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 ビルから出ると、僕たちはファーストフード店で今後の対策を練るために、安くて早いハンバーガーをむしゃりむしゃりと頬ぼっていた。
 ビルの出入り口が、店のガラス壁越しに見える位置に座る。対策を練りながら見張りもできるわけだ。

「こりゃ、ひとつの手がかりになるかもな」

 僕とマリアが入れ替わり立ち替わり、監視を続けた結果、かなり親密な関係であろうと結論づけた。
 相談者たる彼の顔を見た挙句に手がかりゼロという有様であるので、ここにきて猫沖氏と親密な関係な女性の登場は、ありがたいことこの上ない。

「マリア、彼女の胸の谷間を見た?」
「堂々とセクハラをぶっこんでくるなんて、君は何を考えているの」

 ストローを咥えてズズズと少年らしい音をたてると、マリアは阿呆を見るような目つきになった。

「いやいや、ネックレス。アクセサリーを着けてたように思うわけよ」
 残念ながら、その首にかけた紐状のアクセサリーの先は彼女の胸の谷間へと吸い込まれており、ペンダントトップが十字架かそれ以外か、つまり盗品の可能性のあるアカネ先輩のロザリオかどうか判断はできなかった。
 しかし、紐の部分がアカネ先輩から送られたロザリオの写真と似ているように思えたのだ。
 
「首に何かかけていたのは間違いないと思う。白いブラウスだったから、服の一部や皺が偶然そう見えたってこともないはず」
「だよな、だよな」
 
 僕は興奮気味に相槌を打った。
 もちろん、祈りの道具として使うロザリオはネックレスのように首にかけて使うものではない、というのは金髪グラサンから聞いているので知っている。
 しかし、そういう情報を知らない猫沖氏と彼女がロザリオを所有しているのであれば、丁度良い大きさのネックレスとして使っている可能性も否定できない。

「猫沖氏が、彼女にプレゼントするために盗んだ、っていう説はどうだね」 
 
 マリアが飲み物をすするのを止めた。
 
 この仮説の場合、あの金髪美女がロザリオを所有しており、かつそれが猫沖氏から貰ったものだと証言してくれればほぼ解決ではないだろうか? 実は犯人は猫沖氏でした、という仮説だ。

「彼女にどうやって証言してもらうの?」

 マリアは言った。

「直接訊くとかどうだ?」
「訊けるの?」
「不自然にならないように……”きれいなネックレスですね”とか話しかけてだね」
「ナンパだ、ナンパ!」

 うーん、と僕は頭を捻った。まさか「盗品であるから聞かれても答えないように」と言ってプレゼントする馬鹿もいないだろう。盗品をプレゼントにするのが許されるのは、漫画に出てくる怪盗だけだ。

「貰い物かどうかくらいは、彼女も正直に答えてくれないかな? そこから、プレゼントした人物の情報を聞き出すのも話術次第で何とかなるかもしれない、と僕は思う」
「君にその話術があるかどうかが鍵だね」

 僕は無視して「あるいは」と前置きをする。

「彼女が、胸からロザリオを出した瞬間を撮影する。猫沖氏と仲良く一緒にいる写真も一緒に撮影する」

 僕の提案に、今度はマリアがうーんと言った。

「盗撮じゃない」
「バレないように何とかするさ」
「……ドン引きだよ。どんどん君がチャラくて不穏当な少年になってく……」

 泣きそうな顔は、泣き真似にはならないだろうが、マリアはそんな感じの表情をした。泣きそう顔の真似ということなのだろうか。

「聖母マリアから見りゃあ、僕ぐらいの高校生はみんな不良だと思ってくれ」
「いやいや、騙されないもん。それに”無くなったロザリオを持っている女性”と”女性と仲良くしている自分”の写真じゃあ、盗んでガールフレンドにプレゼントしたっていう直接の証拠にはならないんじゃないの?」

 僕は自分がしかめ面になるのを感じた。
 思い切って言葉を次ぐ。 

「―――いや、僕は”自供”って方法でカタをつけたいと思うんだ」
「……また不穏当なこと言うね。自白の強要という意味でしょうか?」

 マリアはストローをカップから出して「えい」とぴょこぴょこと動かした。飛沫が3適、飛んでくる。
「すぅーん」
 その後、ストローを咥えて息を吐きだし僕の方を冷めた眼で見る。
 急に温度が下がっていくようだった。

