第12話
文字数 3,595文字
「ここら辺にしよ!」
御供所 地区。大博 通りと呼ばれる、豊臣秀吉の太閤町割の基本路線という古い歴史を持ったその大通りを、博多駅から北西の方角へ道なりに十五分ほど歩き、右へ曲がった所にあるその一画。
ここはお寺が多く混在する地区で、弥生に言わせると狭い道幅の続く難所であり、舁き手の迫力を余すことなく間近で見ることのできる、玄人受けする場所ということだった。そしてそれを力説する弥生に『私達、素人なんやけど……』と思ったことについては、黙っておくことにした(汗)。
「それにしても、凄い人だねぇ……」
「なん、君は都内に住んどったっちゃなかったと?」
「あ!? そうだった」
そうして彼は、「ハハ」と照れ笑いを浮かべる。
「なんね、栞♬ ずいぶん甘露寺くんと仲良くなったっちゃないね(笑)」
「は!? そんなことないけんね!?」
「ㇵㇵ……(汗)」
今、私達はその狭い道の端に、ギュウギュウ詰で立ち並んでいた。
道路の真ん中をしっかりと空けて、左右それぞれの端には、3~4列の長蛇の見物人がその瞬間を心待ちにしている。
「先に飲み物買っといてよかったね」
「もう、身動きできんもんね」
真ん中に私が立ち、私の右側に弥生、そして反対側には彼がいる。
「ごめんね……」
「ううん、こっちこそ……」
あまりの人混みに、私の左肩と彼の右の肩がずっと触れ合ったままになっていて、彼はそのことについて申し訳なさそうに私の横顔をチラリと覗きながら謝ったので、私は弥生に聞こえないように小声で返す。
すると――「来た来た!」
少しずつ空が白み始めたころ、右を向いたままの弥生が弾むような声で教えてくれる。そして最初の流れである、一番流れが「おいさ! おいさ!」の威勢の良い掛け声と共に、どんどん私達の方へと迫って来た。
「凄かね……」
「うん……」
水法被 と呼ばれる法被に身を包んだ漢 達が、前へ前へと地下足袋でアスファルトを叩き付けるようにしながら体をねじ込み、それぞれの役目を必死で全うしようとしていた。
「――前切れ、前切れ!(行く手をあけろ!)」
前さばきが、道を開いて運行役を必死で担う。
舁き手が、山笠を担いでその太い腿を持ち上げ懸命にひた走る。
鼻取のベテラン勢が、左右の棒の先端についている鼻縄を持って、滾 る思いで冷静沈着に方向を定める。
台あがりが、舁き山の上に座って赤い鉄砲(指揮棒)を腕が千切れるほどに振って、指揮を執りつつ魂の鼓舞を漢達に送る。
「……」
私は、その迫力に圧倒されてしまった。
心臓なのか、地面の振動なのかはよく分からなかったけれど、体の中が熱く、迸 るようなものを感じていた……
――と!?
私が目を釘付けにしていると、目の前にいた最前列の大学生ぐらいの男の人が勢水 と呼ばれる、舁き手達に向かって掛けられる水を避けようと、「わ!?」という大きな声と同時に勢いよく後ずさった。
私はその所為で押し倒されそうになり、後ろへとよろめきバランスを崩してしまう!
