第10話 誘い

文字数 631文字

 Eさんの声は空気を真っすぐに貫くように響いていく。
 ただ大きいだけじゃない、透き通って綺麗な声を聴きながら、今日も私はa劇団レッスン場の端っこの丸椅子に座り、Eさんの練習の付き添いをしていた。

 Eさんは始めに発声練習とストレッチを行う。それから、練習用の台本を見ながら役を演じ始める。そして様々な人に移り変わる。
 Eさんの演技の中で、どこで演技技術が使われているのだろうか、声を出す時のコツとかあるのだろうか。なんとなく考えながらEさんを眺めていると、ふと目が合う。多分、わざと目を合わせていると私は思った。

『なぜ、君は自分を頑固者と言うんだ。きっと君は頑固者ではない!…なぜならこんなに優しい味付けの料理を作るのだから。』
 Eさんはセリフを言いながら、私の前で一輪の薔薇でも差し出すような仕草をした。私は思わず、ふふっと笑う。
「これ、練習じゃなくてふざけているでしょう、Eさん。」
 私はそう言って、差し出された手から物を受け取る真似をした。Eさんも「ちょっと遊んでみちゃいました笑」と楽しそうに笑っている。すると、ふいにEさんは言った。

「ねぇ、Fさん、この後飲みに行きませんか?どうですか?」
 誰かと食事に行くのなんていつぶりだろうか。嬉しくて、Eさんの言葉をしばらく手の中に入れて優しく持っていたい気分だった。
「いいですよ。一緒に行きましょう。」
 
 いつもは強張って中々動いてくれない私の顔の筋肉たちも、この時ばかりは柔軟性を取り戻し、笑みを作ってくれた。
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