26(終章)

文字数 3,266文字

「じゃあな。酒類の万引き疑惑に関しちゃあ、あたしが全身全霊を賭けて守ってやる」

 午前8時過ぎ。白銀の世界で僕とアカネ先輩は、帰路を別にした。世間は年末休みに入っているせいか人は全くいない。
 まだ足跡の付いていない雪を一歩一歩踏みしめている。
 
 アパート前に着くと金髪グラサンが立っている。
 いつものようなちゃらんぽらんな格好ではなく、グレーのトレンチコートを着込んでいる。黒のブーツも相まってまともな紳士に見えた。

「お疲れ様」
「うん、ただいま」

 僕は眼を細めた。目の奥の痛みはまだ続いている。
 
「万引きとなると、ご両親に連絡がいくんじゃないのかね?」
「ロザリオ調達の件が既にあるから、何かしら察してくれるだろうよ。お酒の万引きに関しちゃあ、アカネ先輩が死ぬ気で真犯人を見つけるだろうな。打ち首拷問くらいされるかもしれん」

 会うこともないであろう万引き犯の冥福を祈る。

「そういや、まともな格好しているねぇ」
「ああ、これかね」

 よく見ると複数のスーツケースが玄関脇に積まれている。

「そろそろ帰国しようかと思ってね。おじさん、ちょっと長く遊び過ぎたね」
「そうか……」

 僕はぽつりと相槌をついた。一ヶ月も一緒にいなかったはずだが、随分と長く一緒に馬鹿をやっていたように感じた。

「マリア()はもうおられない」

 ……予想はしていたが、実際口にされると手足が冷えていくような喪失感に襲われる。
 そうか、やっぱりそうなんだ。

「世界各地の聖母マリアの御出現において、奇跡を起こした後、必ずいなくなる。当たり前だな」
 そう当たり前だ。そのまま出現場所に居着いて住民票をとって暮らしているはずがない。

「マリア様が去る前に君がやらかそうとしていることを聞いたよ。やはり、恐るべきは君の中に眠っていた怪物だった。先輩さんを超え、最後に勝ち残ったのは君の理性だった」
「はは、マリアとその息子さんには勝てないよ」

 僕は軽口を叩いた。金髪グラサンは冗談と認識したのかしていないのか、相槌を打ってくれない。あの親子は全世界に救済の論理を提供したのだ。僕とスケールが違う。
 
 ふと何を思ったのか、彼は雪を拾い上げ雪玉を作り上げた後、僕の顔面目がけて投げつけてきた。

「……ふぎゃあっ! 冷た!」

 柔らかい雪質のせいか、当たった瞬間破裂したように顔全面が雪だらけになった。

「……やはり眼鏡はフレームだけ(、、)なんだな」
「……分かってるなら投げるなよ」
「昨日からかね。視力が回復したのは」
「ああ、そうだよ」

 正確に言うと水風呂をあがってから……マリアに抱きしめられ暖かい水滴を顔に受けてからだ。あの後、何が起きたか分からず目眩と痛みしかなかった。

「だから勝てたのか。イカサマ少年」

 本来の視力が戻っただけならばイカサマとは言うまい。
 が、しかし、あの場において細工をしたのは確かだ。僕は机と椅子の足を全て顔が映る(、、、、)くらいピカピカに磨き上げた。そして持ち込んだお菓子はポテトチップスなどの裏地が銀色の袋に入ったものばかり。食べ終えたら席の後ろ(、、、、)へと積み上げていった。さらに日が落ちた後は窓ガラスに教室内が反射(、、)する。
 つまり回復した驚異的な視力で、何かに反射したアカネ先輩の手札を盗み見て(、、、、)いた。
 もちろんカード5枚全てのマークと数字が分かることは絶対にない。1枚すら見えないこともあった。だが、かろうじて(、、、、、)手札のうちの何枚かが、ハート、ダイヤの赤いマークか、クラブ、スペードの黒いマークか、11以上の絵札かそうではないか、くらいが分かる時があった。
 この僅かな優位は、ジリジリ続ける長期戦において有意な勝率上昇要因となり得る。相手の手札が分かっていれば簡単だが、あくまで赤か黒か、絵札かそうじゃないかが分かるくらいだ、それも予想して行動しなければいけない。
 つまり簡単に言えば24時間近く予想し続ける集中力さえ(、、)続くならば、優位性を勝負に持ち込むことができる。そして長期戦であるなら優位性は数字として出て来る。
 