「きゃ!?」
すると次の瞬間、彼が私の左手首を瞬時に掴んで助けてくれた。
「大丈夫?」
「ぅ……うん。ありがとう」
「……うん」
態勢を取り戻しはしたものの、きっちりと前と後ろに挟まれてしまった私は、足元の幅もなくなり、爪先立ちに近い恰好となって、いつ倒されてもおかしくない状況に陥ってしまう。
すると彼も然ほど余裕のある状況ではないにも関わらず、私のその様子を不安そうに目にしたあと、離しかけたその手を少しだけ探すようにして……私の手をそっと握った。
「――!?」
私が驚いて彼の方を向くと、「危ないから……」と、そういって、彼は視線を通り過ぎてゆく山笠へと戻す。
「……」
私は彼の赤い横顔を少しのあいだ眺めたあと、触れ合っているその手に密かに視線を送って、感触を確かめてみた……。
『……』
彼の右手は、長年グリップを握ってきたとは思えないほどに柔らかく、とても優しく、そして、包まれるような……そんな暖かさがあった。
「……」
触れ合ったその手のお蔭か、私の心の中にずっとあった、『どげん謝ったらいいんやろ……』という気持ちが スーッと溶け出して、上手く言葉に出来なくてもいいから、とにかく気持ちを込めて伝えてみようと思った。
「あの……この間は、本当にゴメン。私、君に悪いことしたと思っとる……」
すると彼は、その手を微かに強くして私に答える。
「ううん。僕の方こそ、ごめん。実は、いつちゃんと謝ればいいのかって、ずっと考えてたんだ」
「君は、なんも悪いことしてなかよ」
「ううん。出会ったばかりなのに、立ち入り過ぎだったと思う。テニスの事だったから……つい」
そういって、彼は少し視線を下げた。
「……お互い様、やったんやね」
私は僅かに、握ったその手に力を込める。
「……そうだね♪」
そうして二人でこっそりと笑い合い、私は心底ほっとする。
『……?』
すると、それと同時に私の中で何か違う感情が、彼に対して芽生え始めているような気がした。
心がジワッと熱くなるような、今、この瞬間が光り輝いて見えるような……そんな感情だった。
「――二番流きた!」
弥生が真剣な表情で顔を向こうへと向けたまま、私達に知らせてくれる。
彼が私を通り越して、次の山笠に目を移す。
私は条件反射のようにして、彼のその視界に入らないようにと俯き縮こまる。
「中牟田さん、来たよ!」
彼が私の手を揺り動かして教えてくれた。
「……」
他愛もない、彼の言葉とその動作……。
けれど触れ合うその手や体が、私にそれ以上のものを伝えてくれているような気がした。
「中牟田さん!?」
「ぅ、うん!」
私は意を決して顔を持ち上げ、目の前に来ていた山笠を視界に収める……だけど、私の意識は絶え間なく彼の方へと向いてしまっていた。
『私、どげんしたっちゃろ……』
通り過ぎて行く山笠を見送りながら、その熱気の所為で火照った顔のまま、私は心の中で呟く――。
「んーー! 凄い迫力やったね!」
「楽しかった~~♪ 古賀原さん、良い所で見せてくれてありがとう!」
「楽しんでもらえたようで何より♬ さて、これからどげんする?」
「わ、私は今日、お父さんとこ手伝う約束しとうけん、一旦、家に戻る」
すっかり陽も上って、見物人が思い思いの方向へ歩き出す中、私は足の先まで浸みて濡れてしまったスニーカーを少し持ち上げ状況を伝える。
いくらテニスが嫌いになったからといって、テニスのショップ経営で育ててもらっている私が好き嫌いなどと言っていられる筈もないし、それに、お父さんを手伝うこと自体には何の抵抗もなかった。
「僕もしっかり濡らしちゃったから、帰るよ」
「そっか。じゃあ、わたしも帰って寝直すとしますかね♬」
そうして彼と弥生は、さっきの興奮を語り合いながら中州川端の駅まで歩き出す。
私は、その二人の後ろをトボトボと付いて行く。
「……」
最後の流れが過ぎ去るまで、ずっと握っていてくれた彼の右手に、つい視線を預けてしまう……。
近いようで、遠い手。
ついさっきまで、空が白み始める前までは、気にも留めなかった繊細な手。
テニスが上手で、病気からやっと戻ってきた手。
その手が、私を守ってくれた。
素直じゃなくて、綺麗な感情も持ち合わせていない、そんな守られちゃいけないような私のことを護ってくれた手。
