせをしていたところにあなたを見つけたのよ」
 外は寒いわね、とつばくろさんは手に息を吐く素振りをする。袂から入ってくる寒気から守るためか、肘まである長い手袋をしていた。
「で、あなたは一人なの?」
 つばくろさんはニヤニヤしていった。あれだけクリスマスを馬鹿にしていたのに、結局来ているじゃないといわれているようであった。
「……つばくろさんが是非といったんでしょう」
 私は朝永のことを言えない手前、言葉を濁した。一人じゃないといえば一人でもないのだが、それも言えない。
「ふうん、で、もう見てきたの?」
「いえ、これから……ん?」
 コツッ、コツッと、手元から微かな音がして、私は思わずつばくろさんに隠すように背中に回す。
「ん? どうかした?」
「いえ! なんでもないですっ!」
 私は彼女に「何やってんだよ!」と、コツンとし返す。すると、彼女はさらに大きくガタガタと箱を揺らしだした。
「あの……っ! すいません、急いでいますので失礼します!」
 またしゃらくで! といって、驚くつばくろさんをよそに私は急いで立ち去った。ビルとビルの間にすかさず入り込み、菓子箱の蓋を開ける。
「全く、どうしたっていうんだい!」
 私が勢いよく走ったからか、箱部屋の中はぐちゃぐちゃになっていた。タオルは床に広がり、壁紙にと張った包装紙は微かに剥がれている。彼女は落ち着かないようにそわそわしながら毛づくろいをしていた。
「……あのひと、きらい」
「……え?」
 彼女は身体を床にこすりつけるような仕草をする。なんだか汚いものをなすりとっているような必死さがある。
「あの人って……、つばくろさんのことかい?」
 私の言葉に、無言で何度も頷いた。それ以上、彼女は何も言わなかった。ただひたすらに不安を埋めるように毛づくろいをしている。
――一体、どうしたものか……
 私は何が起きたのか分からず、困り果てる。
「……あの人が、以前話したつばくろさん。私たちの飲み仲間だ」
 私は彼女を落ち着かせるように話しかけた。
「もう一年以上の長い付き合いになる。変な人ではあるが、悪い人ではない」
見た目にもそれほど怪しい人には見えないのだが、何を不安にさせるのだろうか。
私は彼女の背中を撫でながら、しばらくじっとしていた。十分もすると、緊張した体が弛んできたのが分かる。
「落ち着いた?」
「うん……、ごめんね」
 私は「構わない。行こうか」と、私は人込みの中に戻っていった。
「大声出して、悪かったね」
 私は彼女にだけ聞こえるように言った。
「ん? ううん?」
 彼女はそれどころじゃなかったようで、覚えていないようであった。
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