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文字数 5,534文字


 金曜日のうちに、猫沖氏とそのガールフレンドと思しき女性の住所を知ることができたので僕は土日に必須の用事はなかった。その日の夜はクリスチャンの美少年としっぽり風呂を楽しんだので、疲れは癒えていた。

 さて予定もないことだし、盗撮、ナンパ、盗聴に勤しむかと思ったが、如何せんやる気が出ない。
 当たり前だ。僕は善良な市民だ。
 僕は二度寝を決め込んだ後、商店街へと向かった。宇都宮商店を目指したのだ。
 相変わらず、飲食店以外の人手はないに等しい。

 アカネ先輩の実家である宇都宮商店も同様だ。灰色になったタイル地の壁に、金字で「宇都宮商店」と書いてある。何屋だかは、これだけでは分からない。
 半開きの引き戸を開けて中に入る。電灯に照らされた店内は、相変わらずごちゃっとしていた。勝手知ったるなんとやらで、奥の座敷へと靴を脱いであがる。
 奥の襖の向こうで気配があるが、アカネ先輩のおばあちゃんだろう。
 一応、「お邪魔しまーす」と叫んでおいた。
 返事が聞こえる気もするし、聞こえない気もする。いずれにしても、セキュリティ意識が低い。
 四畳半になった座敷の中央には長方形の机が置かれ、座布団が無造作に重ねてある。我が家と違い掘りごたつになっており、長時間たむろしやすい。
 壁側の棚はそのまま、商品棚とつながっておりカオスの様相を呈している。
 襖側の端には小さなテレビが置かれ、ゲーム機、釣り道具、湿気た花火、漫画雑誌、信楽焼のたぬき……やらの何やらのガラクタが積まれていた。一応売り物ではないことがハッキリ分かる。
 
 アカネ先輩がここでお菓子を食べつつ新聞を読んでいる姿を目撃することがある。
 店の外からもその風景が見えるため、彼女の目立つ外見も相まって、この近所で彼女を知らない人間はいないらしい。背が高く、露出多めの派手な格好は、どこであっても眼が引く存在だろう。

 そのなかで放送部員という彼女と仲と距離が近い連中はここに集まり、テレビゲームやトランプ、談笑に興じることがある。部室として指定されているのは、視聴覚室だが、あそこには私物が置けない。部の書類や、ちょっとしたお菓子、トランプなどのカードゲーム、漫画などは4階の空き教室に隠していある。ここのアカネ先輩の私邸は、公の秘密基地というのだろうか、土日活動の集合場所や、テレビゲーム大会、その他ボードゲーム、打ち上げの場に使用される。
 学校の手前にあるので、集合しやすいし、下校後も集まりやすい。さながらアカネ先輩を囲むサロンであった。
 見目麗しい部員たちがワイワイしている姿も絵になるだろう……と思ったが、今日は僕以外には誰もいないようだった。まあ、部活動予定がない12月の土曜日であるので当たり前かもしれない。

 僕は座布団を敷いて、座敷を見回す。

「ん……?」

 電化製品の山から一本のケーブルが伸びて、壁側への棚へと繋がっている。そして棚の柱に沿って天井の方へと伸び、最終的に棚の最上段にあるダンボールに突き刺さっている。えい、と力を弱めて引っ張るとダンボールが空のせいか、ぽんと手元に落ちてくる。

「……これ、そうだ!」

 ケーブルの先には小さなレンズ。そしてもう一方の方を手繰ると、危険状態のタコ足タップに繋がっている。アカネ先輩が、確か半年くらい前に思いつきで秋葉原で買ってきたものだ。動態センサーがついており、モノが動いた時だけ起動して撮影するという便利なものだが、ほぼ玩具と言っていい。容量優先モードにして、その時はワイワイと設置していたが、その後、すっかり忘れていた。
 もしかして……わざわざ猫沖らを盗撮しなくても、決定的瞬間が写ってる?
 
 と、そのとき木製の階段がきしむ音がした。
 商店の住居部分である二階から誰か降りてきたのだ。

「お、何だ。お前か」

 アカネ先輩であった。室内とはいえ、この季節に短パンで脚線美を惜しみなく披露していいらっしゃる。上は厚手の臙脂色のシャツで、長いブラウンの髪はポニーテールにしている。スタイルが良いと何を着ても映えるものだ。

