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文字数 5,493文字



 炬燵に下半身を預け、天井を見つめていた。
 頭の下で腕を組み、何時間この体勢をとっていたか分からない。

 やってしまった―――という後悔は、もうない。
 
 どうする?とひたすら頭を回転させる。

 僕はアカネ先輩を誰よりも知っている。高校生という枠を超えた傑物であることを誰よりも知っている。同じレベルの人間が集まる高校という空間だからこそ、その突出が分かる。その中でも、やっかみや羨望を受けながらも一番近くにいた僕が、彼女の能力の非凡さが身に滲みて分かっている。
 
 彼女自身も同様だ。それゆえに孤独であり、身内が貴重なのだ。だからこそ自らの孤独を打破すべく身内を自分と同じレベルまで引き上げなければいけない。彼女が卒業しても、僕らはその関係が続くはずだった。

 僕は自分の立場を賭けた。もし、失敗したら僕は彼女の後継者ではなくなる。それは彼女を孤独へと突き落とす所業に他ならない。

 僕は彼女に打ち勝たなくてはいけない。
 恐らく、僕が目指そうとしているのは”理性の怪物を超えた恐ろしい何か”だ。

 自分の目つきが険しくなっていくのが分かる。
 
 幾つかの策は思いつく。
 だが、どれもパッとしない。

(このまま猫沖氏に全部罪をおっ被せる……のは無理だな)

 猫沖氏が警察にお世話になった時点で、婚約は流れるに違いない。両者の親族にまで話がいくとしたら、もう僕には手が出せない。
 そして、盗品のロザリオはアカネ先輩の手元へと戻り、長門さんの手からとうくんに渡ることはない。「長門さんからのプレゼントだよ」と偽って、僕かアカネ先輩がとうくんに手渡すか? 彼には可哀想だが現実的な路線だ。
 しかし、長門さんの口からとうくんに真相が語られたらどうする? いや、長門さんがとうくんのことを考えるならそんな残酷なことはしないはずだ……
 
 長門さんなら……
 いや、僕は長門さんのキャラクターを知らない。
 猫沖氏は仕切り越しではあるがじっくり話したことがあるし、先輩経由で人となりは多少は知っている。
 しかし、長門さんに関しては全くのブラックボックスだ……
 これについても考えなければならなるまい。

 と、間の抜けたノックが3回。

 2人なのにがやがやと騒がしく部屋に入ってくる。
 金髪の神父と、聖母マリアだ。

「もういくつ寝るとクリスマスゥ!」
「アドベント! アドベント!」

 赤と緑のグッズを持ち込み、勝手に僕の部屋の飾り付けを始める。

「やかましい」

 イエス・キリストの誕生日は12月25日じゃないんだろう、という野暮な突っ込みをいれかけたが、
「もうすぐ、わたしの出産記念日!」
 と、騒ぐマリアを見ると一言言いたくなる。

「もっと静かに騒げ」

 僕の仏頂面を見ても、彼らは意に介さない。
 ひととおりのグッズを適当に置いた後、彼らはさも当たり前のように炬燵の定位置に収まっていく。いつの間にか、僕の右横のクマさんはサンタ帽を被っている。
 金髪グラサンはお菓子を広げ始めた。

 僕はパーティもどきが始まる前に、アカネ先輩との一件を伝えた。

「ほうほう、大見得切ったもんだね」

 マリアはチビチビとコーラを飲んでいる。実は炭酸が苦手なのかもしれない。 
 金髪グラサンはスパークリングぶどうジュースを傾けている。

「壮行会も兼ねて騒ぐとしようじゃないか」

 何で今日騒ぎたいんだ。多分、理由なんてないのだろう。ということはこれが24日夜まで続くのだろうか……
 しかし、愉快な仲間たちは気にはしていない。 

「まあ、わたし達は応援しているからさ」
「男の一世一代の勝負、頑張り給え」

 ひとつひとつの言葉は軽いのだが、僕はそれらを踏み締めるうちに、腹の底にあるものが熱くなっていくようだった。やるしかないのだから。

 ケーキもない。チキンもない。安いスナック菓子とジュースと冷たいお茶で、僕らは騒ぎ通した。いつの間にか、マリアはコーラで酔いつぶれている。絡み酒らしく、マリアの手元にはきつくクマさんが抱きしめられていた。

