文字数 2,072文字

 週末金曜日。
 猫沖三次郎氏について確認するため、という目的がない限りこんなところには来ないだろう。

 駅近くのビルには、碁会所の他に、将棋、ビリヤードなど様々な娯楽コミュニティのフロアがあった。年配の男性が多く出入りしているものの、その家族やサークルの学生など、若い人間もいた。

 外見はボロくエレベーターは鈍重だったが、蛍光灯も明るく、必ずどこかで四方山話が聞こえる賑やかな場所であった。喫茶店や軽食を出す店がどの階にもある。
 金曜の夕方というのも関係しているかもしれない。

「見当たらないな」

 深めに帽子を被った僕は、傍らのマリアに話しかける。

「マリア、あんまりきょろきょろすると怪しいぞ」

 パーカーを深く被ったファッションのマリアは長い髪を揺らしてあたりに視線を走らせている。
 金髪グラサンは、鎌倉観光中だ。あの男の風体は、このビルの中では目立つだろう。ちなみに彼は、僕のように呼び捨てにはせず「マリア様、マリア殿、マリアさん」と呼ぶ。マリア本人もそれを当たり前のように対応する。今日もおそらく、

「マリア殿、鎌倉みやげの鳩サブレです」
「ありがとー、ベルくん」

 のような感じであろう。

 さて、放送部の先輩からもらった猫沖万次郎氏の情報は「囲碁部所属。マッチョ。右耳に白と黒のピアスをつけている」というものだった。正気を疑う情報が最後にあったが、ありがたい。有用な情報だ。
 そして囲碁部員の希望者は、金曜日に、ここ駅前の碁会所を利用して研鑽を積むという情報も容易に得ることができた。猫沖氏も真面目な性格でほぼ毎週参加しているそうだ。

 しかし肩幅の広い筋肉質の男性がそもそもいない。

「囲碁の強者が集う場所なんだから、もっとマッチョがいると思ってたんだが」
「君はどんなゲームを想像しているの?」

 あまり派手に動きたくないし、聞き込みも最小限に収めたい。
 顔が割れていないマリアに協力願いたいが、この美少女こそ僕より目立つであろう。

「……ね、向こうからマッチョメン(ゴリアテ)が歩いてくる!」
「ん?」

 もしかしたら、と思って僕らは自動販売機とトイレの間にある空間に身を隠した。

「お……」

 ポロシャツにチノパンの姿勢正しい高校生くらいの男子だ。ファッションはゴルフをしているおじさんだが、背が高くがっしりとしている。恐らく、猫沖氏だ。
 耳元を注視する――

「あ」
「待て、何も言うな。ヤツが通り過ぎてからにしてくれ」


 残念ながらこちらからは、通り過ぎる彼の左側しか見えない。白と黒の二連ピアスは右の耳だ。

「いやいや、あれ」
「後で聞くから!」

 大柄な肉体が通り過ぎ、距離が置かれたのを見計らって、廊下を見渡し、周囲を確認した。
 マリアが何とも言えない表情をしている。魚のように眼とぱちぱちと動かしている。

「あれさあ」
「言いたいことが分かる。うん、分かる」
「わたし、猫っきーって人の顔見たことないんだけど。囲碁部で右耳に碁石風のピアスしてるのよね?」
「まあ、うん、そうだわな、そう聞いてる」
「左耳に王将(、、)のピアスつけてたよね? あの人、きっとその人よね?」

 このビルには囲碁に限らず将棋倶楽部もある。恐らく、そこに来ていたのだろう。
 猫沖氏のどういう性癖によるものかは分からない。ただ、ゲームの駒をピアスにする男子高校生が、猫沖氏以外にいるとは――そうそう思えない。
  
 
 僕はエレベーター近くにある各階案内版を見て、将棋倶楽部のある階を確認する。ちょうど下の階だ。

「行ってみるぞ」

 どたどたぱたぱたと、カビ臭い階段を降り将棋クラブの部屋の前に着く。
 僕は顔が割れている可能性があるので、マリアが先に覗き込む。

「むんむん」

 くいくいと指先で僕を招く。往来自由の空いているドア越しに覗き込んでも、大丈夫なようだ。声を発すまいとしているのだろうが、むんむんというのが何を言いたかったかは分からない。「来て来て」とか「来い来い」の類だろうか。

 僕はこそりと中を見る。奥の窓際の席に、かの猫沖氏がいる。左耳には王将ピアスをつけている。対局しているのではなく、お茶を飲んで周りの男性と談笑している。年配から可愛がられているのだろう、と予想した。
 ふと、彼の周りに場違いな存在が近づく。そしてそのまま、二人で談笑を始めている。
 年は僕より少し上くらい、大学生だろうか。金髪碧眼の女性である。薄手のブラウスからは彼女のグラマラスな輪郭が予想できて、猫沖氏の話し方もいくらか興奮しているように見える。柔らかで大人しい視線や、流れるような金髪を無造作に結んでサイドに流しており、猫沖氏でなくとも人を惹き付ける容貌に違いない。

 僕の傍らには、カトリック信徒のスーパースター、聖母マリアがいるはずなのだが、シンプルな青いパーカーを着て、こそこそと探偵業に勤しむ様を見ると、僕は気の毒に思えてきたのだった。

 

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