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文字数 3,944文字



 9時半に4階の空き教室に辿り着くも、人影はない。
 僕は灯油ヒーターの電源をいれる。
 間に合ったか。

 そして10時ちょうどに彼女は現れた。

「おはよう」

 ドアを全開にして、ずかずかと入り込みそのままヒーターの前で暖をとっている。ダウンは脱がずに、むき出しの足に熱線を浴びせている。雪の日までミニスカートとは恐れ入る。

「ちっ、相変わらず冷てえ茶のペットボトルばかりじゃねーか。お前の季節感はどうなってるんだ!」

 僕がここに来るまでに買ってきた1.5リットルのお茶を見て、アカネ先輩はクレームを入れる。
 なるほど。僕も大概だったか。しかし1.5リットル入りのペットボトルで暖かい飲料というのは、なかなか思い浮かばない。
 そうだ、この部屋には電気ポットとティーバッグが幾つか隠してある。

「お湯沸かしてきます?」
「……いいよ、お前が買ってきたやつで。常温になってから飲むさ」
「はあ、すいません」
「何か食べるものは……スナック菓子ばっかじゃねえか」
「後、昨日メール送れず今日になりすいません」
「いいよ、それはもう」

 ポテトチップスもコンビニでお茶と一緒に買い込んできたものだが、自室で金髪グラサンとマリアが食べきれなかったスナック菓子も混ざっている。
 量だけならば、飲み物もお菓子も揃っていることになる。

「……今日は長くなるんだろう?」

 
 僕は宇都宮商店のロザリオ窃盗及び万引きの調査に待ったをかけている。
 今日がその期限。
 アカネ先輩が睨めつけるように眼光の奥には、どのような感情が渦巻いているのか。
 弟子の卒業試験にしては、物騒で荒々しい。
 そうなってしまった事実に忌々しさを感じているのが、肉厚な唇から覗き見える犬歯は獣のように見える。
 こちらも容赦せず、噛み殺してやる。そういう気概なのだろう。

「この数日間、ちょろちょろと動き回ってたみたいじゃねえか。もう悔いはないか?」
「はい、身辺整理も全部済ませてます」
「冗談で言ってんのかよ、笑わせる」

 アカネ先輩は感情の高ぶりを抑えている。

「ここもキレイになっているし、他の奴ら曰く、この部屋の大掃除は全部お前がやったそうじゃないか」
「はい、全部整理してから臨みたいと思ったんです」
「机や椅子の足までピカピカに磨き上げられて……床にワックスまでかけたのか? すげーな。お前が豆で器用な奴とは知っていたが、ここまでとは思わんかった。それともこの部屋事態を白装束にしたつもりか?」

 白装束、すなわち死に装束だ。

「いやいや、僕はここで犬死するつもりはありませんやね」

 僕は反対になるべく感情を出さないように答えた。
 しかし……先輩は眼を細める。思った以上に凶悪な人相になる。

「お前はこのあたしに勝てる気でいるんだな?」
「そりゃあ、もちろんです」

 平常心。怖がるな。

「今なら撤回しても間に合うぞ。こっちに来い、よしよししてやる。あたしの処女をくれてやってもいいんだぜ」
「………」

 本気で言っているのだろう。彼女の猛烈さ、苛烈さ、峻烈さは僕が一番知っている。
 ……落ち着け。冷や汗に気づかれるな。

「アカネ先輩……僕の童貞は高いですよ? 僕の童貞に釣り合うのは聖母マリアの処女(、、、、、、、、)くらいだ」

 言ってしまった。
 彼女見開いた瞳孔がさらにくわっと開き、ギリギリと歯ぎしりが聞こえてくるようだった。

「……その意気や良し、だ。真っ裸に剥いて、骨までしゃぶり尽くしてやる」

 できるものならどうぞ。僕の虚勢は眼で示す。視線は逸らさない。
 彼女は椅子をこちらへ乱暴に滑らせる。
 そして僕との間に机を2個置く。処刑台だ。

「さあ、どう絵図を見せてくれるんだ? センセイ」
 
 むき出しの戦意が爛々と輝いている。
 僕は一呼吸置いて、口を開く。
 もう後戻りはできない。








「まずはそもそも猫沖氏からの依頼ですがね」
 冷静を装う。
「……」
「ロザリオが消えてなくなった、と。その理由を明らかにして、見つけて欲しい、と」
「うむ」
「解決しました。窃盗犯は猫沖氏でも、長門さんでもありません」
「……ほう」
「恐らくアカネ先輩は一度、猫沖氏が長門さんを庇っている、と考えたんじゃないですか。なぜなら、アカネ先輩も確認したとおり、防犯カメラに映ったのは長門さんだけです。そして、言うまでもないが長門さんと猫沖氏は婚約関係にある。これを変に思わない方がおかしい。猫沖氏がカメラのセンサーのショボさゆえに映っていなくとも、本当は訪れていなくても、長門さんが映っている事実は疑うべきだ。そうして出て来る可能性がつまり……長門さんが犯行を行い、それを猫沖氏が庇っているパターンだ。猫沖氏が本当に盗んだ可能性もありますが、長門さん絡みの理由であるに違いない、と。」

