第5話

文字数 2,884文字

 入学式当日、気温は然程ではないものの、午前中から既に夏の下準備といった日差しが照りつける。

「じゃ、後でね」

「ん」

 歩けるようになるまでは、お父さんに車で送ってもらうことにした。
 というのも、駅から歩いて学校近くまでの道のりは平坦なのだが、校門までのおよそ80メートル弱のその坂道の傾斜は、今の私には中々の難所になると思われたからだった。
 
 ――男女共学の学び舎、筑清(ちくせい)学園。
 
 文武両道を重んじるこの学校は、創立から僅か十五年と日が浅い。
 なので、その校舎もまだ新しい雰囲気が漂い、何処か透き通った香りを感じる。
 入学前、この学校の一番気に入ったところ。
 それは、テニス部がないこと。
『これなら嫌な思いばせんで済む』、そう思った。
 紺のブレザーは志望していたところよりもずっとオシャレで可愛かったし、赤と黒のチェック柄のスカートも良い。 

「お父さん、スーツ着ると格好よかよ(笑)」

「そうか? 着なれんけん、なんだか落ち着かん(苦笑)」

 今日は娘の新生活の門出とあって、お父さんは髪をセットして髭もしっかりと剃っていた。
 そしてそんなお父さんは一旦ショップの方に立ち寄ってから式に参加するということで、今は私の支度が整うのを校門手前に車を寄せて、ハザードを出してのんびりと待ってくれている。 

『……』

 私はお父さんが大事にしている軽車から降りる前に、この忌々しい傷痕を隠す為、もう一度、黒いソックスを膝に掛かるよう目一杯に引っ張り上げて、その上に装着しているソックスよりも濃い色のスポーツ用サポーターでしっかりと押さえ込む……。
 膝のサポーターについては、いずれ外そうと考えているので、どうやってこの部分の傷痕を隠そうかと、今から悩みの種になっているのだけれども、今はとにかく前向きに考えることにしていた。

「――よし!」

 気合を入れて、歩行者の確認をしてから松葉杖を車から先に降ろし、その軽いドアを片手でパタンと閉めて、校門へと向かって歩みを始める。
 
「……」

 そうして緊張を伝えるようにして杖の先でコツコツという音を鳴らしながら校門の前へ辿り着き、先程からそこに立っている先生らしき人に「おはようございます!」と首筋に力を入れたまま挨拶を送り、そしてその門を潜った。
 
 すると――「は?」
 
 私は、見てはいけないものを見てしまった。

「なんで?」

 そう、なんで、、ここに、、、

「テニスコートがあるとっ!?」

 校庭に入った直ぐ左端、綺麗なフェンスに囲まれた、グリーンのテニスコート……ハードコートが一面、そこに存在していた。
 それもよく見ると、デコターフという、全米オープン等で使用される一面あたり一千万円ぐらいすると聞いたことのある、そのコートが――

「……」

 私は頭が真っ白になりかけたけど、テニス部はないと聞いていたので、コートなんて見なかったことにした。

「え~、これから担任を務める鴨志田(かもしだ)です。よろしくお願いしますねぇ」
 
 体育館で行われた入学式も無事に終わり、それぞれのクラスに場所を移す。
 入学式では、お父さんが何処にいたのか見つけられなかったけれど、どうやら入口付近にいたようだ。
 そして式の間、私はお爺ちゃんの存在を檀上に腰掛け居並ぶ中に直ぐに見つけて繁々と眺めていたのだが、お爺ちゃんはチラリとこちらを見たきりだった。
 でも、きっと私が孫であることに気付いたと思う。
 何故なら一瞬だったけど、きっちりと目が合ったように感じたから……。
 そのお祖父ちゃんの顔立ちはというと、お母さんからは全く想像が出来ないほどに強面だった。
『お母さんは、お祖母ちゃんに似とったっちゃろうか?』と、そんなふうに思った。
 そして体育館から出る時には、「理事長、出てくるげな珍しかねぇ」、「なんかあったっちゃなかろうか……」という先生達の会話が洩れ聞こえ、一体、お爺ちゃんはどんな存在なんだろうかと、少し額に汗を掻く気分にもなってしまった。
 それにもしかすると、お父さんは、そんなお祖父ちゃんに気を使って存在感を消していたのかもしれない……と、そうも考えた。
 
「えぇっと、今後の予定ですがぁ――」
 
 担任の先生は、のんびりとした雰囲気の三十代ぐらいの男の先生で、教科は理科とのことだ。
 博多弁が出ないところをみると、おそらく県外、それも九州以外の人なのだろう。
 校舎はというと三階建で、一年生が三階の教室で、私は1-Bにいる。
 なぜ三階かというと、「二、三年生より若いから、階段も元気に上れる」ということなのだそうだが、今の私にとってそれは大変迷惑なことであり、初めて上る時には、案の上、階段経験のなかった私はつい心の底から舌打ちするほどに手こずってしまった。
 その階段には手すりがなく、一段一段、扱い慣れた筈の杖を確かめながら慎重に上っていくことになったのだが、それでも二階の途中でバランスを崩しかけて、危うくそのまま後ろへ転倒するところだった。
 そして恐らくそういった危なっかしい雰囲気が出ていたんだろう。
 古賀原弥生(こがばるやよい)さんという、長い黒髪を後ろで束ねた大人しい雰囲気の女の子が、スッと私のことを後ろから支えて助けてくれた。

「あ……ありがとう」

「気にせんで」

 そんな短い会話だったけれど、この子とは仲良くなれそうな気がした。

「♪」

 そして今、おそらく座高の高さもほぼ一緒の彼女に、私はさり気なく微笑みかけて小さく手を振る……すると彼女も直ぐにそれに応えてくれた。
 私が窓際の真ん中の席で、古賀原さんはちょうど反対、廊下側の席でクラスメートだった。

『心機一転……やね』

 私はこれからの学校生活に期待しつつ、教壇に立つ先生の話を右の耳に収めながら、ふと視線が外へと向いた。
 そこには青空が広がり、学校の周囲には、生命力豊かに樹々が生い茂っている。
 そして高台にあるこの学校からは、博多のちょっとした街並みも視界に広がっていて、時折、福岡空港から飛び立っていく飛行機の様子も景色の一部となっていた。

「……」 

 ふいに、視野に入れないようにしていたテニスコートを目にしてしまった。
 私は鼻で溜息を浅く吐き出し、『テニスは好かん』と、機嫌を損ねさせた人工的な青と緑の色を見下した。
 後日わかった事だったが、妙に存在感のあるあのコートは、お祖父ちゃんが私的に作ったものだそうだ……。
 噂によると、その所為でプールを作る予算が無くなってしまったという話もあるらしい(汗)。
 それにお祖父ちゃんは大のテニス好きで、年齢別の大会にもよく出場していて、遠征なんかもしょっちゅう行っているということだった。
 その話を聞いた私は、今度は血の繋がりというものに、ガクブルと凍りつく思いになる。

「――好かん」

 ポツリと呟き、そんな私の高校生活が始まった。
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