15

文字数 3,602文字

 
 翌日。
 
「伝えてておきたいことがある」

 アカネ先輩の電話を受け、僕は放課後に4階の空き教室向かった。
 四脚の机が、いつものように彼女の玉座になっていた。

 茜色に染まった夕日を凝視しているのではないかと思えるほど、こちらに向けた後姿は凛としていた。よく見たら上履きを脱いで、足の裏をそれぞれの膝の上に向けて組んでいる。蓮華座とかいう座禅スタイルの胡座だ。しかし、肩は釣り上がり腕を組んでいるように見える。禅定している僧侶とは真反対の、轟々とした怒気を背中から発していた。
 
「自分の後光なら目が潰れないんですかい」

 僕は軽口を叩いた。

「……来たか」

 アカネ先輩は僕の軽口に反応せずに、背を向けたまま答えた。嫌な予感がする。

「単刀直入に言おう。状況が変わった」

 言うまでもなく猫沖氏による相談に始まる、アカネ先輩のロザリオの消失事件のことであろう。
 僕は嫌な汗が出て来るのが自分でも分かった。
 
「どういう風に変わったんでしょうか」

「―――秀作さんにばれたんだ、それも良くねえオマケつきで」
 
 宇都宮秀作。アカネ先輩の父親である。親でもあっても祖母であっても名前で呼ぶという家風は父親の秀作氏本人の哲学だと聞いている。
 両手を机につけて、器用に下半身を浮かせクルリとこちらを向いた。
 そのまま頬杖をついてこちらを見る彼女の表情はまるで悪鬼だ。眉根にこれ以上ないくらい皺を寄せて、切れ長の三白眼は爛々としている。

「あたしが土産でもらったロザリオは、あたしの私物だ。最悪、あたし一人が割を食ってめでたしめでたしでも良いと思っていた」

「はあ」

「だが、同時期に”店の商品”まで盗まれてやがった」

 僕は絶句する。
 アカネ先輩の怒気は、無理やり声のなかに押さえつけられているようであった。

「防犯カメラで録画されていない時間帯があっただろう。たぶん、あのあたりだ。あるいは撮影中でも器用にやらかしていたかもしれん。盗まれたのは、よくありがちな酒とか飲食物だ」

「猫沖氏が犯人ですか?」

 長門さんが犯人である可能性は、今ここで僕から言い出す必要はない。

「分からねえよ。多分違うだろうな。ほぼ間違いなく違う。だが、問題はそこじゃねえ」
「家の人にバレたってことですか」
「そう、よりにもよって秀作さんがロザリオ盗難と酒類の万引きについて同時に知ることとなった。我らが宇都宮家のお膝元でこんな事件が起きるなんて、放っとけねえ……ってな」

 宇都宮家は代々の商家で、今となっては小売以外も営む大企業であるが、元々は江戸時代後期に端を発した商家である。あの宇都宮商店は江戸時代から同じ土地の上で、明治、大正、昭和と時代が移りかわっても、創業の初心忘れずという意味で、生活の場であり続けた。
 秀作氏にそういった歴史の重みの実感があるかは分からないが、自分の会社で起きた万引きは厳重に対処すべき事案なのだろう。

 不景気のせいか、防犯設備が整わず高齢化がすすむ商店街の店で万引きが横行している、というのはどこかで聞いたニュースだが、今の僕においては対岸の火事ではない。
 つまり―――

「お父上は、ロザリオ盗難とお酒等々の万引きを同一犯として考えている」
「普通はそう考えるだろうな。どちらの証拠もないんだから。わざわざ犯人が2人いると分けて考える必要はない、と言った方が正しい。ロザリオ窃盗犯は、その他万引きも余罪として付いてくる。違うというなら署で話を……ってやつだな」

 あくまで調査のためだった。が、そのいつもと違う様子が、先輩のおばあちゃんからお父上への耳へ入ったのだろう。

「最近、僕達もあそこらをうろちょろしていましたからね」

「育子ばあさんはあたしやお前がロザリオ捜索しているのを知っていたから、知らぬ存ぜぬは難しい。長門が映った映像ファイルも、昨日この話があった時点で秀作さんに押収された」
 
 玩具とはいえ防犯カメラがあることは先輩の祖母も知っていたであろうから、そのファイルが保存されているノートPCこそ、その場で押収すべきものなのだろう。
 これは―――場合によっては……

