13
文字数 2,189文字
「あれ……今日は早いですね」
まだ男湯にはとうくんをはじめ、2,3人の客が入っていた。いつもは、僕が最終客であるから、とうくんの終わりがけに入湯していることになる。
彼にしてみれば、珍しい時間帯に僕を見ることになるのだろう。
身体を洗い、彼の横に陣取る。
「長門さんとは知り合いなのかい」
僕は単刀直入に切り込んだ。
覚悟は決めてきたつもりだ。ことを明らかにしなければ結論も出せない。
「この前、公園にいる君と長門さんを見かけてね。長門さんの方は、僕の高校の先輩の知り合いだったら顔を知っていたんだ」
「うん、知り合いです。長門さんの大学のサークルが、児童館の子供達と、一緒にゲームをしたり、長門さんみたいな留学生が外国語を教えてくれたりするんです」
なるほど。金髪グラサンの調査は正しかったわけだ。
「とうくんもよく参加するの?」
「6年生は数が少なくて……僕がみんなをまとめることが多いんです。だから、大学生と話す機会は僕が一番多いかもしれません」
「それで長門さんと話す機会が多いんだね」
「……はい」
とうくんの返事の一瞬の時間。それで彼の思い は、測れた 。
湯船に移動する。
僕は眼鏡を額にかけて、ぼんやりした視界の中で左耳のみ彼の話に集中していた。
どこか親近感を感じる。
彼は長門さんを尊敬し、敬慕している。
同じではないものの、彼の持つ感情の一部は僕と重なっている。
「凄く優しくて、大人びてて……」
胸のうちから思い出を一個一個並べていくような、そんな話し方をする。
果たして僕があの先輩のことを思い出すときに、そんなことができるだろうか。
「でも、お別れですね」
彼の高い声が、急に小さく聞こえにくいものになった。
何のことだ?
「どういうこと?」
「……僕、一家で母の国へ帰るんです。母が日系ブラジル人だっていうのは以前言いましたよね」
彼が感傷的な物言いになっていのは、長門さんを懐かしむような言い方になっていたのは、これもあるのか。
「長門さんもそれを知っている?」
「ええ、もちろん。僕は元々足が悪くて……日常生活で歩くには全く支障がないんですが、向こうで療養することになったんです。このままこっちのお医者さんだとお金かかりますし。日本食レストランをやっている向こうの祖母も体の調子が良くなくて……このタイミングです」
「……なるほど、それは、立ち入ったことを聞くことになってしまった。すまない」
「いいですよ。僕の行動は僕が決めるんです。全てはその結果です。」
「名言っぽいね」
「長門さんがこういうことをけっこう教えてくれるんです。”すべての答えは出ている。どう生きるかということを除いて”とかね」
「かっこいいな」
彼は乾いた笑みで応えた。
僕より年下の小学生男子が、こんな枯れた諦めの笑いをするのか。胸の奥がじくりと痛んだ。
僕は話題を少し逸した。逸らすことしかできない。
「―――そういや、長門さんもクリスチャンなのかい」
それであるならば2人でだけで通じる話もあるだろう。
「はい。フランスでも田舎の人と都会の人、若い人とお年寄りの間で、随分差があるようなんですが、長門さんは小さい頃―――13歳頃からお母さんと一緒に教会に行き始めたそうですね。その頃から使っているロザリオも見せてもらいました」
「君も持っているのか」
お湯の中なのに、身体が冷えていくような気がした。
「もうボロボロで……それはそれで良いのですが―――長門さんにこれを見せたら、今度、彼女が新しいロザリオ をプレゼントしてくれるんです。一度商店街で見かけたやつが凄くキレイで、僕が目を止めたらそれを買ってくれるって……。お土産に、餞別に、お守りに、ってプレゼントしてくれるそうです。もう、それだけで幸せじゃないですか」
―――それだけで幸せじゃないですか
ぽたり、と天井から水滴が僕の額に落ちる。
”ロザリオをどうしても手に入れたかった理由”
とうくんが目に止めた、ということはその時は窓際の棚に陳列されていたのだろう。しかし、長門さんはそれが売り物 ではないことを知っていた。それを知ったのは防犯カメラに映っていたあの時だ。座敷のガラクタ近くの棚にあったロザリオを見ていたのだろう。
そうして―――彼女は行動した 、というわけか。
これでアカネ先輩に報告する材料は揃った。
ひとつ安心したのは、恐らく長門さんととうくんの間に、男女の……顔を赤らめるような関係はない。双方がカトリックであること、と言うより前にカトリックの話題が2人の間で出ているなら、婚前の、しかも二十歳近い女性と男子小学生の間に過ちはないと推測できる。
あとは、アカネ先輩に報告するだけか。後は、彼女がうまく取り計らってくれるだろう。
しかしなあ。
