第23話

文字数 4,032文字

 私の期末試験の結果など、言うまでもないだろう。もはや、答案用紙に何を書いたかすら、覚えていない。
 どうやら、朝永が目の前からいなくなったということは、結構堪えたらしい。
 あの後、何度か朝永の携帯に連絡を入れたが返事は無く、試験期間を終えた今も、食堂で昼食をとることも、しゃらくへ行くこともなかった。
 加世氏はどうしているのだろうか、つばくろさんは今年は単位をとったのだろうか、思うことは色々あるが、私は彼女たちの連絡先を知らなかった。
 どれもこれも朝永や、彼との集まりを通しての知り合いだったのだと思い知り、余計悲しくなる。
 私はいつもより多く眠った。日が短いのをいいことに、食事もそこそこに、眠れるだけ眠っていた。
 春休みに入ったころであった。
 私が重たい身体を布団の中に埋めていると、ケサラさんが私の頭をぽんぽんと叩いた。
「……どうした?」
 私は頭だけを上げ、彼女の方を見る。
 ケサラさんは、私の方をじっと見て、
「あ……あのね」
「うん」
「そろそろ、あたらしいごはんがほしいな……って」
「えっ?」
 私は思わず勢いよく体を起こした。
 彼女の住処を見ると、クリスマスに購入したフェイスパウダーはまだ十分に残っている。
「あれ、気に入らなかったかい?」
 彼女はぶるぶると身体を震わせた。
「ううんっ! ちがうの! あれは“とくべつ”なものだから、ふだん用のものがほしいなって、……だめ?」
「……君は、つくづく“小悪魔”だね」
 私は思わずため息をついた。そんな嬉しいことを言われて、「だめ」といえる男がいるだろうか。
「分かった。じゃぁ、今日買い行こうか」
 私はようやく布団から体を出した。暖房が効いているとはいえ、冷たい風がどこからかふいてくる。
 しかし、何処か気持ちは軽かった。彼女の提案が、私の気持ちを紛らわしてくれているのは明らかだ。
 いつもの黒パンツに白シャツ、その上から黄土色のニットといつものジャンパーを羽織り、家を出る。
 とはいえ、化粧品をどこで買えばよいのかなんて私は、とりあえず近くのショッピングモールへと向かう。
 クリスマスの時の移動可能住処に彼女に入ってもらい、自転車の前かごに乗せる。
 向かうのはカナート洛北と呼ばれる複合施設だ。
 下宿先から白川通を北上し、大学の前を通り過ぎる。暫くして今度は左折して、北大路通りをひたすら真っ直ぐに進んだ。
「寒くはないかい?」
「かいてきー」
 私はカゴに振動がいかないようにしながら、ゆっくりと進む。 
 二月だから、風は凍えるように寒い。雪こそ降っていないが、耳の感覚はすぐになくなった。
 私は黙々と自転車を走らせていたが、店に近づいてきたころに再び口を開く。
「鴨川は、春になると河川敷に桜が埋め尽くされるんだ」
「へー、きっときれいなんだろうね」
 彼女の声が聞こえる。箱の中に入っているからか、少しくぐもっていた。
「まぁね。だが、同じくらい人で埋め尽くされる」
 ここは私の大学からも、京都大学からも近いからか、春には新歓イベントの花見も相まって人でごった返す。
 かくいう私も去年の春には場所取りで夜中から駆り出された。ライトアップされているわけではないから夜には桜は見えないし、昼になると新入生への対応に追われて上を見る余裕もなかった。
「まぁ、君に言わせると、どこに行くかではなく、誰と行くかが重要なのかもしれないけれどね」
「そういうことだよ」
 ケサラさんはころころと微笑んだ。
 店内に入り、フロアマップを確認する。
 化粧品店はいくつかあり、私は若い女性が入っていく店を選ぶ。
「もう覚えたぞ、フェイスパウダーというやつを選べばよいのだろう?」
 私は自信を持っていう。
「プレストパウダーをえらんじゃだめよ。ルースパウダーじゃないと」
「……そういえば、そんなことを……言っていた……な」
 途端によく分からなくなった私は、言葉をすぼめ、彼女は「ふふふっ」と笑った。
 適当にいくつか選んで、テスターを彼女の住処に少しだけ入れてやる。
 こうやって見ていると、容器が花模様や鮮やかな色合いなどあるが、容器が可愛くても自分が綺麗になるわけではないんじゃないだろうか。
 そのことをテスター中の彼女に言うと、
「そんな情緒のないこと、レディにいったら、ぶっ飛ばされるわよ」
と、睨まれた。
 私は無言でこくこくと頷き、彼女の満足いくまでひたすら待った。
 ケサラさんは無香料、無着色料のシンプルなものを選んだ。結局、それが一番おいしそうだったらしい。
「ありがと」
 クリスマスの時のものと比べて、値段はぐっと安いものであるが、彼女は嬉しそうに箱を抱えていた。
「いえいえ」
 私はついでにと他の店も見て回る。特に欲しいものがあるわけでもないが、足りなくなりそうな食器用洗剤を購入した。
