第18話 戸惑い

文字数 2,857文字

 最初は舞台の裏話など、相槌を打ちながら話を聞いていた私だったが、知らない人と気さくに話せる方ではない。自然と会話から外れていき、気づけば私は隅の方で一人料理をチビチビ食べたり、酒を飲んだりしていた。E君がいなければ私はこんなものなのだ。
 
 個室の真ん中からぶわっと大きな盛り上がる笑い声がした。つい私もそちらに目をやる。「E、それおもしろすぎ!」「真面目にボケるからあの時はめちゃくちゃ笑ったよー!」
という声が聞こえ、E君の天然話で笑いに包まれているようだった。E君は頬を赤らめながら、何やら弁解しているようだが、皆笑い転げている。
 E君にまつわる面白い話は私も聞かせてもらいところだった。しかし、それよりも気になる光景が目に映る。E君の隣に座る女性だ。彼女はE君の肩辺りをポンポン叩きながら、腹を抱えて笑っているようだ。これはボディタッチといものだろうか。そして、密着するのではないかと思うくらいの近さに座っている。E君の方に大きなクリリンとした眼を向け、相槌をしたり、E君のコップに飲み物がなくなればすぐ飲み物を注いだりとかなりの献身ぶりだ。
 
 これはきっと…E君に気があるのだろう。分かりやすい。
 大きな瞳の可愛らしい女性。
 ザワザワザワ。胸の中でうねる感情があった。
 ドロドロドロ。モヤモヤモヤ。

「Eの好きなタイプって想像できないよなー。」
 唐突に耳に言葉が入って来た。「確かに、確かに。」と誰かが言う。
 なぜいきなりそんな話題になっているんだ?そんなことこの場で話す必要なくないか?
 私は心の中で憤る。
「Eはどんな子がタイプなんだ?」
 E君の隣にいる女性は気合の入った様子でE君からの返答を待っているようだ。
 あの女性から、いやこの場から、E君を連れだして逃げたい。私がそう強く思った時、E君が口を開いた。
「そんなのこの場で言わないよ。」
 E君はにっと笑ってみせる。
「まあ、素敵な人がいたらお付き合いするよ。」

 E君の言葉に私は、はっと息を呑んだ。

「当たり障りのない回答しやがってー」とヤジを飛ばす者もいたが、E君はそんなのお構いなしに少し真面目な顔をしてから続けた。
「今はお芝居のことに集中しているから、」
 そこまで言ってから一呼吸おく。皆、彼に注目している。そしてE君はまた笑顔になってこう言った。
「お芝居が恋人かな。」
 周りからは「なんだよー、そんなこと言われたらもう何も言えねーよぉ」だとか、「お前は演劇バカだよ、でも俺はそんなお前のこと大好きだぜ!」と言ってE君に抱き着く者もいた。みんな酒に酔いながら楽しそうな雰囲気だ。E君も楽しそうに笑っている。それは私に見せていたのと同じ無邪気な笑顔に見えた。

 私はその様子を一番遠い席から見ていた。E君の側で、彼が前に進んでいく姿をずっと見ていたいと思っていた。
 E君の側にいたい。
 この願いはE君の一友人としてだけで叶う願いなのだろうか。居酒屋の中は賑わう人々の熱気で熱い。汗が首筋をたらりと、滑っていったような気がした。

 海に行った時のE君の横顔がパッと私の頭に映し出される。

 間抜けな私は、この時に初めて自分のE君への気持ちがどういうものなのか分かった気がした。そしてその気持ちは、この世の中では受け入れられないということも。

 E君の無邪気な笑った顔が好きだ。私はあの大きな瞳の可愛らしい女性が気に食わないと思ったが、たとえて言うなら、私も彼女と同じのような眼差しを持ってE君の隣にいたと言ってもおかしくないのかもしれない。
 この事実は誰にも知られてはいけない気がした。いや、気がするのではなく、知られてはならない。多くの人は男性と女性が惹かれ合うと思っているのだから。

 E君に一番に近い存在は自分であると思っていたことが急にみじめに感じられた。そしてそう思う反面、今まで自分はどのような恋愛をしてきたのだろうかと振り返っている自分がいた。
 相手は…女性だったよな。でも、あれは向こうが言ってきたことだったし。前は女性が恋愛対象だったはずなのに今は…。好きな相手が男であるっておかしいよな…。そういう人たちのことって何というのだっけ?自分の拙い頭を回転させればさせる程おかしくなりそうだった。

 E君がトイレに向かったのを確認した後、私はそっと席を立ちそのまま居酒屋を出た。もう、この場にいるのは辛かった。
「Fさん!」
 後ろから勢いよく呼び止められ、振り返ると、Iさんがいた。急いで追いかけてきたのか、とても息を切らしている。
「Fさん、これでわかりましたよね。EとFさんは住む世界が違うんです。Eはいい奴だから、人を疑わないから、あんたのこと信頼していたみたいだけど、俺は疑っています。仲のいい友人の他に別の腹があったんでしょ、Fさん。俺、Eは絶対売れる、良い役者になると思っているから。」
 そこまで言うと、Iさんは一息おいて噛みしめるように続けて話した。
「今まで、俺は身近な人に裏切られて、情報漏れて、記事になってダメになった奴も見てきたんです。俺はEにはそうなってほしくない。だからお願いです、Fさん、Eにはもう近づかないでくれませんか、頼みます!」
 そう言うとIさんは勢いよく深く頭を下げた。
 人から本音をこんなにも真っすぐにぶつけられることってあるんだなぁ。あまりにも突然のことでうまく理解できず、私はどこか他人事のように感じていた。回転の悪い頭をなんとか起こして、Iさんの言ったことを思い起こす。そして納得した。なるほど、そういうことだったのか。今までのIさんの行動の理由が分かった気がする。私とE君の距離を離したかったのか。
「ふふっ。」
 私は不謹慎にも笑ってしまう。
「何を笑っているんですか。」
 Iさんは苛立ちを見せた。無理もない、私が笑ったからふざけていると思っているのだろう。まさかこんなタイミングでIさんからE君に近づかないでくれ、と言われるとは思っていなかった。驚きと辛さを通り越して笑えてくる。

 私たちの様子は、活気溢れる飲み屋街でも目立っていて、行きかう人々がじろじろと見てくる。でも今は人の視線なんて気にならない。それよりもE君の身近な人が私とE君の距離の近さを気にしていることの方が重要だった。もしかしたら、このままE君の近くに居続けたら、私のE君への好意がばれてしまうかもしれない。Iさんだけじゃなく、他の劇団員だっている。
 私は、Iさんに歩み寄った。Iさんの瞳からは必死さを感じ取れる。そして私は真面目な顔をしてから言った。
「心配しないでください。私はこれ以上Eさんの側に行かないようにしますから。」
 それだけを伝えて私はその場を去った。

 あちこちから賑やかな声が聞こえてくる。今日一日のストレスも流してしまえそうなくらい人々は楽しそうだ。それなのに自分だけ別世界にいるような気分だった。人々の賑やかな雰囲気は私の心の重みを流してはくれない。
 ふと空を見上げた。その日は、街灯の明かりが眩しすぎて星は見えなかった。
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