最終話

文字数 6,283文字

「君は、私のどこが好きなん?」

「えっ!?」

 私はそもそも論に辿り着いていた。
 ここ最近では一番体調の良いかなたと一緒に、11月としては季節外れな程に暖かな陽気の中、病院にある庭のベンチに腰を落ち着かせて、お昼の微睡む日差しを浴びながら二人で語り合っていた。

 かなたの容姿は、病気の悪化を更に感じさせるもので、もう、骨と皮だけに近いような状態だった。それに今では、髪の量もすっかりと減ってしまい、頭皮が露わになってしまっている。

 けれどもそんな中、今日のかなたはここまでしっかりと歩くことができていた。

 回復の兆しに、私達は微笑み合う。

「どこって、言われてもなぁ……」

「なんそれ(笑)」

「だって……全部だから(照)」

「恥ずかしいやん!」

「ヘヘ♪ ん~~でもあえて言うなら、例えば最初に会った時、栞ちゃん、僕のこと助けてくれようとしてたでしょ?」

「うん。だって、急にうずくまったように見えたけん」

「あの時、自分だって怪我して大変だろうに、それでも僕の方を見て心配してくれてる姿を見て、『あー、あの子は自分のことよりも、人のことを大切にする子なんだろうなぁっ』て、そう思ったんだ」

「そげなことなかよ。私はいつだって自分のことばっかりよ」

「そんなことないよ。だって栞ちゃん、〈テニスは好かん〉って言いながら、栞ちゃんのお祖父ちゃんや古賀原さん、それに僕がお願いした時だって、テニスしてくれたじゃない。自分のことしか考えてない人は、そんなこと出来ないよ」
「……」

「それに、栞ちゃんは最初から真剣に僕にぶつかってきてくれた」

「あれはただの八つ当たり(苦笑)」

「ううん。ただの八つ当たりなら、言いっぱなしで僕の話に耳を傾けることなんてないと思うし、あんなに長く目を合わせることも出来ないよ……確かに僕はどこかでテニスが他の人より上手に出来ることに対して、鼻に掛けるようなところがあったと思う。テニスが強いお蔭で、一目置かれることもたくさんあったんだ……。だからテニスが出来なくなった僕は、急に何もかも失ったような気がして、ずっと怖かったんだ」

「……」

「だけど、そんな僕のことを栞ちゃんは受け留めてくれた……本当に嬉しかった。『こんな素敵な女の子に出会えたのなら、病気も悪くなかったのかな……』って、そう思えたんだ」

「私も……私も怪我ばしたお蔭で君に出会えた。それは私にとって、とってもとっても大切なことばい」

 そしてかなたは少し顔を強張らせながら俯き、握力もすっかりと落ちてしまい、老人のように艶のない皺だらけのその手を膝の上でキュッと握り締めたあと、「ありがとう……あの……だから、もし、もし栞ちゃんさえイヤじゃなかったら、ずっとずっと……僕と……その……一緒に……いて、欲しい…………です」と言った。

 最後の方は、以前と同じように尻すぼみとなっていっていたけれど、その言葉は、私の心に強く強く突き刺さる、透明感のある言葉だった。

「それって……プロポーズ?」

「って、ことになっちゃうのかな……」

「……」

「……」

「よかよ」

「ウソ!?」

「ウソてなんね?(笑) ウソの方がよかと?」

「ううん、すごく嬉しい! けど……本当にいいの?」

 私は小さく、けれども力強く頷いた。
 そんな私の仕草を見て、かなたの顔色は、先ほどまでに比べて血色がよくなったように思う。

「ありがとう! じゃあ、一日も早く元気にならなくちゃ!」

「そうやね! かなたが元気になったら、また皆で一緒にテニスするばい♪」

「……」

「……? どげんしたと?」

「今、【かなた】って……」

「……だって彼氏なんやし、将来の旦那様なんやけん……よかろうもん(笑)」

「――!? ぅん……うん!」

『……』

 私が喜びコートで叫んでいた時には、もう、かなたは何も聞こえてはいなかったようだ。たぶん、私の表情を見て安堵していたのだろう。
 状態が悪くなっていっていた中、必死でボールを追いかけ、私に懸命に声を掛け、そして奮い立たせてくれて、勝利まで届かせてくれたかなたの私に対する想いに、私は抱き包まれような掛け替えのない想いになる。