「本物の聖母マリアもこんな寝顔で寝るのかな」
「寝顔だけだなら、同じだろうよ」

 グラサンの奥の、マリアに向ける視線は優しい。

「結局、この子は本物なのかい、偽物なのかい」
「結論を出すのは法王猊下だが……俺としては”ホンモノ”だと思う。未確認の1点を除いては」

 僕は怪訝な顔をして、左横を向く。
「1点?」
「そうさ、何だと思う。怪物くん」
「……止めてくれよ、もう怖いよ、そういう話。」
「俺は、専門家として彼女を興味深く真贋鑑定しているがね。同じかそれ以上に君に興味があるからね。だから、君を揺すぶって揺すぶって、本性を暴き出したくてしょうがないんだ」
「趣味が悪いにも程がある」

 もはや周りに超人やら聖人やらが溢れているせいで麻痺しているが、金髪グラサンに言わせれば、その中心にいながら常人の神経を保っている僕の方がおかしい(、、、、)らしい。

「聖母マリアが君になついているのが不思議であるのと同様に、君が屈託なく聖母マリアかどうかも分からない少女と付き合えているのが不思議でたまらん」
「おっさんだって、そうだろうが」
「いやいや、君。俺はこれでもかなり気を使っているがね。そもそも俺はね、実はカトリックの総本山ヴァチカン教皇庁の人間だよ。列聖省勤務だから聖人の調査、認定が専門だ」
「そうなのかよ。パスタの国からの旅行者じゃないのか」
「まあ、似たようなものさ。今はオフの旅行者だよ」
「いやいや……」

 それを僕らに気取らせない点においても、この男は只者ではないと思う。
 彼のマリアに向ける視線は、専門的な視線なのである。

「そうさね、話を戻すが彼女を聖母マリアだと確定できない1点は、君と関係していることだよ」
「関係している? ……マリアがいない時だけこういう話をするのはずるいぞ。今は寝ているだけだけど」
「自分が調査対象として鑑定中であると知られるのは気分の良いものではないだろう? さっき言ったじゃないか、かなり気を使っていると。君への揺さぶりも、調査のひとつなんだ。だからこうやってヒソヒソと男の秘密話をしているわけだ」
「陰湿だ」
 そうは言うものの、金髪グラサンが僕に問いかけてくる一言一言は重い。説教ではないのだ。僕の思いと起きている現実の差を、的確に暴いてくる。
 人間はアダムとイブの子孫ではないぞ、猿から進化したんだぞ、忘れるな。とでも言わんばかりだ。神父が言うなら面白いジョークだ。
 金髪グラサンは、ぐびりとオレンジジューズを飲み干す。

「聖母マリアの人格、考え、思い、思想というのはどういうものだったのだろうか。君もさすがに知っていると思うが聖書の記述の上では、聖母マリアの登場シーンは少ない。セリフを発する場面など数カ所だ。だからこそ”マリアはこういう思想だったに違いない”という正解はない以上、この少女の考えや人格でもって、彼女が聖母マリアかどうかの判定はできない。そういう事を考えるマリア学というジャンルもあるくらいだ」
「未確認1点がそれじゃ、だめじゃないか。答案がないんじゃ、解答に正解も間違いもない。逆にそれ以外はほぼ正解解答なのかい?」
 
 僕は何気なく訊く。それ以外を地道に地道に確認するのに、この金髪グラサンはとてつもない気の使いようをしたことだろう。

「ああ、正解解答、満点だ。素晴らしいよ。紀元前後の古代イスラエルに住む当時のユダヤ人が持っているべき思想は理解していたし、当時はないであろう思想は理解していない。彼女が今持っている現代日本の知識もごく限定的だ。福音書の間には幾つか相違点や矛盾があるんだが、彼女の解答は必ずそのどれかには依拠していた……恐ろしいほどに完璧だよ。まるで、」
「まるで? 聖書の怪物?」
「いや……神の怪物と言うべきかな」
「神と怪物、矛盾していないかい」
「はは、そうだね」

 紀元前後の歴史的事実にも、教典である聖書にも矛盾しない完璧な存在。
 それは、もはや人間の人格を超えた存在だ。

 時空を超えて出現する”聖人”というのは、まさに神が現世に遣わした怪物と定義できるのかもしれない。
 福音の伝道のために、現世へと召喚を繰り返される神の怪物。そこには人格も何も磨り減って、ただ奇跡だけが残る。

「聖人という怪物、ね」

 聖人は取りも直さず信仰の人生をかけた実在(、、)の人物だ。東洋的価値観をぼんやり持つ信仰のない僕からすれば、それは輪廻転生から抜け出せない哀れな魂と表現してしまうかもしれない。
 マリアという神に見初められた少女は、たびたび世界に召喚され、奇跡を行い去っていく。これを繰り返しているのだ。