 昼食はフードコートへ向かう。流石に人の多いところで彼女と会話をするわけにもいかないから、黙々とハンバーガーを購入して席に着いた。
 土曜日だからか、ファミリー層が多かった。もしくは友人や恋人と来ている高校生や大学生であろうか。
 私は彼女の入った箱を向かいの席に置き、「いただきます」と小声で言った。
 彼女も箱の中で食事をしているだろう。もそもそと動く音が微かに聞こえる。
 彼女の方がすぐに食べ終わったようで、私は慌てて食べてしまおうと、大きく口に含んだ。
 ファーストフードを食べるのは何だか久しぶりだ。普段は、食堂や大学周辺の定食屋で済ませるから、ジャンキーな味が妙に舌を刺激した。
 その時、コツコツと目の前で小さな音がした。
 どうやら彼女が壁を叩いたらしい。
「どうしたんだい……」
 私は声を潜めて彼女に話しかける。片手にはハンバーガー、もう片手には炭酸のジュースだ。
「あれ……、例のおとこの子とおんなの子じゃない……? あと、なんだか……、空気がきもちわるくなってきた」
 私は箱の蓋をそっと開ける。彼女の目線の先をたどると、確かに、かろうじて浅井と加世氏の姿が見えた。
「よく見えたな。だが、ここからだと話し声が何も聞こえない」
「ううん。すこしだけど、きこえるよ」
「本当に?」
 私は驚いて聞き返した。彼女は頷く。
 どうやら彼女の視力と聴力は人並み以上ならしい。
「もう、ヒトめせんでものを言わないでよ」
と、心を読んだ彼女に言われた。
「……で、どんな話をしているんだい?」
 私が急かすと、彼女は声音を少し変える。
――最近、元気がないようですが、どうかなさったんですか?
――……いえ、あの、……そう見えますか?
――……何かあったんですか?
 浅井は少し首を傾げる。
 対して加世氏は俯き加減だ。
――いえ……、私に何かあったわけではないんですけどっ……、知人とあんまり連絡が取れなくなって。
――……大学のご友人ですか?
――いえ、高校からの知り合いで……大学は別々なんですけど。
――……。
――私が何かしてしまったのかなって……。心当たりが全くなくて、でも話し合おうにも連絡がつかないから……。
 「わわ、おんなの子のほう、ちょっと泣きそう」と、ケサラさんは慌てたように呟く。
 いきなり恋人と連絡が取れなくなったことを、加世氏は自分が悪いのかもしれないといった。
 相手に非があるとは一ミリも考えていないようである。
――……って、ごめんなさい。浅井さんにそんなこと言ってもご迷惑ですよねっ! 忘れてください。
 加世氏は顔の前でひらひらと手を振る。 
 きっと、作り笑いをして浅井に心配かけまいとしているのだろう。
――僕なら……。
――え……?
 加世氏は顔をあげた。
 浅井は彼女をまっすぐに見つめる。
――僕ならそんな顔、させませんよ。
――浅井さん……?
 加世氏と浅井は見つめ合う。
 辺りは週末を楽しむ家族たちの声が漂っており、誰も彼らのことを気には留めていない。
――ええっと……、ごめんなさい。気を遣ってくださったんですよね。浅井さん、優しいから。
――……僕が優しいとしたら、それは風岡さんに対してだからですよ。
 浅井は加世氏を見据える。
――……。
――僕だったら、あなたにそんな悲しい思いをさせません。
 浅井の手が、机の上に置いていた加世氏の手に乗る。
 加世氏はビクリ、と身体を一瞬縮こませた。
――あの……っ! 浅井……さん……っ。
 私は思わず右手に持っていたハンバーガーを机の上に落とした。パンとパティ、レタスがばらばらに崩れていく。
 あの阿呆、あとで昼食代をまとめて請求してやる。私は飲み物も置き、勢いよく立ち上がった。
 ケサラさんは置いてきたから、何を話しているのか初めのうちは分からなかったが、彼らに近づいていくうちにだんだんと聞こえてくる。
「……浅井さんっ! あの……っ」
 浅井は加世氏の手に、自分の指を絡める。加世氏は顔を赤らめ、どうしたらよいのか分からない風であった。
「連絡してこないのは、何か理由があるのかもしれませんね。不安だから、そのことで頭が一杯になっているのでしょう?」
 浅井は、スッと加世氏の手を取った。
「だったら、他のことで頭が一杯になればいい」
 自らの方へその手を引き寄せ、自分の口元へと持っていく様は、外国の映画のようだ。
 何が起きているのか分からない加世氏と、スッとその熱い瞳を細めている浅井の姿を見て、私は足を速めた。
 辺りは家族連れが賑やかに食事をしている。その間を縫うようにして、私は腕を伸ばし、
「ちょっと待ったーー‼」
 私が浅井の頭をぐいと後方に押し倒した時、そんな彼の腕をぐいと捻じ曲げる影があった。
「……え?」
 浅井と加世氏、そして私とつばくろさんが一堂に会し、各々が言葉を失った。
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