「とんでもない、ろくでもない人間だよ、君は」

 金髪グラサンがふんと笑う。それはイカサマを咎めて軽蔑するものではなかった。

「お褒めいただきありがたいね。善良なカップルの婚約を成し遂げ、苦労人の小学生は無事に渡伯できるし、敬愛する先輩の貞操を守り通したんだ。これで僕も天国行き決定かね?」
「調子に乗るね、君は。聖母マリアの奇跡すらも利用した悪逆非道の異教徒が何を言っているんだ」

 金髪グラサンはスーツケースをうんしょと持ちあげた。風来坊のようななりをしていたくせに荷物は多い。旅先で買い込んだ土産物の類だろうか。

「ただ仮に、君が父なる神に礼拝する立場になったら……何を願う?」

 アパートの門を開け、スーツケースを運び出すのを手伝ってやる。
「何を願う?」と言われてもな。現役の神父の前で何を答えたものだろうか。いや、別れの挨拶程度の雑談なのだ。ここで何も気負って考えることもない。正直に言うだけだ。

 僕はマリアが出現して以降の日々を思い出す。良くも悪くも夢のようだったと言える。マリアが去り、この男が去った後、僕は身体の内にあった怪物と対峙して生きていかなければならない。
 だからこそ……僕は願う。

「マリアともう一度会いたいね。おっさんはついでで良いや」

 金髪グラサンはヴァチカンに行けば会えるのだろうか。あるいはまた世界を放浪するのだろうか。

「……なるほど。俺はまた君と再会しなくても構わないんだがね、ありがとう」

 金髪グラサンは厭味ったらしい挨拶を残して去っていく。

「あ、最後に餞別だ。受け取り給え」
「送り出す側が渡すんじゃないのか、餞別って」
「気にするな。間違ってはいない(、、、、、、、、)

 彼は胸元から一個の眼鏡ケースを出す。そしてサングラスを外して眼鏡ケースと一緒に僕に手渡した。

「今の君の眼で雪景色の反射は辛かろう。もらっておけ」
「ん、……ありがとう」

 僕はレンズを取り去ったフレームだけの眼鏡を顔から外し、サングラスをかけた。チカチカするような雪の眩しさが一気になくなる。

「いい感じに胡散臭いぞ」

 金髪グラサン……ではなく金髪神父は、からかった。

「では」

 ごろごろとスーツケースを転がしながら、彼は雪の街へと消えていった。

 聖ベルナルド。確か黒い聖母から3滴の母乳を受けて霊感を受けたという聖人の名前だ。彼の洗礼名を一度でいいから呼べばよかった、と僕は思った。





 
 僕はマリアのいた向かいの倉庫部屋を開ける。
 最初から何もなかったかのように、段ボールと箱しかない殺風景な部屋だ。

 本当に一人の少女がここで寝起きしていたのだろうか。

 全てが幻のように思えてくると、足の力が抜けて戸を背にして座り込んだ。


(聖母マリアが本当に僕の目の前に現れるなんてなあ)

  
 もう一度会いたい。
 心から願った。

 とうくんの足をさて置いても、マリアの残留を願うべきではなかったか。
 いや、それは僕が脱したかった甘えそのものだ。
 それに聖人は現代に留まることはない。留まればそれは聖人ではない。誰かを救済するために時空(、、)を超えて再びどこかに現れるのだ。

 僕はフレームだけの眼鏡を握っていたに気付いた。
 せっかくだから、もらった眼鏡ケースに入れようとする。


「……あれ」
 

 既に別の眼鏡が入っている。
 傷だらけで平凡なデザインの黒い眼鏡。

 ん、これは……
 その眼鏡はレンズがない。古びているだけで僕が今手元にある眼鏡と、明らかに同一のもの。

 そうか。
 なるほど。
 
 既に僕には救いがあったのだ。

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