第26話

文字数 3,836文字

「……とはいえ、どこから話したらよいのでしょうか」
 加世氏は頬に手をあてた。
 私は助け船を出す。
「まずは情報を共有しよう。先ほど、私が一方的に説明をしてしまったが、それに間違いはないかい?」
 出会いから、二人で会った場所まで、私が知らない情報がないとも限らない。
 加世氏は首を横に振った。
「はい。会ったのはそれで間違いないです」
「では、一つ一つの出来事について整理をしてみよう。学園祭で浅井と出会った時、どう思ったのか」
「どう思ったかですか……難しい質問ですね」
「ならば、きき方を変えよう。加世氏は“浅井”が“朝永”であるということには気づいていたのか?」
 私の言葉に、朝永はぴくりと反応する。
 一方、加世氏は「うーん……」と、益々困った表情になった。
「気づいていた……といえば、最初からなのでしょうか。ただ、正直なところ、確信はなかったんです。何となくそっくりな気もずっとしていましたが、何でこんなことをしているのかっていう疑問が解決されませんでしたから。本人が浅井と名乗っている以上、『朝永さんですか?』と訊ねるのも変な話ですしね」
 成程、なんとなく朝永ではないかと思いながらも、私とつばくろさんが現れるまでは、ずっとその証拠が見つけられなかったのか。
「何となくでも、朝永だと思ったのは、やはり顔や声からなのかい?」
「それも、自分ではよく分からないのですが……ほら、サラダのゲームと一緒です。初めて見た、全然違うものでも、なんとなくこれはサラダだって分かることがあるでしょう? そんな感じです」
 以前、話に挙がった哲学の話のことを言っているらしい。はっきりと言葉にできなくとも、浅井と朝永の間に、共通点を見つけていたようだ。
「では、疑問を頭に残しながらも、浅井との関わりが始まったと……。次は手作り市か。私がいたことには気づいていたかい?」
 加世氏は首をプルプルと横に振る。芋けんぴを食べようとした浅井を突き飛ばしたスタッフであることを告げると、
「えぇっ! あれ、櫻井さんだったんですかっ?」
と、加世氏は目を丸くして驚いた。
「そう、あの時、浅井が芋けんぴを揃えて食べようとしていたものでね」
「あぁ、なるほど、そういうことだったんですね」
 加世氏はくすくすと微笑んだ。
「……まて、どういうことだ」
 納得している我々に対して、朝永は首をひねる。
「お前、気づいていなかったのか? 食べるとき、細いものをなんでも揃えて食べているんだよ」
 私の言葉に、加世氏は面白そうにくすくすと笑う。つばくろさんも気づいていたのか、うんうんと頷いた。
「……そんなことを言われたら、今後一切、細長いものが食べられなくなるだろう」
と言って、目の前にあるイカソーメンを自分の傍から遠ざけた。
 ふと、朝永は加世氏の方を見る。
「……あの時、寂しそうに見えたのは、気のせいか?」
 そういえば、朝永は以前、そんなことを言っていたな。
「えっと……、あの時が一番、浅井さんが何を考えているか分からなくて……。どうしたらいいか迷っていたというか……」
 何となく朝永のような気もするが、よく分からない謎の男性。急に話しかけてきて、だが紳士的で物腰が柔らかい。
 できすぎた男故に、真意が分からなかったようだ。
「……それは、悪かった」
 朝永の言葉に「ううん」と、加世氏は微笑んだ。
 私は言葉を続ける。
「その後はクリスマスか」
「うん、その時には、もう正直、浅井さんの正体については吹っ切れちゃってて。色々考えるよりも、楽しんだ方がいいと思って」
 加世氏はにっこりと答える。
 浅井がお洒落に気を付けている分、自分もそれに合わせるようになったという。
「わざわざクリスマスに誘ったのは何故なんだい? イルミネーションは年中しているわけで、つばくろさんの言葉に触発されたとしても、あの日でなくても良かっただろうに」
「えっと……それは……」
 加世氏は私の質問に、少し顔を赤らめた。答えるのに少し迷ってから、
「イブは一緒にいることを決めていたから、クリスマスに浅井さんを誘ったら、二日連続で一緒にいられるかなって……」
 つい、欲張っちゃいました、と照れたように加世氏は微笑んだ。
「……」
 我々は思わず頭を抱えた。
 加世氏の考えていることは常日頃から分からないが、その考えは斜め上をいっていた。つまり、少しでも一緒にいたかったようだ。
「えぇ……、ということで、浅井とクリスマスをすごした、と。その後は浅井になったということで、朝永との連絡はなくなったんだよな?」
 私の言葉に、加世氏は頷く。