 マリアに話した内容と同じだ。
 ここまでアカネ先輩の突っ込みはない。恐らく、彼女も同じ推論に至ったはずだ。

「なら、なぜ長門さんが犯行を行い猫沖氏が庇っている、と考えられるのか。それはあの珍妙な相談が猫沖氏発によるものだったからです。あれは彼にとってひとつの賭けだったはずです。こちらに犯人を特定に繋がる証拠があるならば、藪蛇以外の何者でもない。しかし、失礼ながら宇都宮商店のセキュリティから考えて、その可能性は低いと思ったのでしょう。事実そうでした。が、しかし、あくまで可能性だ。そのうち露見するかもしれない。だから、猫沖氏は自らあの相談を行い、我々を撹乱させようとした。撹乱というとヤケクソみたいに聞こえますが、事実効果を発したし、匿名相談のままだったらもっと長引いてうやむやになっていた可能性があります。そして一番怪しい人物として振る舞うことによって、長門さんへの眼を逸らす効果もあります。こういった理由により、アカネ先輩は一度(、、)は、長門さんの犯行を恋人の猫沖氏が庇った、と考えたんじゃないですか……
 でもね、違うんです。事実は全く違う。素直にひとつの意見を検証してみるべきなのです」

 アカネ先輩の眉間がぴくりと動く。
 推論に至った流れも、恐らく同じだったはず。だからこそ、最後に猫沖氏も長門氏も犯人ではない、という僕の言葉に反応したんだ。

「猫沖氏は言っていましたね。窓際の棚でロザリオを見つけた、それを一瞬眼を話した瞬間に消えていた、と。実に珍妙だ。しかし僕はこの発言を軽視すべからずと思うんです……」

「続けろ」

「あ、その前にちょっとお茶とポテチください」

 アカネは忌々しげに開封し、僕に前に置く。
 その後、ガバと手づかみして自分の口の中へ放り込んだ。
 僕も同様に雑に口に放り込んだ後、お茶で喉を湿らす。

 アカネ先輩は舌打ちをした。

「ぷは、すいません。続けます。で、本当に眼を一瞬離した隙に、モノが消えるのか?これを考えてみますと全く不可能ではない。そもそも世の中にそういう手品が腐るほどあるじゃないですか。まず座敷付近にごちゃっと置かれたロザリオは、その後アカネ先輩のおばあちゃんの片付けによって窓際の棚へと移動された。この後でロザリオに仕掛けが施されたのですよ」

 僕は再びポテチとお茶を口に突っ込む。
 少々ペースが早い方がいい(、、)

「ロザリオに施された仕掛けとはどんなものだったのか? 簡単です、簡単でシンプルな仕掛けです。そうですね、材料は釣り糸一本だけで良い。なるべく細くて丈夫な釣り糸をロザリオのチェーンに結ぶ。再び同じ場所に置いて、釣り糸の片方を持って猫沖氏のような客が現れるのを待つ。釣り糸そのものはがらくた置き場にありますからね。奥の方の座敷でじーっと待っていて、ガラス窓越しにロザリオに注目する客が現れた瞬間に引っ張る。偶然にも猫沖氏はその瞬間は眼を逸していた。だから一瞬で消えたように見えるんです」

 アカネ先輩は眉間に皺を寄せて頬杖をつき、下の方から睨みあげるよう僕を見ている。

「アカネ先輩が新聞読みながらお菓子をバリボリやっている姿は、店の外からも見えます。だから奥で釣り糸を引っ張ろうとしてる人物は、外から丸見えかとお思いかもしれません。しかし、あそこは掘りごたつになっているでしょう。あの中に潜れば、外からは全く見えません。後、他の棚もゴチャついて釣り糸は真っ直ぐ張れません。でもまあ、それは大丈夫です。猫沖氏の視界の外に出る程度に引っ張ることができるなら、成立しますから。その後、糸を緩めれば、がしゃりとロザリオは元の場所に落ちるわけですね。
 どうです、我々は猫沖氏の発言を曲解し過ぎていたんです。偶然(、、)、婚約者の長門さんが防犯カメラに映っていたせいもあって、色々考えすぎていたんですよ。起きたことはシンプルです。」

「これで終わりか?」

「はい、これ以上でもこれ以下でもありません」

 どうだ。この分かりやすい茶番(、、)は。
 激昂してアカネ先輩に、僕は殴り倒されるのだろうか?

「お前の頭蓋は後で金塗りにして冷茶を注いでやるよ。でも、その前に脳みその状態をもうちっと確認しておきたい。頭蓋の内側にへばりついてたら茶碗にもできんからな。で、一応訊いてやろう。そんなクソみたいな悪戯をやらかして、あたし達を振り回した野郎はどこの誰だ?」

「やだなあ、アカネ先輩ももう分かっているでしょう」

 自分の声は震えていないはずだ。そう信じたい。







「この僕に決まっているじゃないですか」





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