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文字数 1,416文字
25日の朝7時半、クリスマス。
やばい。
慌てて眼鏡をかけてアパートの部屋を飛び出そうとしたところに、マリアと鉢合わせした。
「慌ててるね」
昨日、布団に倒れ込んだまま忘れていたことがあった。
アカネ先輩への連絡だ。
前日までにメールしておくと言っておきながら、すっかり失念していたのだ。朝起きてすぐにそのことに気づき青ざめた僕は、震える手で10時集合の旨をメールした。それから返信がきていないので、今こうやって慌てて学校を目指そうとしている。
このまま急いだら間違いなく9時前に着くのだが、居ても立ってもいられない。
「最後の最後で君は小物だなあ」
返す言葉もない。
「何かできることある? ほら、火打ち石でカンカンってやるのやってみたいんだよね」
「放火を疑われるから止めよう」
この安アパートは木造だ。すぐにキャンプファイヤーになる。誰への捧げ物か分からない。
「じゃあ、他には?」
「そうだねえ」
実は考えていたことがある。
本来なら、この数日の間に言うべき準備のなかに入っていたが、結局マリアには何も言えないでいた。
「わたしができるお手伝いならするよ?」
「可能であるならば」
僕は一瞬言葉を詰まらせる。
「………」
「とうくんの足を治してあげて欲しい。もし叶うならば」
「……そっか」
マリアは背中をドアに預けたまま、こてんと廊下に座り込んだ。
そして体育座りの体勢で、自分の右横をぽんぽんと手で示した。
ここに座れ、ということだろうか。
「10時までに着けばいいんでしょ」
「まあ、そうだけど……」
僕はそのままマリアの真横に座り込む。フローリングの廊下が冷たかった。
「君がわたしに奇跡をお願いするなら……聞かせて?」
「……え?」
「君が、今から何をしようとしているか聞かせて。後でベル君とお菓子食べながら報告を聞こうと思っていたけど、君が本当に聖母マリアのわたしに奇跡を望むなら、今教えて」
彼女の体温が伝わってくる。
木造アパートの朝において、この世界で僕と彼女しかいないような錯覚に襲われた。
耳が痛くなるくらいに静かだ。
僕は滔々と話始める。
ここまで来れたのも彼女や金髪グラサンのおかげだ。
傍から見ても愉快な仲間たちだろうが、僕自身が愉快でたまらない連中であったと断言できる。
僕は、そんな思い出を噛み締めながらマリアに、これから僕が行おうとしていることを説明した。永遠に続くような安らぎを感じたが、時間としてはすぐだ。
「本当に君は馬鹿だなあ」
「違いないね」
笑うするしかない。
冷静になればお粗末なものだ。風車へと突っ込んでいくドン・キホーテだ。
「……ありがとう」
マリアは立ち上がる。
「今の話、ベル君に会ったら話してもいい?」
「構わないよ」
「分かった」
また話すのは面倒だ。
「じゃ、お気をつけて」
マリアはバイバイと手を振る。
「おう」
僕も手を振った。
踵を返し、マリアを後にしようと瞬間。
モコモコとしたパジャマの腕が、後ろから僕の胸に食い込んだ。
「……本当に頑張ってね。わたしだって頑張るんだから」
「うん、よろしく頼む」
本当に寒いな、と僕は思った。
吐く息は全て白い。湯気のように一瞬ですぐに消え去る、白い幻のようだった。