『これから先も、必ず、ずっとかなたと一緒に歩いて行く』

 私は固く、そう心に誓う。

「♪」

 そうして私達はお互いの瞳の中に自分を映し出して、明日への幸せを垣間見た。



 ――そして、その日が、生きているかなたに会えた、最後の日となった。



 翌、未明に美紀さんから連絡が入り、かなたの容態が急変して昏睡状態に陥ったという知らせを受けて、私は直ぐに病院へと駆け付けた。
 けれど、そこにはもう、既に息を引き取ったかなたが、穏やかな表情で眠るようにして横たわっているだけだった。

「……うそ……やろ……?」

 私はその場で泣き崩れた――

 それから数日後、かなたの通夜が今にも降り出しそうな曇天の空の下、しめやかに執り行われて、先生や学校の皆も葬儀に参列する。
 焼香の順番を待っていると、かなたのご家族の方々と目が合ったので、私は精気なく(しお)れたままに一礼した。

「……」

 その後、あの溌剌とした笑顔を思い浮かべながら、冷たくなっているにも関わらず、今にも動き出しそうなかなたのことを焦点の定まらないままに覗き見る。

『なんしよっと? (はよ)起きんと、皆でテニスできんばい……。明日の朝、ため蔵くんば天井にぶつけて起こしちゃあけん、ちゃんと部屋に()らんといけんよ?』

 そっと別れ花を左頬の直ぐ横に供えながらも、そんなことを考えていた……

「――中牟田さん」
 
 車に乗せられるかなたを見送る為に外へ出ると、何処からともなく隆哉さんに呼び止められる。

「……はい」

 今日はありがとうと言って、隆哉さんが(やつ)れ切った様子で重そうに見える口を開いた。

「これ、かなたから預かっていたんだ」

 そういって、隆哉さんは私に茶封筒を見せてくれた。

「……」

 そこには、やっとの様子の字で、〔栞ちゃんへ〕と書かれていて、裏には、甘露寺かなたと書かれてあった。

「もしかしたらかなたは、どこかで自分の最期を悟っていたのかもしれない……。〈何かあったら、必ず渡して欲しい〉そう頼まれてね。私はかなたの真剣なその表情を見て、黙って受け取ったよ……それで、もし、中牟田さんが辛いようなら――」

「――ありがとうございます」

 私はそれだけを伝えて、隆哉さんの手から引っ手繰るようにして、直ぐにそれを受け取った。

 ――そうして抜け殻を見送った後、私は独り、あの公園へと足を運んだ。

「……」

 長椅子に腰かけ、中から便箋を取り出し二つ折りのその手紙を開く……
 
 そこには、かなたの生きづく想いが、びっしりと綴られていた――

〈こんにちは……こんにちはで始めればいいのかな?笑
 この手紙を栞ちゃんが読んでいるということは、僕は死んじゃったんだろうね。
 本当は読まれずに、こんな手紙は無かったことにして、栞ちゃんと、ずっとずっと一緒にいたかった。
 だけど、それは叶わないようなので、ちゃんと書きます。
 (僕にとっては、すごく)短い間だったけど、本当にありがとう。
 栞ちゃんと出会えたことで、競技としてのテニスから遠ざかってしまっていた僕にも、生きたという実感が持てました。
 ずっとテニスだけをやってきたから、女の子を好きになるなんて、思いもしなかったw。
 中学三年生の夏から突然病気になって、何においても様子をみながらしか生活できなくて、明るく振る舞わなきゃって無理に頑張って・・・
 そんな僕に、栞ちゃんは本当の気持ちでぶつかってきてくれたよね。
 とっても嬉しかった。
 だから僕も最後になってしまうこの手紙で、本当を栞ちゃんにぶつけます。
 