「試験期間もあったから、初めは気のせいだと思ったんですけど、こちらから連絡しても返ってこないことはあんまりなかったので……。でも櫻井さんに聞いても何も分からないっていうから、心配していたんです」
 その時のことを思い出したのか、加世氏はキュッと唇を噛む。
「申し訳ない、加世氏。私は君の見方でありたかったのだが、今回の件については朝永の事情も知っていたから手出しができなかったのだ」
「あとは先ほど、櫻井さんが話された通りです。ショッピングモールで櫻井さんとつばくろさんにお会いしたんです」
 加世氏から見た、今回の出来事が、大体わかってきた。
 半分気づいていたようなものだが、確かなことは分からず、ますます不安になっていたのは加世氏も同じだったようだ。
「お嬢さんは、そいつのことをどう思っておる? 正直、こんな面倒に巻き込まれて、別れたい気持ちもやまやまじゃろうに」
 大先生に“そいつ”呼ばわりされた朝永は、困ったように俯く。
 自らの漠然とした不安に巻き込み、彼女をも不安にさせたのだから、無理はない。
 加世は一瞬、きょとんとしてから、ふふっと微笑んだ。
「確かに、今回のことは素直に喜べるものではありませんが、面倒だとは思っていませんよ。寧ろ、今までいろいろと迷惑をかけていたので、その分が返せたのかな、と」
 春の早朝哲学の道と、夏の丑三つ時海水浴の分くらいは返せたかな? と朝永の方へ首を傾げる加世氏に対して、私は戦慄を覚える。ちょっと待ってくれ、海水浴の話は聞いていない。
 大先生も加世氏の性格を初めて知ったからか「ふぉっ……、そうか」と、危ないものを見るかのような目に変わった。
「それに、きっといい機会だったんです。何も言わなくてもお互いのことが分かるなんて、驕っていたわけではないですけど、それでもどこかで気持ちを言葉にしたりするのが照れくさくなっていたんですから」
 そういって、朝永に対して微笑んだ。
 私はこれほどまでに非の打ちどころがないカップルを、これまでに見たことがないと思っていたが、どうやら彼らにも悩みは尽きないらしい。
 そして、今回の件を通じて修羅場などは起きず、その打ちどころのなさは強化さえされたようだ。
「ばかっぷるなら、ぶっとばせたのにのぉ」
「全くです」
 私はしみじみという大先生にお酌をした。
「わしも話し合えばこんなことにはならんかったといわれればそれまでじゃが、そんなことは今更どうこう言ったところで仮定に過ぎない」
 大先生はそう言って、私の注いだ酒を一気に飲み干した。
「人の縁なぞ、生まれては消えていくのじゃから、いちいち気にしていてもしょうがないが、消えていくのが惜しいのなら、懇ろに扱うべきものなのかもしれんな」
 ぽつりと呟いた大先生の言葉に、全員が頷いた。
「それで、その……大先生」
 しみじみとした空気の中、加世氏だけが妙にそわそわとし始める。
「ん? なんじゃい?」
「そろそろ対価をいただきたいな……とっ」
 話をする代わりにという、あれだ。加世氏はへへっと照れくさそうに言う。
「勿論忘れちゃおらんぞ。なに、もうすぐじゃ」
 大先生は悠然と構えているが、机の上の料理はあらかた食べつくされていた。
 もうすぐお開きかという時間である。
 程なくして、無口なマスターが箱を持ってやってきた。
 スッとそれを机に置くと、空になった皿と共に静かに一階へと帰っていく。
「これは……」
 お洒落な赤い箱を、全員で覗き込む。
 開けてみろと言わんばかりに胸を張っている大先生に応えるように、加世氏が紐をほどき、蓋を開けた。
「わぁ……っ!」
 それは、チョコレートであった。四角いチョコレートの真ん中にはくぼみがあり、そのくぼみにはゼリーのような透明なものが詰まっている。
 箱には二十個ほどの一口大のチョコレートがあったが、チョコレートも、中のゼリーも、全てが微妙に違っていた。
 全員が、一度顔を見合わせて、違う味のものをつまんで、一口で食べる。
「……っ! お酒ですねっ!」
 頬張った加世氏は、嬉しそうに頬に手を添えた。
 中の透明な詰め物はジュレ状の日本酒だった。私が食べたのは、周りがビターチョコレートだったのだろう。
ほろ苦いチョコレートと日本酒が、意外なまでによく合っていた。
「これは京都の『祝』という酒米を使った日本酒でな。三条にある洋菓子店で買えるぞい」
 わしからのヴァレンタインじゃ、と大先生は二カッと笑った。
 成程、周りのチョコレートは升に見立てているということか。
 我々は黙々と味わい、一粒一粒の香りをゆったりと楽しんだ。
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