「よ、ゲームでもすっかね?」
「受験勉強はいいんですかい。あ、いや、先輩、これ……」
 
 僕は手元のケーブルを彼女に示した。

「ああ、それか」
「これに犯行現場が映ってるんじゃないんですか!?
「阿呆」
「へ?」
「映ってたら、すぐにお前に連絡してるわ」
「………」

 先輩は僕の横にガバッと胡座をかいて座る。
 一度彼女の正座を見たことがあるが、足が長すぎて不自然な印象を受けた印象がある。

「お前から相談の内容をメールで受け取った後、すぐに確認した。猫沖は映ってなかった。お前も猫沖本人の犯行だって疑ってたのか。ま、当たり前か」

 僕は肩を落とす。

「ま、動態センサーもショボいもんだから10時間以上録画していない日もあるし、容量優先で画像も粗いから、穴があると言えばあるけどな」

 少なくとも、まともに映っている時間帯では怪しいものはない、というわけだ。
 
「僕も見てもいいですか?」

 念のためだ。
 僕のお願いに、先輩はちょっとの逡巡の後、

「犯行現場は映ってないって言っとろーが」

 と、アカネ先輩は家電の山の頂上から分厚いノートPCを持ってくる。暇なのか身内に甘いのか……
 十分以上の時間をかけて、2世代前のOSが起動した。

「ほれ、これだ」

 デスクトップにフォルダが作られ、その中に日付がついたファイル名が保存してある。アカネ先輩がカメラのメモリーカードからここにコピーしたのだろう。

 猫沖氏が相談にきたのが一週間前の12月5日。猫沖氏がロザリオが消えたのを目撃したのがさらに一週間前の11月28日のはずだ。ファイルは11月20日から12月5日までの分が残っている。容量優先で上書きを繰り返していく設定のはずだから、猫沖氏の相談が7〜8日遅かったら上書きされていた可能性もある。まあ、動態センサーによる起動なので1日のファイル容量が一定とは限らないが。

 僕は28日のファイルを動画プレーヤーで再生する。4倍速で見てみても、怪しい人物はいない。そもそも、アカネ先輩自身と祖母、客が4人だけだ。画像は粗いものの、スタイルの良い先輩は一時停止して拡大しなくても分かる。先輩の祖母やお客さんも、一時停止してみれば凡その顔貌までは分かる。そしてどれも猫沖氏ではない。それに、猫沖氏も筋肉質の大柄な体型であるから、先輩と同じように一時停止して拡大するまでもなく気付くだろう。
 
「な、映ってねーだろ。前後数日も同じだ。猫沖が窓際の棚で消えるのを見た、って言ってたが、あたしも育子ばあちゃんも、そこに置いた記憶すらねえ。そこのカオスになった棚の品を整理した時に育子ばあちゃんが、窓際の棚に移動させた可能性があるしな。置き場所を、あたし達はそもそも把握していねえんだ。
 粗い動画にはもちろんロザリオみたいな小さいものは映らない。逆に考えると、その日のお客4人もロザリオを発見して盗もうと思えば盗めてたってことだな。よほど不自然な動作をとらない限り、棚からロザリオを手のひらにとる動作だけで事は終わるんだから。
 つまり、その映像はどちらにしろ何の証拠も映しちゃいねーんだよ」

 アカネ先輩は「残念だったな」と僕の肩を叩いた。
 僕は、27日のファイルから再生してみるが、やはり数人の客とアカネ先輩の家族だけだ。退校時間になっても、放送部員も一人も来ていない。
 
「犯人が、この動画ファイルを弄った可能性はないですか?」
「こんな遅い古パソコンで動画編集は難しいだろう。メモリーカードを一時的に盗んで戻したとか、PCを持ち込んだとか考えるとキリがないし、それこそ不自然で過ぎておばあちゃんや通りの客に見つかるぜ」

 1日につき、ひとつのファイルが保存してある。カメラの起動時間の違いで録画時間に差異はあるが、1日として抜けてはいない。1日のファイルの特定の時間帯だけ削る、というのはやはり動画編集が必要だ。そして、それを疑い始めるとキリがないし、見つかるリスクもかなり大きい。

「あ、これ……」

 28日の19時頃に僕が映っている。座敷の方へと向かっている。

「お前の阿呆面も映ってるぞ、犯人お前じゃねーの」
「部員の皆と行く時もあるんですから、そりゃ映ってるでしょうよ」
「これは、お前だけで映っているシーンだ」
「先輩の秘書業務という名の雑用ですよ、確か」

 シリーズの続きが読みたくなっったから、部室の文庫本を届けてくれ、くらいの用事だった気がする。ついでにこの掘りごたつにて、僕は漫画一人でを読んでいたという、うっすらとした記憶がある。
 ポーカーをするためだけに呼び出されるなど私設秘書どころかメイドや使用人に等しい扱いを受ける時もある。ひとり暮らしなので時間の都合はつけやすいが、決して暇人ではないことをアピールしているのだが。