「まあまあ……確かにその写真だけじゃ「何のことですか? あなたは誰ですか?」と猫沖氏がしらばっくれる可能性がある。匿名相談だからね。でもさ、彼女の証言の録音だとか、写真を前にされたら、彼もそこまで言い切れることができるかな? アカネ先輩からもらった盗品ロザリオの写真がこっちにはあるんだし。それと同じものを持っている女性が、自分と一緒にいる写真を見せられたら、自白すると思うんだよ。限りなく黒に近いだろ?」

「あんまスマートじゃないなあ。君がいいならいいけどさあ……」

 マリアの視線が痛い。意味合いとしては「ふーん、知らない。もう勝手にすれば?」に近い。

「結局、猫さん自身が犯人だとしたら、やっぱり相談にきた理由が不明よね」

 マリアは言い捨てるように言った。
 ウ、と僕は言葉に詰まる。それが一番、頭のなかにシコリのように残っているのだ。そもそもあの場の緊張感が僕のトラウマのように残っている。
 
「小説やドラマで”動機は後からついてくる! まずは証拠と証言があればいい!”という刑事のセリフがあってだね」
「あ、見たことある」

 マリアは日中はテレビを見ていることが多いそうだから、その手の番組も見たことがあるのだろう。少し食いついた。

「相談にきた理由も含めて、猫沖氏から説明してもらえば万事解決なんじゃないかな、と」

 そのためには、写真や証言で一気にプレッシャーを浴びせ「自分がやりました」という自供を最初にしてもらわなければならない。

 もちろん猫沖氏による反撃も予想はされる。
 先程マリアに言ったように「何のことですか? あなたは誰ですか?」と猫沖氏が最初から最後までしらばっくれるパターンだ。こうなると先輩の送信したロザリオ写真と、盗撮予定のロザリオ写真も「偶然、同じものだっただけでは?」と言われておしまいだ。そして「そもそも、自分が犯人なら、放送部に相談に行ったりしませんよね?」とこちらの論理のホツレを指摘されて、僕が馬鹿を露出するだけだ。
 
 と、なると自供を迫る作戦は賭けに近い、と改めて思った。
 会話の切り出しや、話の持って行き方に依存する賭けだ。さらに言うなら猫沖氏の実直らしいという性格に期待するという不安定要素もある。

「アカネ先輩なら、押し切ってしまえるんだろうなあ」

 僕は正直に弱音を吐いた。うなだれてしまう。

「……悩め。悩めよ少年」
 
 ふふん、とマリアは微笑む。
 その微笑みは同年代の女子が違うことに気付いた。何かを経験してきたであろう、陳腐な表現を使うなら大人の女性の笑み。
 銭湯での金髪グラサンの言葉を思い出した。
 彼女が聖母マリアなのか、ただの少女なのか。
 ただの少女がこんな優しくて蠱惑的な笑みができるのだろうか……?

 これが人妻の魅力か、と冗談のひとつも飛ばしたくなった、それはそれで自分が負けたような気になるだろう。そして、そんなことを気にしているあたりがやはり自分は子供なのだ。親元を離れているだけで多少の気が大きくなっているだけの子供だ。

「……聖母様は伊達じゃねえやな」

 結局、くだらない冗談を言ってしまう。

「子供であって同時に母親でもあるということもあり得るってこと、実感できた?」

 現代日本においても彼女の容貌は間違いなく子供と定義されるだろう。だから同時に子持ちの母親である時は社会がザワ(、、)つく。

「聖母の定義は、イエス・キリストを産んだ人でOKなのか?」
「比喩としても使うでしょうが、間違ってはいないんじゃない? 生前に言われたことないから恥ずかしーけどね」
「子供であれ、母親であれ、聖母であれ、周囲が定義づけできるよな? 真にそうであるかは別にしてさ。僕が気になるのはさ、子供っぽい性格、母親っぽい性格、聖母っぽい性格っていうのが、外側の定義に付随してきているのか?ってことなのよ」
「……もっと簡単に言いなよ。これまで君の人生で、子供の外見で母親っぽい――母親らしい性格を持つ人なんて見たことないから、戸惑ってるって話でしょ?」

 ここまで芯を食ってしまうような物言いだと、それこそ負けたような気になってしまう。

「わたしは意識していないけどさ、君のお母さんとわたし、どっか似てるところがあるっていう意味にとれるね」
「……うん」
 僕が視線を反らして頷くと、マリアは呵々大笑を二割抑えたくらいの笑い声を出した。

