第10話

文字数 2,478文字

 翌日、小永吉先輩が休み時間になった途端、勢いよく教室に押しかけて来て、私の机の上にテニス雑誌や印刷したドローなんかを「これを見ろ!」と言ってバンッ!と叩きつけてきた。
 私は席に着いて目の前に立つ弥生と談笑していた(といっても、あのあと喧嘩にならなかったかの確認で、私は何もなかったと言い張っていた(汗))のだが、その勢いに私達二人は顔を見合わせてしまう。

「……」

 机に目を落としてみると、そこには今より幼い顔をした、白髪のない彼がショットを打っている写真や、〔全国ジュニアテニス選手権大会優勝!〕と銘打ってトロフィーを掲げているもの等があり、また、その雑誌には〔日本男子テニス、悲願のグランドスラム制覇の夢を背負う!〕というタイトルの記事が掲載されていたりもした。
 それから戦績をなぞるようにして確認してみると、12、14、16歳以下全国ジュニアテニス選手権大会優勝、全国小学生テニス選手権大会3連覇、全国中学生テニス選手権大会2連覇とあって、年代別のジュニア世界ランキングが3位というのも見つけてしまう。

「……」

 その輝かしい戦績を呆けたように見ていた私だったけれど、気になることがひとつあった。
 それは、大会のドロー。
 16歳以下全国ジュニアテニス選手権大会の決勝までコマを進めた彼の名前が、決勝戦ではWOになっていて、同じ年の全国中学生テニス選手権大会のドローでは、第1シードながらも初戦でWOとなっていた。
 そしていずれの大会も、水ヶ瀬昴流(みながせすばる)という人が優勝している。
 どちらも連覇のかかった大会でのWO……Walk Over(ウォーク オーバー)。
 試合をしなかった、戦わずして棄権したということだ。
『病気の所為なんかな……』と、そう思いつつ、それでもなぜ彼がこの学校を選んだのかが理解できなかった。
『私と同じように、テニスば見たくもなかったんかな?』
 そうも考えたが、昨日のあの表情からして、逆にやりたくてやりたくて仕方がないといった様子が窺えた。
『なんでなんかな……』

 ――そしてそんな疑問も、数週間後には大体の答えが見つかることとなる。

 お祖母ちゃんから連絡が入って、「なんか困ったことはなかねって、お祖父ちゃんが聞けっていうとよ(笑)」という電話をもらったのだ。
 私はこの間、お祖父ちゃんお祖母ちゃんのお家に遊びに行っていたのだけれど、残念なことにお祖父ちゃんは遠征に行ってしまっていたので会うことは出来なかった。
 けれどそのぶん、お祖母ちゃんとたくさんの会話をすることができた。
 そしてお母さんは、やっぱりお祖母ちゃんに良く似ていたんだなということも分かった。特に二重のその目はそっくりだと思った。
 それに直接話してみると、お母さんの雰囲気が思い出されるように、お祖母ちゃんは私の話しに耳を傾け相槌を打っては優しく微笑み、柔らかな安心感を私に与えてくれる素敵な人だった。
 そしてそんなお祖母ちゃんが私に問い掛けてくれている訳だけれども、特に困ることのなかった私は、学校生活について伝えていた。

 ……と、ふと気になって彼の名前をそれとなく出してみた。

 すると横で聞いていたと思われるお祖父ちゃんが(笑)、お祖母ちゃんに代わって話しをしてくれて、なんでも若い頃からの悪友で、話からするとライバル関係である(お祖父ちゃんの言いぶんでは「遊んでやっとったい!」という)彼の祖父から「孫を頼む」という連絡を受けたのだそうだ。
 よくよく聞くと、彼の祖父は私達の住むマンション一階でレストラン〔Le.repos〕というお店のオーナー兼シェフをしている人だった。
 そこに私は小さい頃からしょっちゅうお世話になっていたので、この話には驚いた。

「――栞ちゃん、デザートばい!」

 厨房から大黒様のような表情で顔を覗かせ私に笑顔をくれる彼の祖父と、いつでも元気よくハキハキと私の相手をしてくれる彼の祖母に、まるで自分の祖父母のようにして甘えながらお礼を伝える、そんな間柄だった。
 私は彼の祖父母の優しさに、いつも自然と笑顔になり、お父さんが忙しくて一緒に夕飯が食べられない時でも、ここに来ることで寂しくなることはなかったし、お父さんが迎えに来てくれるまでの一時をいつも楽しく過ごすことが出来ていた。

「――ありがとう!」

 私にとって第二の我が家のような、そんな素敵なお店を営んでいる彼の祖父の話によると、孫が大病を患い、今はやっと落ち着いて日常生活に戻れるようになった。
 しかし、状況は経過観察ということで、今までのように思いっきりテニスをすることは難しい。
 本人からそのことで、「環境を変えたい。九州に行きたい」という希望があったので、家族でこの福岡の地にやって来た……ということだった。
 彼は一人っ子らしく、父親(Le.reposのオーナーの息子)は代官山の方にある有名なレストランで料理長を任されていたシェフなのだそうだが、今はLe.reposの厨房を主に預かり、彼の母親も接客に励みながら、家族全員で彼の健康状態に気を配っているということだった。

「まぁ、それでもテニスは好きみたいやから、気晴らし程度に好きに使こうてよかとは伝えとったい」と、先日、彼が難なくテニスコートを使用できた理由にも辿り着く。 

 彼は私と違い、好き過ぎるからこそ、テニスから少し距離を置きたかったということなのだろう。

「……」

 それにしても、私は彼に当たり散らしたことに対して、申し訳ない気持ちで一杯だった。
 辛いことに耐え得る程度は人それぞれ違っていて、結局、今のこの状況は私にとって最大限に辛いことに変わりはない。
 けれど、だからといって、あんな言動をするべきじゃなかったと思う。
 なのに私の心は実のところ、以前よりも軽くなっていた。
 自分の考えと心情のギャップに、凄く矛盾を感じる……。
『どげん、謝ったらいいんやろ……』
 私は悩んでいた。
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