第15話 思慕

文字数 1,340文字

 いつもの夜の自主練習、E君との時間は気を張らずに過ごせる心落ち着く時間だった。
 低すぎず、高すぎない透き通った声は私の体を安らぎへと運んでいく。私はE君の声が好きだ。E君は台本のセリフや動きを一通り確認すると、考え込む。そしてまた動き出す、を繰り返している。
 E君は集中して考え込んでいる時、口が少し開いていて、唇が閉じていないことが多い。私は集中しているE君の横顔を見つめた。額や首に汗がにじんでいる。今日は身体をよく動かしていたから、いつもより汗ばんでいる。
 E君が頑張っている横で座っているだけなのもよくないかと思い、掃除をしたり、私も軽くストレッチしたりしていた。
 ストレッチしながら私はまたE君をちらっと見た。首元から汗がにじんでいて、首筋に沿ってすうっと汗が流れているのが見えた。
 E君は身体の線が細い。たくさん身体を動かしているのだから、栄養のあるものを食べたほうがいいかもしれない。今度、栄養の良い食事について調べてみようかな。E君のためになることなら何でもしてあげたい。私はそう思った。
 
 E君を見ていると、何とも言えない気持ちになる。そんなことを思っていると、E君はタオルを取りにこちらへやって来た。
「F君もストレッチですか。俺、手伝いますよ。」
 タオルで顔を拭いて首にかけるとE君は私の背中に手を当てた。腹の奥がうずく感じがして私は慌てる。
「E君、ありがとう。でも大丈夫、私は何となくやっているだけだから。それよりも水分補給、水分摂取!」
 私はE君にペットボトルのお茶をぐいっと差し出した。E君は少し驚いた顔をしていたが「ありがとう。」と受け取りお茶をごくごくと飲むと、私の横に座る。E君が座った時、腰を下ろした勢いでふわっと風がおこってE君の匂いが私の鼻に届く。タオルで拭いても、まだ汗が残っているようで、Tシャツが背中に少し張り付いていた。私はさっきまで落ち着いていたのに、どこか落ち着かない気分になって、気分を変えようと口を開いた。
「さっきの演技、面白かったですね。ひょうきん者みたいな感じでした。」
すると、E君は表情を明るくして言った。
「伝わって良かったぁ。今日劇団の稽古でやった時、上手くいかなくて。まずF君審査通過しました~笑」
「いやいや、私は素人ですからカウントしないでくださいよ。」
 私はツッコミを入れる。何気ない会話が楽しい。
「よし、もう少し練習します。それで今日は終わりにしますね。」
 E君はそう言うと、すっと立ち上がって台本を手にまた練習を始めた。
 
 台本と睨めっこするE君を見つめてから、さっきまでE君が座っていた床にそっと手を当てた。床にはまだE君の温かさが残っている。こんなふうに毎日を過ごせていけたらいい。私は手に残った温もりが消えないように手で包み込むようにして、そっと口元に持っていった。

♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦♦
 
 仕事が休みの日、私は久しぶりにパソコンを開いた。検索エンジンに「小説、描き方」と入力してみる。パッとたくさんのウェブページが表示された。小説の描き方について、書籍もあるらしい。憧れを憧れのままにしたくない、趣味でも何でもいいからまずは描いてみよう。
 私は初めて、幼い頃から密かに抱いていた憧れと向き合った。
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