第21話

文字数 5,215文字

「おーい、早よせんか」

 弥生との女子トークが盛り上がり、中々前に進まない私達に先輩が振り返り声を掛ける。

「女っちゅうのは、なんであげんお喋りが好きなんやろうか?」

「楽しそうだし、いいじゃないですか」

 彼が苦笑いしながらも先輩を宥めた。

 季節は移ろい、あっという間に一年が過ぎて、私達は今、春休みを利用して大宰府天満宮へとやって来ている。

 太宰府天満宮。
 ここは学問の神様で有名な、菅原道真(すがわらのみちざね)公の御墓所が祀られている神社だ。
 道真公は承和(じょうわ)12年(845)に京都で生まれ、幼少の頃より学問の才に秀で、努力を重ねたことで一流の学者・政治家・文人として活躍したそうだ。
 しかし、いつの時代にも人を貶めようとする輩はつきもので、左大臣 藤原時平(ふじわらのときひら)によって身に覚えのない罪を着せられ大宰府に左遷されることとなった。
 道真公の大宰府での生活は、衣食もままならないほどに困窮したものだったらしいけれど、皇室のご安泰と国家の平安、また、自身の潔白をひたすら天に祈り誠を尽くしたそうだ。
 そして延喜(えんぎ)3年(903)、道真公はその生涯を終えることになるのだが、公の死後、その無実が証明されて天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)という、神様の御位を贈られ〔天神さま〕と崇められるようになった。

「そげん 急がんでもいいでしょう?」

「そうそう。私達か弱い女の子なんやけん、もうちょっと気ば遣ってくれても罰は当たらんと思いますよ♬」

 そしてその参道沿いに広がる門前町をキョロキョロと眺めながら私達は歩く。
 境内までの道は一直線で、石畳の参道には、雑貨や民芸品など、数多くの興味を惹かれるお店が立ち並んでいた。

「あ!? 帰りに梅ヶ枝餅ば食べて帰ろう!」

「よかね♬」

 通りに漂う甘い香りが、胃袋を刺激する。
 この梅ヶ枝餅というのは、道真公がこちらにやってきてからの暮らしぶりを見かねた近くの浄明尼(じょうみょうに)が、梅の枝に粟餅を巻き付けて公に差し入れたのが始まりと云われている。
 そのお餅は小豆餡(あずきあん)を薄い餅の生地でくるみ、梅の刻印が入った鉄板で焼く焼餅で、出来上がりには中心にその刻印が入る。
 名前だけを聞けば梅の味や香りがしそうに思うのだが、実際、そういった風味がする訳ではないのだけれども、このお餅は作る人によって、様々な甘さや歯応えを味わうことのできる、奥深いものなのだ。

「曲がるぞ~」

 境内に辿り着いて直ぐのところを左へと曲がり、池の上に掛かる三つの橋を渡る。
 その橋は順に意味を持っていて、一つ目の橋が過去、次が現在、そして最後は未来を表す 御神橋(ごしんきょう)だった。

「結構、ひと多かね」

「外人さんも、たくさんおるね」

 橋を全て渡りきり、手水舎(ちょうずや)で手と口を清めてから楼門(ろうもん)を通過する。

「身が引き締まるね……」

 直ぐに現れた御本殿を前に、彼がキラキラとした表情で、まじまじと見つめながら、一歩一歩、その距離を詰めていった――。

 この御本殿は道真公の御墓所に、門弟の味酒安行(うまさけやすゆき)が延喜5年(905)に祠廟(しびょう)を建てて、同19年(919)に左大臣 藤原仲平(ふじわらのなかひら)醍醐(だいご)天皇からの勅命で御社殿を造営したものらしい。
 そしてその後、残念なことに兵火等によって数度の焼失を繰り返していたのだが、筑前国主である小早川隆景(こばやかわたかかげ)が5年の歳月をかけて造営し、天正19年(1591)に竣工したのが現在の御本殿で、その豪壮華麗な様式を400年以上を経過した今でも現代の私達に静謐に伝えてくれていて、国の重要文化財にも指定されているものだった。

「ここは奮発して……」

 先輩が畏まりつつ、五百円玉を投げ入れる。
 私達もそれに倣いお賽銭を入れたあと、横一列へと並ぶ。
 そして二礼二拍した後、そのまま手を合わせて、お願いごとをする。