「……長門と猫沖の婚約話は流れるだろうな」

「………っ!」

 やはりそうなるか。

「あたしは万引きなら、何であれ許しちゃおけねえクソ野郎だと思ってるよ。だからこそ、だ。”万引き犯の特定のために”って言われたら、あたしは全て(、、)を話すだろう。父親の後を継ぐかどうかなんて、まだ決めちゃいねーが、あたしがあたしであるプライドを保つためにも、片や口をつぐみ、片や犯人を糾弾することはできない。万引きという言葉でくくられてしまった以上は、な。」
 
 真っ直ぐな女だ、と僕は思う。

 自分に不正直な判断をした前例を残しておくことは、今後の彼女の人生において大きな(よど)みになる。何かを切り捨て、何かを手に入れる、恐らく経営と呼ばれる世界での判断は、覚悟を伴う。その覚悟に澱みが侵食していくならば、それは覚悟でなくなる。覚悟を持つことができなくなる。そして判断ができなくなる―――

 この人も理性の怪物だ。

「すまねえな。お前に全て任せたかった。”人間は自由という刑に処されている”、”ひとは各々の道を創り出さなくてはいけない”と言いながらもままならないことは多い。秀作さんの台詞だがな。いや、だからこそサイコロをふる……その中で選択することはできるのか」

 フランスの哲学者の言葉だったはずだ。個人の行動は他者や神が決めるのではなく、自分で理性をもって決める、決めなければならない、ということか。

 このまま猫沖氏から長門さんへと疑いが及び、東肇(とうくん)も関係者として招致されるのだろうか。その時に、金髪グラサンの言っていた真実を彼は知ることになる―――
 長門さんを慕っている彼の様子を思い出した。
 単なる銭湯付き合いの小学生に過ぎない。小学生の彼は汚いものを見ることになるだろう。それが神様を信じる、聖母マリアを信じる純朴な少年の心にどのような大きな澱みを生み出すことになるのだろう。それが真実であるならば、しょうがないことなのろうか―――


「……アカネ先輩、もう少し、もう少しでいいんでお時間をいただけませんか」

「……何だと? もう……」

 彼女の片眉がぴくりと動いた。
 口を開きかける。もうお前の出る幕は終わったんだ(、、、、、、、、、、、、、、、)そんなことも分からないのか(、、、、、、、、、、、、、)、そう叱責するのだ。
 しかし、僕は彼女の発言を遮る。

「僕に対する試験なんか、もうどうでもいいんです。今は師走だ。先輩もお父上も忙しいでしょう。通報して一番忙しい時期に現場検証とか聴取が始まったらどうするんです。だから……せめて25日、クリスマスまで待つくらいはできるんじゃないですか」

「お前は何を……」

 かつてアカネ先輩を、ここまで強く見据えることができたであろうか。
 虚勢に過ぎない。しかし、今はこうしなければいけないと、身体が勝手に動いていた。
 
「『犯人の目星がつきそう』とかアカネ先輩自身が言えば無理に急く必要もなくなるはずだ。頼みます。それまでに僕が解決してみせます」

「解決? あの猫沖の珍妙な相談に解決もクソもあるか。落ち着け。我が家の事情はさておいても、猫沖と長門の婚約までかかっているんだ、破局を迎えるにせよ、それをかき乱して責任がとれるのか?」

「とれます。正確に言うと責任はとれませんが、とるために何だってします」

「お前が何ができるっていうんだ……! なぁ、頼むから、今回は引いてくれ。お前に対する試験はまた別の機会だ」

 僕はいつまでもあなたに甘えているわけにはいかない。
 あなたに選ばれた日から、あなたを越え(、、)なきゃいけない日がくることは決まっていたんだ―――
 
一番弟子の座(部員の立場)を賭けます」

「何を……」

 アカネ先輩の眉根が下がる。
 止めてくれ。そんな寂しそう(、、、、)な顔をしないでくれ。あなたが孤独(、、)であることは僕だって分かっているんだ。

 僕はもう後にはひけない。いつまでも孤高の女王を慰めるための可愛い弟じゃいれない。あなたはだってそれは覚悟していたはずだ。

「お願いします」

 僕は頭を下げた後、彼女の顔を見ずに黙って回れ右をした。
 今振り返ったら、アカネ先輩の表情を正面から見てしまう。きっと、泣きそうな顔をしているのだ―――

「25日にまたここに来てください。時間は前日までにメールします」

 僕は後ろ髪を引かれる思いで、空き教室を後にした。
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