申し訳なくもあり、情けなくもあり……そして嬉しかった。
「栞、どうしたと?」
私が複雑な心境を顔で表してしまっていたようで、弥生が心配して私のことを振り返り見つめる。
「ん!? なんでもなかよ。ちょっとアクビば我慢しとっただけ」
「中牟田さん、ずっとぼんやりしてたもんね(笑)」
「なっ!? そんな!? それは、だって君が……っ!?」
「君が……なんね?」
弥生は今度は怪訝そうにして、私の顔をじっと怪しむような目つきで捉えながら、私の方へと一歩足を伸ばし掛ける。
「なんでもなか!」
私は真っ赤になった顔を怒っているからということにして、弥生の追及の手から逃れるように、二人の間に割って入り、そのまま通り過ぎてどんどん前へと突き進む。
「ちょっと、栞! 一人山笠になっとるばい!」
「いいと!――おいさ、おいさ!」
私は自分の見えない飾り山に、漠然とした想いを込めてみた――。
ここはお寺が多く混在する地区で、弥生に言わせると狭い道幅の続く難所であり、舁き手の迫力を余すことなく間近で見ることのできる、玄人受けする場所ということだった。そしてそれを力説する弥生に『私達、素人なんやけど……』と思ったことについては、黙っておくことにした(汗)。
「それにしても、凄い人だねぇ……」
「なん、君は都内に住んどったっちゃなかったと?」
「あ!? そうだった」
そうして彼は、「ハハ」と照れ笑いを浮かべる。
「なんね、栞♬ ずいぶん甘露寺くんと仲良くなったっちゃないね(笑)」
「は!? そんなことないけんね!?」
「ㇵㇵ……(汗)」
今、私達はその狭い道の端に、ギュウギュウ詰で立ち並んでいた。
道路の真ん中をしっかりと空けて、左右それぞれの端には、3~4列の長蛇の見物人がその瞬間を心待ちにしている。
「先に飲み物買っといてよかったね」
「もう、身動きできんもんね」
真ん中に私が立ち、私の右側に弥生、そして反対側には彼がいる。
「ごめんね……」
「ううん、こっちこそ……」
あまりの人混みに、私の左肩と彼の右の肩がずっと触れ合ったままになっていて、彼はそのことについて申し訳なさそうに私の横顔をチラリと覗きながら謝ったので、私は弥生に聞こえないように小声で返す。
すると――「来た来た!」
少しずつ空が白み始めたころ、右を向いたままの弥生が弾むような声で教えてくれる。そして最初の流れである、一番流れが「おいさ! おいさ!」の威勢の良い掛け声と共に、どんどん私達の方へと迫って来た。
「凄かね……」
「うん……」
「――前切れ、前切れ!(行く手をあけろ!)」
前さばきが、道を開いて運行役を必死で担う。
舁き手が、山笠を担いでその太い腿を持ち上げ懸命にひた走る。
鼻取のベテラン勢が、左右の棒の先端についている鼻縄を持って、
台あがりが、舁き山の上に座って赤い鉄砲(指揮棒)を腕が千切れるほどに振って、指揮を執りつつ魂の鼓舞を漢達に送る。
「……」
私は、その迫力に圧倒されてしまった。
心臓なのか、地面の振動なのかはよく分からなかったけれど、体の中が熱く、
――と!?
私が目を釘付けにしていると、目の前にいた最前列の大学生ぐらいの男の人が
私はその所為で押し倒されそうになり、後ろへとよろめきバランスを崩してしまう!
「きゃ!?」
すると次の瞬間、彼が私の左手首を瞬時に掴んで助けてくれた。
「大丈夫?」
「ぅ……うん。ありがとう」
「……うん」
態勢を取り戻しはしたものの、きっちりと前と後ろに挟まれてしまった私は、足元の幅もなくなり、爪先立ちに近い恰好となって、いつ倒されてもおかしくない状況に陥ってしまう。
すると彼も然ほど余裕のある状況ではないにも関わらず、私のその様子を不安そうに目にしたあと、離しかけたその手を少しだけ探すようにして……私の手をそっと握った。
「――!?」
私が驚いて彼の方を向くと、「危ないから……」と、そういって、彼は視線を通り過ぎてゆく山笠へと戻す。
「……」
私は彼の赤い横顔を少しのあいだ眺めたあと、触れ合っているその手に密かに視線を送って、感触を確かめてみた……。
『……』
彼の右手は、長年グリップを握ってきたとは思えないほどに柔らかく、とても優しく、そして、包まれるような……そんな暖かさがあった。