「未だ確認できない1点―――」
 金髪グラサンはことりとコップを置いた。

「彼女はまだ奇跡(、、)を起こしていない。これがあればこの少女の思想が、異端的でないのなら聖人確定だ。聖母マリアの出現の奇跡が確定したことになる」
「奇跡?」
「眼が見えなかった人が見えるようになる。歩けなかった人が歩けるようになる。予言をする。他にはユダヤ教徒がキリスト教徒に改宗するだとか」
「なるほどねえ。出現自体を奇跡とはカウントできないのか?」
「目撃者が多かったらあり得るかもしれない。御出現が起きる西ヨーロッパはキリスト教徒が多い。だから出現自体が奇跡として作用した。しかし、今回は違う。何かしらの”良いこと”がこれから起きなければ、それは奇跡たり得ないのだ。それに俺は出現の瞬間を目撃していないしな」

 全裸の少女を目撃するのはまずかろう、と思うが口には出さない。

「穿った言い方をすれば、ロザリオに憑いた付喪神かもしれないのだよ、彼女は。その場合は神の奇跡によって出現した聖人ではなく、ただの悪霊だ。君たちの文化圏に合わせた言い方をするとファンシーな妖怪さんだよ」

 クマさんを抱いて丸まっている彼女を見ると、座敷童子に見えなくもない。

「言いたいことは分かったが、なぜ奇跡を起こす云々と僕が関係するんだ?」

「恐らく、奇跡を発動するキーは君なんだよ。彼女が君の目の前に現れたことが何よりの証左だ。それに気になる言葉を彼女は言ったのさ…… それこそが君が鍵である根拠だと俺は認識している」

「マリアは何を言ったんだ?」
「『君についてどう思うか?』と僕が訊いた時のことだ」
「ちょっ、何を訊いてんだ!」
「落ち着け。意中の子について盛り上がってる修学旅行の夜じゃないんだ」
「そういう意味でじゃねえ」
「続けていいかね、まあ彼女は通り一遍のことを答えた」
「……通り一遍?」
「優しい人、とか、いい人とか、そこら辺の」
「ああ……そう」
「そして、通り一遍のことを答えた後に彼女はこう言った。『イエス(ヨシュア)のようだ』と」

 一瞬の沈黙。
 他の住人の生活音やエアコンの音だけが、大きく聞こえ、耳の奥へ消えていった。

「―――どういう意味において?」
「『自分の息子みたいって意味じゃないよ』だそうだ」
「そりゃあ、まるで意味を成さないじゃないか」

 君は自分の息子のようだ。これは自分の息子という意味ではく。
 君はイエス・キリストのようだ。これはイエス・キリストという意味ではなく。

「そのとおりだ。だが聖母マリアの息子というのは多くの意味を持つ。字義どおりの自分の息子、救世主、ユダヤの王、キリスト教の教祖、父なる神の子、人間、等などだ。俺はこの中のどれでもないと思っている。イエス・キリストのイメージから、あらゆるイメージを差し引いていって一個残ったのが、彼女の答えだろう」
「友達とかはどうだ」
「はっ、それは面白いな。友達親子か。聖書の記述に一部矛盾するが、面白い」

 くっと金髪グラサンは笑いを堪える。

「下衆に下衆に、あらゆる可能性も検討して、”恋人”という意味も考えたが、それは違おうな。調子に乗るんじゃねえぞ。付喪神か悪霊か妖怪なら、ご勝手にという感じだが。」
「分かってるよ」

 僕にに釘を指すように彼は唾を飛ばした。

 ふとサンタ帽のクマさんがもぞもぞと動く。
 いや、マリアがもぞもぞと動く。僕と金髪グラサンは一瞬ぎくりとして動きを止める。

「ふにゃり」
「マリア殿、起きられましたか」
「……うん」

 騒いで疲れたのか、朦朧としている。

「お開きにしようぜ」
「そうだな」

 僕は簡単にお菓子のゴミを片付ける。
 金髪グラサンはクマを抱いたままのマリアを、抱き上げ、僕の向かいの部屋に運び込む。
 僕が先回りしてささっと布団と敷き、その上に金髪グラサンは優しく身体を置いて、掛け布団をかぶせた。

「じゃ、おやすみ少年。戸締まり頼むぞ。後、言わんでも分かってると思うが手を出すなよ」
「分かってるよ」

 僕も立ち上がり、簡素な部屋を出ていこうとする。

「むにゃ」
 
 寝言だろうか。

「……あの時の(、、、、)イエス(ヨシュア)のようだね」

「えっ」
「おやすみ」

 僕が慌てて振り返っても、小さく穏やかな寝息が聞こえるだけだった。
 僕のやることは決まったような気がした。
 準備は早い方がいい。僕は携帯電話を取り出した。ギリギリ間に合うはずだ。
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