胸にざわざわとしたものが残る。
「そろそろ、僕は失礼しますね」
とうくんが立ち上がり、湯船から出る。歩行に不安なところはないように見える。
「聖母マリアの御加護を」
僕の軽口に、
「ありがとうございます」
と、とうくんは丁寧に頭を下げた。
まだ男湯にはとうくんをはじめ、2,3人の客が入っていた。いつもは、僕が最終客であるから、とうくんの終わりがけに入湯していることになる。
彼にしてみれば、珍しい時間帯に僕を見ることになるのだろう。
身体を洗い、彼の横に陣取る。
「長門さんとは知り合いなのかい」
僕は単刀直入に切り込んだ。
覚悟は決めてきたつもりだ。ことを明らかにしなければ結論も出せない。
「この前、公園にいる君と長門さんを見かけてね。長門さんの方は、僕の高校の先輩の知り合いだったら顔を知っていたんだ」
「うん、知り合いです。長門さんの大学のサークルが、児童館の子供達と、一緒にゲームをしたり、長門さんみたいな留学生が外国語を教えてくれたりするんです」
なるほど。金髪グラサンの調査は正しかったわけだ。
「とうくんもよく参加するの?」
「6年生は数が少なくて……僕がみんなをまとめることが多いんです。だから、大学生と話す機会は僕が一番多いかもしれません」
「それで長門さんと話す機会が多いんだね」
「……はい」
とうくんの返事の一瞬の時間。それで彼の
湯船に移動する。
僕は眼鏡を額にかけて、ぼんやりした視界の中で左耳のみ彼の話に集中していた。
どこか親近感を感じる。
彼は長門さんを尊敬し、敬慕している。
同じではないものの、彼の持つ感情の一部は僕と重なっている。
「凄く優しくて、大人びてて……」
胸のうちから思い出を一個一個並べていくような、そんな話し方をする。
果たして僕があの先輩のことを思い出すときに、そんなことができるだろうか。
「でも、お別れですね」
彼の高い声が、急に小さく聞こえにくいものになった。
何のことだ?
「どういうこと?」
「……僕、一家で母の国へ帰るんです。母が日系ブラジル人だっていうのは以前言いましたよね」
彼が感傷的な物言いになっていのは、長門さんを懐かしむような言い方になっていたのは、これもあるのか。
「長門さんもそれを知っている?」
「ええ、もちろん。僕は元々足が悪くて……日常生活で歩くには全く支障がないんですが、向こうで療養することになったんです。このままこっちのお医者さんだとお金かかりますし。日本食レストランをやっている向こうの祖母も体の調子が良くなくて……このタイミングです」
「……なるほど、それは、立ち入ったことを聞くことになってしまった。すまない」
「いいですよ。僕の行動は僕が決めるんです。全てはその結果です。」
「名言っぽいね」
「長門さんがこういうことをけっこう教えてくれるんです。”すべての答えは出ている。どう生きるかということを除いて”とかね」
「かっこいいな」
彼は乾いた笑みで応えた。
僕より年下の小学生男子が、こんな枯れた諦めの笑いをするのか。胸の奥がじくりと痛んだ。
僕は話題を少し逸した。逸らすことしかできない。
「―――そういや、長門さんもクリスチャンなのかい」
それであるならば2人でだけで通じる話もあるだろう。
「はい。フランスでも田舎の人と都会の人、若い人とお年寄りの間で、随分差があるようなんですが、長門さんは小さい頃―――13歳頃からお母さんと一緒に教会に行き始めたそうですね。その頃から使っているロザリオも見せてもらいました」
「君も持っているのか」
お湯の中なのに、身体が冷えていくような気がした。
「もうボロボロで……それはそれで良いのですが―――長門さんにこれを見せたら、今度、彼女が
―――それだけで幸せじゃないですか
ぽたり、と天井から水滴が僕の額に落ちる。
”ロザリオをどうしても手に入れたかった理由”
とうくんが目に止めた、ということはその時は窓際の棚に陳列されていたのだろう。しかし、長門さんはそれが
そうして―――彼女は
これでアカネ先輩に報告する材料は揃った。
ひとつ安心したのは、恐らく長門さんととうくんの間に、男女の……顔を赤らめるような関係はない。双方がカトリックであること、と言うより前にカトリックの話題が2人の間で出ているなら、婚前の、しかも二十歳近い女性と男子小学生の間に過ちはないと推測できる。
あとは、アカネ先輩に報告するだけか。後は、彼女がうまく取り計らってくれるだろう。
しかしなあ。
胸にざわざわとしたものが残る。
「そろそろ、僕は失礼しますね」
とうくんが立ち上がり、湯船から出る。歩行に不安なところはないように見える。
「聖母マリアの御加護を」
僕の軽口に、
「ありがとうございます」
と、とうくんは丁寧に頭を下げた。