第29話

文字数 2,738文字

 アテなどあるはずがなかった。
 彼女と外出したのも数回だ。一人で抜け出すようなこともなかったから、行き先など分かるはずがない。
 自宅近くを走り回る。
 街灯の光にきらめくはずの柔らかなあの毛は見当たらない。
 私はどんどんと遠くまで足をのばしていく。しゃらくまでの道を戻ってみるが、勿論、彼女の姿は無い。
 嫌な汗がとめどなく出てくる。立ち止まっていると、その冷たさに我慢ならなくなるから、無理矢理にでも重たい足を引きずる。
 酔いが回って気持ち悪い頭の中で、ぼんやりと目の前に人影が見えた。
「つばくろさん……」
 私は荒い息に混じるように、目の前の街路灯の下にいる女性の名を呼ぶ。彼女の隣には、もう一人、人影があった。つばくろさんは、先ほど見たばかりの着物に冬物のコートを纏っている。
「やぁ」
 つばくろさんはいつも通り、愉快そうに手を挙げて、私に応じた。隣の猫目の男性は、ひょっこりと頭を下げる。
「どうしたんだい? こんな夜更けに」
「えっと……、ちょっと……」
 私は言葉がどもった。彼女のことを明かすわけにもいかず、自分がここにいるもっともらしい理由も思いつかなかった。
 つばくろさんは私の周りを少し見て、
「探しているんだね」
「……っ!」
 つばくろさんは「何を」とも「誰を」とも言わず、しかし、全てを分かっているようだった。悲しそうな表情をしているが、それは私の表情を映しているのだろうか。
「なにを……おっしゃっているんです……」
 私はなお誤魔化した。正直なところ、ここで捕まっている暇はない。
「急いでますので……ぜひ、またしゃらくでお会い……」
「探しているんだろう? 大事な存在を」
 走り出そうとした足が止まる。
「……」
「君がここ最近出会った、大切な人だ。いや、人と言ってはいけないな。大切な彼女を」
「……何で、分かるんです」
 私は、もう、どうすれば良いのか分からない。なにが起こっているのか。
 つばくろさんは、優しく私に微笑んだ。
「私も、同じだからなのよ」
「え……」
 つばくろさんは、隣にいる男性の腕をそっと掴む。
「君にとっての彼女は、私にとってはこの人なのよ」
「え……? でも……」
 目の前の男性は、いたって普通の人間だ。彼女のような柔らかい白毛もない。つばくろさんは、一体、何を言っているのか。
「彼女は、所謂、ケサランパサランと呼ばれるものよ。この人も同じ。私は便宜上“人”と言っているけれど、彼女と同じ、幸運を呼ぶものよ」
 つばくろさんは、隣の男性の方を見る。男性は細い目を更にキュッと細めて、ゆっくりと頷いた。
 そうだ、どこかで見たことだあると思ったら、クリスマスに浅井に話しかけた、謎の男性だ。猫目のモッズコートのこの男は、人ではないというのか。
「彼らは人の願いをかなえてくれる存在よ。一つだけかなえては、また他の人のところへ移っていく。そうして、寿命も子孫の繁栄も謎なまま、この世界にいるの」
 私がこの人と出会った時、彼は綿毛のような姿だったわ、と懐かしそうに微笑む。
「……」
 私は言葉を失った。彼女のことをケサランパサランではないかと考えていたこともあったが、ここ最近ではそんなことはどうでもよくなっていた。
 いきなり突きつけられた現実を、上手く受け止めきれない。
「彼女、私の近くにいると、気分悪くなかった?」
 私はハッと思い出す。確かに、クリスマスの時も、ショッピングモールにいた時も、気分が悪くなった傍には、つばくろさんがいた。
「私には既に彼がいるからね。彼女にとっては私は近づいてはいけない存在なのよ」
 同族嫌悪のようなものか。お互いの縄張り意識を本能的に大事にしているのかもしれない。
 私はつばくろさんたちの方へゆっくりと近づき、男性をまじまじと見た。彼は穏やかに私の方へ、会釈をする。
「そして、それは彼も一緒。その彼が今、平気そうにしているということは、あなたが主人ではなくなったということよ」
 つばくろさんは、はっきりと事実を突きつけた。
 そうか、つまり、彼女はもう、私のもとから離れたということか。
 丁寧に折りたたまれたハンカチ、綺麗に掃除された菓子箱から、なんとなく覚悟はできていた。彼女はもうあの場所に戻ってくるつもりはないと。
 そして、私には思い当たる節があった。
「君は、願いがかなったんだろう?」
 つばくろさんの問いに、私は頷いた。
「彼女にはよく言われました。“きみは、ずいぶんおひとよしね”って」
 おそらく彼女がかなえた願いは、「朝永と加世氏の仲が元に戻ること」だ。
 それがかなった今夜、彼女は私のもとを離れていったのだ。
 しかし……、
「彼女がいてこその望みだったのに……」
 彼女がいなければ、願いがかなったとしても、心が晴れることはない。
 まるで恋する少年のような台詞を、つばくろさんは笑わなかった。
「君は正しい使い方をしたと思うよ。他力本願な願いなんて、あぶく銭のようなものだもの。いつまでも大切に持っておいても、良いことはないわ」
「……つばくろさんの願いは、何なのですか」
 私はつばくろさんに訊ねた。つばくろさんのもとに、彼がまだいるということは、つばくろさんの願いは叶えられていないということだ。
 つばくろさんは隣の男性を見た。男性もそれに応え、一瞬、見つめ合う。
「私は……彼と共にいることを願い続けているのよ」
「まさか……」
「その時から、私の時は止まっているの。彼を繋ぎ止めて、ずるい約束をしている」
 つばくろさんは、悲しそうに微笑んだ。良くないことだと分かっていても、それが一番の願いなのだ。
「私は、彼といることが一番の幸せさ」
「私も……」
「いや、違う。君は、“彼女がどこにいても”幸せさ」
「……」
 そう言われて、私は何も言えなかった。
 “お人よし”であり、“傍観者”であるということは、結局そういうことなのだ。
 自分だけが幸せであればいいと願い続けるのは、覚悟が要ることなのだ。
「私は、もう後に引けなくなっちゃったのよ。過ごす時間が長ければ長いほど、決心が鈍る……」
 つばくろさんは、隣の男性の腕を、掴みなおす。
「彼女のことは、夢の一部のように思った方がいい。酔いに浸って見た、幻なのよ」
 私は頭がくらくらとしてきた。容量を超えた情報と、走り回って身体を巡った酔いが、一度に頭を襲う。
「彼らは次の人を探し、宙を揺蕩っている。それを繰り返すのが、彼らの正しい生き方なのよ」
 私はもう限界だった。つばくろさんの言葉は、頭の中で何重にも響き、涙とともに視界は揺れた――。
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