「……ん?」
 ある人物が入店してくる。
 その人物は店内を一回りした後、ある一点で何かを見ている。画面としては右下の方、店内でいうと奥の棚の前あたりだ。
 僕らがだべっている時に使う座敷と、雑然とした空間は画面の範囲外だ。しかし、その人物はそのあたり(、、、、、)を見つめているようなのだ。僕はきっと漫画に夢中で気づいていない。
 そして、僕はあることに気づく。

「……この人! 昨日、猫沖氏と一緒にいました!」

 僕は画面を拡大する。豊かな金髪。
 昨日、囲碁会館で僕とマリアが見つけた女性。猫沖氏と親しく話を交わし、金髪グラサンに尾行させて住所と名前まで掴んだ彼女だ。

「と、するとコイツが猫沖と絶賛ラブラブ中の、金髪女子大生、長門(ながと)某か」
「知ってるんですか!?」
「猫沖について調べたらでてくるトップニュースだろうが」

 大学生だろう、くらいしか考えていなかった僕の予想は当たっていたわけだ。

「猫沖氏とこの長門さんが一緒に来たとかは?」
「ないな。カメラの起動時間外は当然分からんが。この玩具の動態センサーは百発百中じゃない。」
 
 僕は動画の再生を進める。他にも長門が映っていないか調べるためだ。
 アカネ先輩は猫沖メインで流し見していたため、長門の登場までは細かくは見ていなかったそうだ。

「うーん、時間かかるなあ。このデータ、コピーして持っていっていいですか? 念のために今カメラに刺さっている分のデータも」
 
 猫沖氏が空き教室に来た12月5日にデータをこのパソコンに移動させた後、再びカメラに挿しているので、恐らく12月6日から今日の12月11日までのデータが入っているはずだ。

「……まあ、構わねえぞ」

 先輩はいつの間にか、横になって文庫本を読んでいる。
 自分の家とはいえ、異性である僕の横でくつろぎすぎた。アクビまでしている。

 ―――僕は必死に猫沖氏の調査をしているのが、不安になってきた。これを解決したとしても……アカネ先輩は僕を見直す(、、、)ことはないのではないか、という不安だ。所詮、お前は普通の人間だったな、と評価を下されるのが怖い。僕はまだまだ承認されたい子供なのかもしれない。

 僕は手持ちのUSBフラッシュメモリにデータをコピーした後、身支度をして宇都宮商店を出る。

 すると商店街を出たあたりで、知った顔に会う。
 3年生の放送部員、貴水と日江井である。日江井は猫沖の「囲碁部所属、マッチョ、ピアスあり」の情報をくれた男子だ。貴水はショートヘアーの女子で、彼女の腕は日江井の片腕へと巻かれている。
 僕と視線が会うと、2人はハッとした顔になって絡めていた腕を解いた。

「日江井先輩、貴水先輩、こんにちはです」
「見てた?」
 と日江井が恐る恐る訊く。
「まあ、はい。安心してください。先輩方が言いたくないなら誰にも言わんですよ」
「ありがたい」
 
 2人ともお昼の放送でMCをする所謂、花形だ。日江井も貴水が付き合っているという噂は学校では格好のゴシップになるだろう。
 しかしまあ、アカネ先輩の勘の良さならもう気づいている可能性はある。

「先日は、猫沖先輩の件、ありがとうございます」
 僕は頭を下げた。
「うん、気にしないでくれ。君が嗅ぎ回っている件は漏れないようにしているよ。どうせ、アカネ先輩が絡んでいるんだろう? 可愛がられ過ぎてないか。うらやましいよ」

 その冗談にはハハと乾いた笑みで応じることしかできない。

「あ、そうだ。猫沖君の件で続報だ」
「なんです!?
 
 思わず身を乗り出してしまう。
 その仕草にショートヘアの貴水先輩が、フフと笑う。

「なんとねえ、今付き合っている大学生の彼女さんと今度結婚(、、)するんだって。フランスからの留学生らしいんだけど、異国で結婚相手を見つけるなんてロマンチックよねえ」

 貴水先輩が続報を言う。
 3年生の一部では既に話題になっているということか。アカネ先輩が知っていたのもそのせいだ。

「……結婚…!」

 想定もしないワードにたじろぎ、僕の表情変化に、貴水先輩はカラカラと笑う。
 しかし、僕はそんな余裕もなく

「そうですか、お幸せに……」

 と言い残して商店街を後にすることしかできなかった。
 続報だと思って甘く予想していたが、”結婚”というワードは何とパワーを持っていることだろうか。

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