第4話 私

文字数 2,375文字

 小さい頃から私は物語が好きだった。なぜ好きになったのか理由は覚えていなかったが、真っ白なところから一つの物語を生み出す人物になりたいと思っていた。
 小説を読む機会が多かったためか、私は小説家に憧れていた。しかし、憧れていたたけで、将来の夢として学校で作文を書いたり、身近な人に話したりすることはなかった。なぜなら、子どもながらに小説家で生きていけるわけがないと感じていたからだ。
 
 私の両親は安定した仕事に就くことが一番良いと言い、それを私にも言い聞かせていた。小説家が私の夢だなんて、両親の考えと反していてとても言えなかった。だから、いつも憧れつつも、両親の言い聞かせてくれた「安定したもの」の方を私は選んでいたと思う。
 
 高校を卒業した後、恵まれたことに私は大学に進学させてもらった。
 大学生の時、憧れの小説家を目指し、小説を描いてみようとしたことがあった。自分なりに勉強し、描いてみようとやってみた。結果は、うまく描き進めることができず挫折。その時は自分で描くことは諦め、小説はもちろん、漫画、アニメを浴びるように読んだり観たりをしていた。グッズをたくさん集めたりしている本気のオタクというよりもライトなオタクになっていたのではないかと思う。
 就職活動の時期になると、私が選んだのは公務員だった。子どもの頃から聞かされていたことはやはり染みついていたようで私は公務員を目指した。あとは、働く場所の少ない田舎町の地元で若者が就職を考えた時、公務員というのは良い選択肢一つだと思っていた。そして、私は無事試験を突破し、公務員としてUターン就職を果たしたのだった。両親も喜んでくれて私も嬉しかったのを覚えている。
 
 勤めて3年が経った頃だろうか、部署異動により環境が変わり、上司も代わった。その上司は高圧的で、今でいう「パワーハラスメント」をするような人であった。
「一度しか言わないからな。」
「一度言ったことがなぜ分からないんだ!何度も同じことを言わせるな。」
「お前は怠け者だ!ちゃんと仕事しろ。」
 その他、机を叩きながらの過度な叱責を私も受けたし、同僚も受けていた。その頃は「パワハラを受けた」という考えすら持っていなく、世の中とはこういうものだと周りからも言われたし、そういうものだと自分にも言い聞かせていた。けれども、私はそんなに強い人間ではなかった。だんだんと自分に言い聞かせることもできなくなり、「自分は出来損ないのダメな人間だ」という考えに苛まれる。
 精神的ダメージを受けていた時、近所の人が噂話をしているということを耳にした。
「F(私)はコネで公務員になったんだって」
 もちろんそんなことは全くなかった。私は自らの力で試験を受けた。そんな話、聞く必要なんてないと思い、最初は聞かないふりをして過ごしていた。しかし、その後、私は愕然とする。
 父方の親戚の人で公務員をしている人がいるのだが、その人が口利きをしたということを私はひょんなことから知ったのだ。ショックだった。ダメージにまたダメージを重ねられるように私は絶望の中に沈んでいく。
 職場に行くと、パワハラ上司、職場の空気も悪い。家に帰れば、近所の人の噂話で苦しむ日々。

 とどめを刺したのは、ある日の休日のことだった。
出掛ける気力も人と会う気力もない私は自宅にいた。すると、地域活動に積極的と有名な近所のおじいさんがやって来た。おじいさんと母が玄関で話をしている声が聞こえてくる。
「お前さんの息子、税金で飯食っているんだろ。もっとちゃんと働けといいきかせなさい。」

 なぜ、こうもわざわざ言いに来なければいけないのか。なぜ、人はそっとしておいてくれないのか。ガラスにヒビが入るように心がミシミシと音を立てて、次第に割れていくような感覚だった。
 後にわかったことだが、近所のおじいさんの孫娘はあの当時不良で良い話が全くなかったそうだ。だが、おじいさんは自慢話をしたがる性格だった。それで、勝手に私の経歴に嫉妬してあんなことを言ったのではないかと考えられた。
 迷惑極まりないことだが、人と人とが近しい田舎町では、(嫌味なことを言うのは人によるかもしれないが)自分の家を良い風に伝えたいだとか自慢話をしたいというおじいさん、おばあさんが多くいるように感じる。

 度重なる精神的ダメージを受けて、私は心身に不調が出るようになった。これは私の甘えなのか、たくさん悩んだ末に私は公務員を辞めた。
 
 当然、両親には反対された。「今を乗り切ればきっと良くなる」、「今が辛いだけだから頑張れ」と。でもその両親の言葉さえ辛く、乗り切れ、頑張れ、と言われれば言われる程、私は心臓をえぐられるような気持ちになった。公務員を辞めたことは、今思えば私が初めて両親に逆らったことだったかもしれない。
 辞めた後これで私は解放され、新しくなれる、そう思っていた。しかし、退職後に待っていたのは、自分には何もないということを突き付けられる日々だった。何を仕事にすればいいのか分からず、悶々とした毎日を過ごす。そして自分を見失い、迷子の子どものようになってしまう。私の中に最後に残っていたのは、「物語が好きで小説家に憧れていること」だった。焦る私は、小説に関わる仕事に就こうと思い、縋りつくように本屋へ足を運んだが、結局、本屋で働くことはできなかった。

 自暴自棄で流れつくように就いたのが清掃の仕事。その頃の私は両親から見れば、自分たちの忠告を聞かずに勝手に仕事を辞めた哀れな息子だったかもしれない。
 清掃会社に勤め始めたのと同時に、私は両親へ負い目を感じながら逃げるように地元の田舎町から飛び出し、都市部で一人暮らしを始めた。「小説家への憧れ」は捨てきれずに持ったまま。
 一年はあっという間に過ぎ、私は28歳になっていた。
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