「……」
触れ合ったその手のお蔭か、私の心の中にずっとあった、『どげん謝ったらいいんやろ……』という気持ちが スーッと溶け出して、上手く言葉に出来なくてもいいから、とにかく気持ちを込めて伝えてみようと思った。
「あの……この間は、本当にゴメン。私、君に悪いことしたと思っとる……」
すると彼は、その手を微かに強くして私に答える。
「ううん。僕の方こそ、ごめん。実は、いつちゃんと謝ればいいのかって、ずっと考えてたんだ」
「君は、なんも悪いことしてなかよ」
「ううん。出会ったばかりなのに、立ち入り過ぎだったと思う。テニスの事だったから……つい」
そういって、彼は少し視線を下げた。
「……お互い様、やったんやね」
私は僅かに、握ったその手に力を込める。
「……そうだね♪」
そうして二人でこっそりと笑い合い、私は心底ほっとする。
『……?』
すると、それと同時に私の中で何か違う感情が、彼に対して芽生え始めているような気がした。
心がジワッと熱くなるような、今、この瞬間が光り輝いて見えるような……そんな感情だった。
「――二番流きた!」
弥生が真剣な表情で顔を向こうへと向けたまま、私達に知らせてくれる。
彼が私を通り越して、次の山笠に目を移す。
私は条件反射のようにして、彼のその視界に入らないようにと俯き縮こまる。
「中牟田さん、来たよ!」
彼が私の手を揺り動かして教えてくれた。
「……」
他愛もない、彼の言葉とその動作……。
けれど触れ合うその手や体が、私にそれ以上のものを伝えてくれているような気がした。
「中牟田さん!?」
「ぅ、うん!」
私は意を決して顔を持ち上げ、目の前に来ていた山笠を視界に収める……だけど、私の意識は絶え間なく彼の方へと向いてしまっていた。
『私、どげんしたっちゃろ……』
通り過ぎて行く山笠を見送りながら、その熱気の所為で火照った顔のまま、私は心の中で呟く――。
「んーー! 凄い迫力やったね!」
「楽しかった~~♪ 古賀原さん、良い所で見せてくれてありがとう!」
「楽しんでもらえたようで何より♬ さて、これからどげんする?」
「わ、私は今日、お父さんとこ手伝う約束しとうけん、一旦、家に戻る」
すっかり陽も上って、見物人が思い思いの方向へ歩き出す中、私は足の先まで浸みて濡れてしまったスニーカーを少し持ち上げ状況を伝える。
いくらテニスが嫌いになったからといって、テニスのショップ経営で育ててもらっている私が好き嫌いなどと言っていられる筈もないし、それに、お父さんを手伝うこと自体には何の抵抗もなかった。
「僕もしっかり濡らしちゃったから、帰るよ」
「そっか。じゃあ、わたしも帰って寝直すとしますかね♬」
そうして彼と弥生は、さっきの興奮を語り合いながら中州川端の駅まで歩き出す。
私は、その二人の後ろをトボトボと付いて行く。
「……」
最後の流れが過ぎ去るまで、ずっと握っていてくれた彼の右手に、つい視線を預けてしまう……。
近いようで、遠い手。
ついさっきまで、空が白み始める前までは、気にも留めなかった繊細な手。
テニスが上手で、病気からやっと戻ってきた手。
その手が、私を守ってくれた。
素直じゃなくて、綺麗な感情も持ち合わせていない、そんな守られちゃいけないような私のことを護ってくれた手。
申し訳なくもあり、情けなくもあり……そして嬉しかった。
「栞、どうしたと?」
私が複雑な心境を顔で表してしまっていたようで、弥生が心配して私のことを振り返り見つめる。
「ん!? なんでもなかよ。ちょっとアクビば我慢しとっただけ」
「中牟田さん、ずっとぼんやりしてたもんね(笑)」
「なっ!? そんな!? それは、だって君が……っ!?」
「君が……なんね?」
弥生は今度は怪訝そうにして、私の顔をじっと怪しむような目つきで捉えながら、私の方へと一歩足を伸ばし掛ける。
「なんでもなか!」
私は真っ赤になった顔を怒っているからということにして、弥生の追及の手から逃れるように、二人の間に割って入り、そのまま通り過ぎてどんどん前へと突き進む。
「ちょっと、栞! 一人山笠になっとるばい!」
「いいと!――おいさ、おいさ!」
私は自分の見えない飾り山に、漠然とした想いを込めてみた――。