『……』

 すると、私は困ってしまった。

『なんお願いば、したらいいっちゃろうか……』

 暫くそのまま考えてみたものの、結局なにも思いつかずに一礼してから目を開くと、もう皆の姿はそこにはなくて、慌てて振り返った私が目にしたのは、先程の答えだった。

『……そっか』

 私は、お願い事が決まらなかった理由に、しっかりと気が付いた。

「ちょっと待って!」

 今、この景色。

「栞、お願い事が多すぎるっちゃなかと?(笑)」

 皆といる時間。

「欲張りはいかんぞ! 神様だって暇じゃなかとぞ!?」

 その中には私と、

「中牟田さん、そこ段差あるよ!?

 彼がいる……。

 それで十分なんだ。

 振り返って私を見る皆は、思い思いに好きなことを言って可笑しそうに笑う。

『――素敵やね』

 私は心の中でほくそ笑んだ。
 そうして私がドシドシと近づいていって、「もう!」と、紙袋を軽く潰したような顔をしていると、「甘露寺くん……?」と、横合いから彼を呼ぶ、色のある声が響いてきた。
 見るとそこには、パーマがかった明るい長い髪を後ろで結い上げた、目鼻立ちの整った女性の姿があった。

栗栖川(くりすがわ)さん!?」

 彼が驚きの表情と共に喜びを表す。

『……』

 私は彼のその様子を見て、胸が少し苦しくなる。

「やっぱり甘露寺くんだ(笑)」

 花柄のブラウスから伸びる首筋は、私から見てもドキッとさせるものがあり、そして黒のフレアスカートから伸びるその脚は、美しさとしなやかさが兼ね備えられていた。

「素敵やねぇ……栞みてん、あの腰の位置と脚の長さ」

「……モデルなんかね?」

 私は自分の右脚を軽く退いた。

「エライ美人やなぁ……」と、〔福岡には美人が多い〕と云われる中でも、これだけの美人には中々お目に掛かれないと小永吉先輩が絶賛していると、「栗栖川さん、こんなところで何してるの?」と、彼が嬉しそうに問い掛けた。
 
『……』

 私は、自分の心がどんよりと、厭らしい気持ちに包まれていくのが分かった。
 親しげに話す彼の姿。
 私達……ううん。私と話す時より、親近感を持って話す、その様子。
 沸々と、何かが湧き上がって来るのを感じる……。 

「昨日までナショナルチームの合宿に参加させてもらっていて、今日は少し観光してから帰ろうと思ったの」

「相変わらず、テニス頑張ってるんだね♪」

「えぇ(笑)。甘露寺くんは、今どこでしてるの?」

「僕は……僕は、今のところは遊びでしかやってないんだ(苦笑)」

「ぇ!?……どうして? 会場で会うこともなくなったから、もう、大人のツアーにでも参戦してるのかと思っていたのよ」

「うん……いや、ちょっと……色々あって……」

「……そう。水ヶ瀬くんが、ガッカリするでしょうね」

「アハハ。そんなことないよ」

「ううん。あの人は、貴方に勝つことだけを考えて今まで頑張ってきた人なんだから」

「……」

 彼が顔を曇らせる。
 恐らくそれは、戦いの舞台の懐かしさと、自分を待ってくれているライバルに向き合えない悔しさに、心が締め付けられているんだろう。

「……」

 私はそんな彼を見て、何も声を掛けられないままに、一歩、彼の方へと無意識に近づいた。すると彼女が私の方へチラッと目だけを寄越す。

「甘露寺くんは、福岡にいるの?」

「うん。僕は市内の――」

 それから暫くの間、二人が立ち話を始めたので、私達は邪魔にならないように少し離れたところで待つことにした。 
 彼の傍を離れる時に初めて身を持って理解した〔足をその場から引き剥がす〕という言葉の意味。

「……」

 そうして距離を置いて見る彼の表情は、一生懸命にボールを追いかけ充実していた日々を懐かしみ手繰り寄せているかのような、そんな表情だった。
 私は、私の知らない彼を想像することしかできない。
 絶対に、一緒に経験することの出来ない【過去】という壁。
 そしてそんな彼を知っているであろう、彼女。
 私の胸は、酷く締め付けられていた――。

「ごめん、お待たせ!」

 暫くして彼が大急ぎでやって来た。
 すると直ぐに小永吉先輩が「甘露寺、あの美人は何処の誰ね!?」と、彼を問い詰める。

「彼女は小さい頃から全国大会でよく顔を合わせていた、同じ年の人なんです(笑)」

「外人さんみたいやね♬」

「お父さんが、スウェーデンの人だったかな……?」

「なるほどな~。そうすると、あげな色っぽか美人になるとやな」

 小永吉先輩が両腕を組み、何度も一人頷き納得する。
 私はもう一度、彼女を視界に収めてみる……。

 するとそこには、笑顔で手を振る彼女の姿があった――。

「ちょっと、トイレ!」

「栞、先にホームば行っとくけんね!?