 これから栞ちゃんは、まだまだ生きていってください。
 そして、ずっと笑っていてください。
 栞ちゃんは、仏頂面より、不機嫌な顔より、不貞腐れてるより、泣いてるより、なにより笑った顔が、一番可愛いから。
 それに、恋もしてください。
 結婚もして、元気な子供もたくさん産んでください。
 幸せな家庭を気付いて、素敵な老後を過ごしてください。
 そうして、「良い人生だった。」そう言って最期を迎えてください。
 本当は、僕が生きてさえいれば、栞ちゃんとそうした時間を歩みたかった……
 他の誰にも渡したくない。
 僕だけの栞ちゃんでいて欲しかった

 辛いよ 辛すぎるよ  怖いよ   助けてよ

 テニスだって、世界で通用するくらいにまでなっていたかもしれない。
 グランドスラムだって、優勝したかもしれない。
 身長だって、体格だって、もっともっとしっかりしてたかもしれない。
 だけど、どんなに嘆いても、喚いても、その日が来ちゃうかもしれない。
 そうして書いてて思う。
 ううん、辿り着く想い。

 死にたくない。栞ちゃんと、ずっとずっと一緒にいたい・・・・・・

 それと、もう一つ。
 それは、僕のお願い聞いてくれませんか?ということ。
 僕が描いた栞ちゃんのそんな人生の中で、僕の事を思い出してくれる時間を作ってくれませんか?
「ああ、そんな奴もいたな。」って・・・
 栞ちゃんの心の片隅に、ほんの少しだけ居させてくれませんか?
 どうしても、僕のこと忘れないでいて欲しいです。
 それが、僕のお願いです。

 ――でもやっぱりこんなのイヤだよ!
 
 絶対絶対死にたくないよ!
 
 最後の最後まで、僕は絶対に諦めない!!
 
 ずっとずっと栞ちゃんといたいんだ!!

 …………だけど、もしも伝えられないままに死んじゃたりするのは、もっともっとイヤなので、、、、

 中牟田 栞さん。本当に、本当にありがとうございました。

 栞、大好きです

                        甘露寺かなた 


「……」

 手紙を持つ手が震える。

「もう、漢字まちがえてから(笑)」

 涙が止まらなくて、手紙を濡らさないように気を付ける。
 それでも、私は笑顔を作った。
 だって、君が書き残してくれたんだもん。
〈笑った顔が、一番可愛い〉って。
 だからどんなに泣いていても、笑顔を作る。
 約束するよ……
 もう絶対に、あの頃の私には戻らないし忘れたりなんかもしない。
 以前観た映画の主人公の女性は、可哀想にも彼のことを忘れていってしまったけれど、私もかなたも、そんなことは決してない。
 だって、私の中にはこれから先も、ずっとかなたがいるんだから……。

「私のこれから、ずっと見とってね」

 そうして私は手紙をブレザーのポケットの中へ大切に仕舞い込み、重い体を引きずるようにして動き出し、目に留まったお稲荷さんに、あるだけの小銭をお賽銭箱の中へ投げ入れて、その薄汚れた鈴緒を揺り動かして鈴を鳴らした。

 初めて聴いたその音色は、錆びついていたけれど、とても心に沁みるものだった。

 私は目を閉じ合掌する。

「今日まで、かなたと素敵な時間を過ごさせて頂き、ありがとうございました。そしてこれからも、私とかなたにとって、良い日になりますように……ううん、良い日にして行きます!」
 

