第11話 2人飲み

文字数 1,455文字

「えっ、じゃあ、あの日はFさん、会社のロッカーまで鍵を取りに行っていたんですか⁉もう一度会社まで戻っていたなんて。それはとても大変でしたね…。その帰り道の途中で、なんとなく明かりの付いていた稽古場まできたんですね。」
 はい、そんな感じですね~、と決まり悪く私は答えた。Eさんに本当のことを伝えたのだ。そして、勝手に覗き見して申し訳ないと謝罪した。
「いやいや、全然気にしていませんから。俺の方こそ、一方的に話進めてしまった感じで、すみませんでした。」
 私は、「こちらこそすみません。」とまた謝る。そしてEさんもまた謝る。お互いに謝り合っているうちに、可笑しくなってきてしまい、笑い合う。

 私はふとEさんに質問した。
「自主練習の付き添いって本当に私でいいんですか?私は素人だし、同じ劇団の人とやった方がより良い練習になるんじゃないのかと思いまして。」

 Eさんはぐびっとビールを喉に流し込んだ。
「そうですね、最初はそうしていたんです。でも、オーディションに合格した者が主要な役を得られるという環境が皆のライバル意識を高めているのか、自然と劇団員と練習しなくなっていました。あと、皆なんやかんや裏の努力を見せたくないんですよ。だから劇団の稽古以外で一緒に練習するのはあまりないですね。」
 眉を下げながらEさんは苦笑いをする。そうなんですね、と相槌を打ち、私もビールをぐびっと喉に流した。
 
 店内は多くの人がいてアルコールを手に賑やかな雰囲気だ。皆一日の終わりの解放感を味わっているのだろうか。それとも日常の辛さをアルコールで麻痺させているのだろうか。

「a劇団はいつも役を決めるときはオーディションで決めるんですか?」
 私は気になっていたことをEさんに訊いてみる。
「はい、うちの劇団は実力主義だから、公演の配役決めはオーディションで決めるんです。前回の公演で主役をやっていたとしても、次の公演で役を得られるかはオーディションで決められますね。」
 僅かな役をオーディションで決める。たくさんいる劇団員の中で主要な役を巡り、椅子取りゲームをしているみたいだと思った。Eさんは大変な劇団で役者をしているのだな。
 Eさんは話を続ける。
「まあ、a劇団はこんな感じですが、どこの劇団もオーディションで配役決めするわけではないです。やっぱり注目が集まったら、そのままスター俳優になっていく人もいるし。でも俺は実力主義のa劇団だからこそ、この劇団で自分の演技力高めようって決めたんです。」

 何となくとか流されてとか、そんな理由じゃないはっきりとした意志。Eさんの目は、目の前に座っている私ではなくて別の何かを見つめているようだった。
「実力主義のa劇団で演技力を磨きたいと思ったのはなぜですか?」
 私はEさんのことを知りたいと思った。もっとたくさん知りたい。すると、Eさんはふっと笑みをこぼした。
「なんだかFさんにインタビューされているみたいで可笑しくて。」
 彼は笑いを堪えられないという様子だ。私は何か面白いこと言ったかな、と自分の言動を慌てて振り返る。
「Fさんのこと“さん”付け呼ぶのではなくて、“F君”と呼んでいいですか?」
 突然の申し出に驚くも私は快く了解する。
「じゃあ、私もEさんのこと、“E君”と呼んでいいですか?」

 どこかのテーブルから「すみませーん!」と店員を呼ぶ声がする。店員も声が届くように大きな声で返事をしている。店内はますます賑やかになっているような気がした。その賑やかさから隠れるように私はE君の話に耳を傾ける。
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