「うん、直ぐいく!」

 私達は戻る途中で予定通りに梅ヶ枝餅を追加で注文までして頂き、その程よい加減の甘さと歯応えを堪能してから大宰府駅に着いたところだった。

「あら」

「あ!? どうも……」

 私が鏡を前にして手を洗っていると、先ほどの栗栖川さんがちょうど入ってきたところで、鏡越しに目が合い会釈する。
 すると栗栖川さんは、私が振り向くのを待ってから話し掛けてきた。

「甘露寺くん、本当にテニスはしていないの?」

「え?……えぇ」

「そう……白髪まであって、一体なにがあったのかしら」

「……」

「ところで貴女、甘露寺くんの彼女?」

「え!? いや、あの、その……」

「……まぁいいわ。彼、モテるのに全然誰かと付き合ったことないみたいよ。私もフラレちゃったことあるし(苦笑)」

「え!?」

 驚いた。
 こんな美人を振るなんて、信じられない。

「〈僕にはテニスが全てなんだ〉って、そう言ってね」

「……以前の甘露寺くんは、どんな人やったんですか?」

 そこで栗栖川さんは、私のことを値踏みするかのような目で見たあと話しだす。

「誰も寄せ付けない天才……そんな感じだったわね。常にナンバーワンであることへの重圧だったのかもしれないけど、もっとオーラがあったわ」

 それは、過去に想いを寄せて、素敵だった頃の彼を懐かしむような様子だった。
 私はそれにカチンときてしまい、「私は昔の彼のことは知りませんが、昔があった上での、【今の彼】を好いとうとです!」と、右脚に体重を乗せ、さも彼女のようにして栗栖川さんに敵意を露わにそう告げる。
 するとそれを見た栗栖川さんはクスリと笑い、「そういうの好きよ」と言って白い歯を零し、そして、「彼とは、もう会うこともなさそうね」と、詰まらなそうにそう言って、私から離れて行った。

『なんしよっちゃろ、私……』

 本当は、栗栖川さんの最後の言葉にも噛みつきたかったのだけれど、事情を知らない人に……というより、知ったところで栗栖川さんの態度や言葉に変化が起こることはないと感じて、私は両の手を握り締めただけにしていた。
 余計なことを聞いたことに、後悔が募る……。
 確かに彼の昔の事なんかを知りたいという気持ちは、ある。 
 けれど完全に聞く相手を間違えてしまったようだ。

「はぁ……」

 そうして溜息混じりにホームへ向かう途中、私はふと気付く。

『私、【好いとう】って、言いよったね……』

 そう。先日のキャナルシティでの一件は、私が一方的に話を進めただけで、はっきりと付き合っている……という訳でもない。
 それに、彼のことを本当に好きかどうかも、あの時は分からなかった。
 だけど今日、私は間違いなく嫉妬していた。
 そして好きだと、意志を持って明確に言葉にして伝えた。

『これが恋愛っていうものなんやろうか……』

 私も彼と一緒で、テニスが全てだった。
 だからはっきり言って、こういう気持ちには疎い。
 けれどそんな私でも、恋をしているという確信みたいなものを感じた気がする……。

「栞!」

「――!?」

 ぼんやりトボトボ歩いていると、ホームで待っている皆が急げと手を振り、私は慌てて電車へ飛び乗った。

「ごめん ごめん!」

「遅かぞ、中牟田……デカい方か?」

 小永吉先輩が言い終わるや否やのタイミングで、私と弥生の両サイドからのフックが先輩の顔面に炸裂する。

「――グハッ!」

 先輩は白目を剥いて倒れ込み、それを彼が後ろから必死で支える。

「……」

 そして私はそんな彼のことを上目遣いに、チラチラと覗き見るのだった。
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