 ――そして私は、そのまま顔を上げることが出来なかった。

 
 蘇る、数々の想い出……

 かなたと過ごした日々。
 かなたの笑った顔。
 かなたの笑窪。
 かなたの白い腕。
 かなたの揺れる髪と少しの白髪。
 かなたの洗練されたプレー。
 かなたの泣き顔。
 かなたの唇。
 かなたの想い。
 
 かなた、
 
  かなた……
 
   かなた――。

 合わせたままの手の平が、小刻みに震える……

「ごめん……ごめんね、かなた。今さっき約束したばっかしやけど……ほんの少し……ほんの少しだけ、約束、先延ばしにしても……よか? 今だけにするけん、私……私…………泣くっ――!」

 私は賽銭箱にしがみ付き、嗚咽を漏らし、そして泣き崩れ慟哭した。

「どうして私の大切なものばっかり奪うとよ!? どうして私の人生辛くするとよ!? どうして幸せでいさせてくれんとよ!? どうしてこげな思いばさせるとよ!? どうして笑顔でいさせてくれんとよ!?……ねぇ、どうしてよ………… 返してよ……返してよ。私のかなた、返してよ……ねぇ、返して…………返してよーーーーっ!!」

 私が泣き叫んだことで罰が当たったのか、空からポツリポツリと雨が落ちて来て、そしてあっという間に激しい雨へと変わり、私の心と体に容赦なく打ちつける。

「かなたーーーーーーっ!!」

 誰もいない公園の中、私には、かなたの壁打ちをする音が、微かに聴こえるような気がしていた――


 ――蝉の鳴き声が、私の言葉を掻き消す。

「……暑かねぇ。君は、そっちで無理しよらんね?」

 焼けついていそうな墓石を前に、私は一人微笑む。
 今、私はかなたのお墓の前に、お母さんと同じようなワンピース姿で脚を覗かせ訪れている。
 
「私、またテニス始めたとよ(笑)。言うても短大のサークルばってん、それでもちゃんとコートに立って、七分丈のパンツにショートソックスでやりようとよ。みんな私の脚ばチラッと見るけど気にせんごとしとう。その丈ならそげん見えんと思うし、またバリ黒ぉなったら、痕なんか分からんごとなろう?(笑) あと、弥生と一緒にスクールにも通いようとよ。 弥生は最近になって中級に上がってから、どんどん上達しようと…… そうそう!? 今、弥生と小永吉先輩が付き合いようとよ! なんだかんだであの二人、仲良いけんね~~(笑)。でも先輩、弥生の尻に敷かれっぱなしで、たまぁに可哀想になる時があるっちゃけどね(苦笑)……それから、私にバイクで突っ込んできた人と、その奥さんと娘さんとで、今度ご飯いく事になったんよ……でね……娘さんがね…………バリ可愛いとっ!! いっつも〈しおりしゃん〉いうて、甘えてくるとよ♪ 私、もうメロメロばい(笑)」

 どんなに時が流れても、どんなに新しい出会いがあったとしても、今の私を形作っているのは、君。

「私のこと、しっかり見とって……。良い人生にするけんね。それまで待っとって」

 ――そう。私の中で生きづく、遥か彼方(かなた)の君なんだよ。

 だから私は歩いていける。

 傷痕なんて、恥ずかしくない。

 だって、これのお蔭で君と出会えたんだもん。

 私はこの脚で、一歩一歩、噛み締めながら進んでいくよ。

「また来るけんね。かなた」

 私は立ち上がり、右脚を一歩前へと踏み出した。

「――!?」

 すると蝉の大合唱の中、「――栞ちゃん!」と、軽やかな響きのある声が聴こえたような気がした。

「……(笑)」

 私は立ち止まり、青空の下、博多空港から飛び立った飛行機を見上げて、かなたの爽やかな笑顔を後ろ手にまた思い出す。

「しっかり、気張るばい♪」

 私は力強く、歩き出した――


                        〈君の彼女でよかったとよ。~了~〉
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