「前もって冗談だと言っておくけど、君、かわいいなあ」
「恥ずかしい」

 と、そのとき真横に見慣れた金髪が立っているのに気づいた。

「お楽しそうで」

 鎌倉から帰ってきた金髪グラサン男だった。相変わらず胡散臭い風貌である。加えて痩身で高身長の彼がいきなり表れたら驚く者が大半であろう。

「おっす、ベルくん。お疲れっす」
「外から見えたの?」

 まさか会話の内容まで聞かれているまいな、と僕は身構えた。
 が、それも虚しく

「聖母マリアと、母性について話し合うなんて世界中の神学者たちが涎を垂らして羨むでしょうな」
 とにやにやした笑みで僕を見た。

「母性とかの話はしてないよ」
「海外にいる御母堂を、マリア殿に重ねて云々という話だったような?」
「ずいぶんじっくり聞いてんな」

 ごそごそと鎌倉のお土産やら御朱印帳やらを整理しながら、彼はにやにやといやらしい眼を僕に向ける。
 面白がっている様子を隠していない。

「まあ、現在と2000年以上前の母親が同じような”母性”というべきものを備えているとしたら、ある意味人間は進歩してないことになるのが、興味深いね。穿った言い方で恐縮ですが」

 僕の残ったドリンクを勝手に飲み干しそう言った。

「なるほどねー、ベルくん面白い」
「母性の中身も、時代やら環境によって大きく違うのに、ってこと?」
「そう。狩りをして獲物を夫と子供に持って帰るのが母性と考える社会もある。あくまで文化の話だから、その狩社会や2000年前のユダヤ社会、現代日本の母親像でどれが正しいかとは言うことは無意味だがね」
「神様はどう言及しているのかい?」
 
 僕は氷をシャリシャリやりながら、金髪の方に視線を流した。ほれ、答えておくれ、と眼で促した。
 彼は小さな咳払いをした。

「聖書のなかで、家族について触れるシーンは多々あるね。両親を敬えなんて出エジプト記の十戒の5番目にも触れられている。が、母親とはかくあるべし、といったような直接的な言及はないよ」
「ないから、ベルくんはけっこー自由な言い方をしているわけなのかな」

 マリアはお見事といった顔でグラサンを見た。

「もちろん、聖書を読んだ信者がどういうメッセージを受け取るかは別の問題だ」

 金髪グラサンは続ける。 
 なるほど、と僕は頷いた。
 聖書にて神が姦淫を禁じているなら、男親ひいては母親は貞淑であるべし、というメッセージを発している、と信者は思うわけだ。たしか十戒の7番目が確か姦淫の戒めだった。

「ま、母親オブ母親、キングオブ母親はここにいるマリア殿ですがね!」
「ベルくん、プレッシャーかけるねえ! キングじゃなくてクイーンだと思うけど」
 居酒屋のノリじゃねえか、と僕は内心突っ込む。
 傍から見れば愉快な三人組である。

 と、ところで阿呆みたいな顔をしたグラサンの向こうに、ガラス越しに、例の二人が雑居ビルから出てくるのが目に入る。

「……あ!」

 金髪の女子大生と思しき方は駅の方面へと歩き出し、猫沖氏は反対方向つまりこちらへと歩いてくる。

「おっさん、例の件で僕達がここにいるのは想像ついてる?」
「おっさん、例の件であなた方がここでくっちゃべってるのは想像ついてるよ」
「猫沖……マッチョの男子学生の跡をつけられますかい。住所は後から調べられかもしれないが、確定じゃない。それに一応自宅までの行動を知りたい」
 
 しょうがないなあ、とお土産以外を彼は荷物に放り込み始めた。

「僕は顔が割れてないんで、金髪のお姉さんの方をつけます」

 僕も手荒に荷物をまとめる。

「マリアは……」と僕は彼女の方を向いた。

 ストローを咥えて玩具の笛のようにして遊んでいる。動く気はまるでない。

「無事にお帰り。鎌倉お土産も一緒に持って帰っといて」
「あいよー」

 動く気がないマリアに対し、金髪グラサンも特に何も言わない。もちろん聖母として崇拝している相手に、指示を飛ばす気がないからだろう。それどころか何かを手渡そうとしている。

「マリア殿、権五郎力餅です」
「ベルくん、ありがとー」

 予想通りの光景が繰り広げたのを確認した後、僕たちは店を出た。
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