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文字数 7,574文字




 帰り道の景色も覚えていない。
 ふらふらと自室に辿り着き、床に倒れ込んだ。
 這うようにして炬燵に半身を突っ込む。

「ドアが半開きだよ」

 僕が帰宅した気配を感じたのか、マリアが入ってくる。

「眼も口も鼻の穴も中途半端に空いてる」

 僕は仰向けになったまま、足先でつんつんしようとするマリアに眼を向ける。

「猫沖氏と一緒にいたお姉さん」
「うん、長門ナントカっていうんだっけ」
「猫沖氏と来年結婚するそうだ」
 
 僕はそのままだらし無く口を開けっ放しにして呆然としていた。
 今度は開きっぱなしの僕の口に、指を突っ込もうとしてきたので、頭を振った。
 いたずらを諦めたマリアが、「なるほどねえ」と言う。

 ……僕にとっては、なるほど、ではない。猫沖氏は3年生の18歳。結婚できる年齢だ。しかし僕より2つ上の高校生に過ぎない。
 なぜ、そういう決断ができるのだろう。逆に言えば、何故僕は何もできないのだ? 思春期とモラトリアムの泰斗。ゆとり世代。何も責任を持つこともない甘ったれ。
 全てにおいては自分は子供なのだ。
 
 急に僕の卑屈な部分が頭をもたげてくる。

 僕は何か自分で決断したことがあっただろうか。一人暮らしができているからといって、いい気になっているだけじゃないのか。

 アカネ先輩は目に見える形でリーダーシップを発揮し、誰もが憧れる存在だ。自らでそれを勝ち取った。そこまでならずともいい。僕は部活すら自分で決められなかった。彼女に誘われただけだ。直々に指名され、他生徒から羨みを受けているだけで舞い上がっていたが、僕は何か結果を残しただろうか。僕がこの件を解決できるのだろうか。彼女が見込んだ僕の中にある可能性とやらは本当にあるのだろうか。

 マリアも出現(、、)した時に、同じようなことを言っていた。

 やめてくれよ。僕は普通の人間として終わりたい。実はあなたたちみたいに何かできるんじゃないか、何か持っているんじゃないか、っていう希望は持ちたくないんだ。

 壁を向いてるだけで涙が出そうになってくる。こうやって不貞腐れている自分も嫌いだ。

「で、どうすんの」

 マリアが背中を人差し指で字を書いている。マリアというカタカナのような気がするが、バッテン―――十字架を書いているならそれはそれで面白い、と思い口を開く。
 彼女の前で、嫌な自分を見せたくはない。それもまた子供らしい強がりであるのだが。

「……防犯カメラには長門さんが映っていたが、猫沖氏は映っていない」
「ほう、そんなものがあったんだ。あのおっぱいが大きいお姉さんが胸を揺らして映ってたんだねえ」

 マリアは僕の背中のいたずらを止めて、僕の足元から炬燵の中に入り、反対側から上半身をにゅるっと出現させた。
 静電気で髪の毛を乱れさせて、ふにゃついた顔をしている。
 マリアの前で卑屈な自分は見せたくない。

 僕は腹筋を使って、半身を起こす。
 まだまだ自分は負けていない。これからだ。

「……考えてみるか」

 マリアは眼を細めた。

「君は、先輩さんが大好きなんだねぇ。”かわいい”男の子じゃない」

 僕はふん、と小さな悪態をつく。

「……男の子は、年上(、、)の女性に認められて一人前になるんだよ」
「ベルくんみたいなこと言うね」
「それはどうでもいいだろ」
 
 僕は吐露するように続けた。

「アカネ先輩は自分から動くつもりはないと思う。考えてみれば、最初から甘えていたよ。猫沖氏が相談に来て、帰り際に先輩が彼を目視し、正体を確認して僕に教えた。この”とっかかり”しか先輩は協力する気がなかったんだ。僕の徒競走への、ヨーイドンの合図くらいの意味合いだったのかもな。僕は甘えてたもんだから、先輩が彼を視認した後、そのまま空き教室に戻ってきて、一緒に作戦会議をするもんだと思っていたんだ。でも、教えてくれたのは彼の氏名とクラスだけだ。
 防犯カメラは、アカネ先輩自身でも確認していたんだけど、僕には連絡しなかった。考えてみたけど……実際証拠になるものは映ってないとしても、僕に何も言わなかったってことは、やっぱり「自分で辿り着け」ってことなんだと思う」
「ほうほう」
「だから……僕はもっと自分で結論を出さなきゃいけない」
「協力するよ、わたしも。多分、ベル君も」
 
 マリアの笑みに「ありがとう」と頭を下げる。
 
「……今日、僕はひとつ仮説を思いついた」

 正面を見据える。気づけば手振りを交えるために、炬燵から両手を出していた。

「昨日の”自供”を前提にした猫沖氏犯人説は忘れてくれ」
「ナンパも盗撮もしないってこと?」
「うん、まあ、今のところその方法は捨てる予定だ」

 アカネ先輩に顔向けできる方法で解決しなければ本末転倒である、という側面もある。

「実際、ロザリオを盗んだのは長門さんじゃないかと思う」

 マリアは、ふん、と頷いた

「防犯カメラに猫沖氏が映っているならともかく、その婚約者のみが映っているのは偶然にしてはおかしい。だから―――」

 少し手のひらに汗が滲むのが分かる。
 僕は何に緊張しているのだろう。目の前の年上(、、)の女性に対してだろうか?

「猫沖氏は長門さんを(かば)っている。故に相談に訪れた」
「……なるほど」

 もう理解したのか。
 彼女の表情のうち、3分の2は昼寝した猫のようにお気楽全開だが、「窃盗の犯人が猫Xさんであるならば、自分からこんな相談を持ちかけてくるわけがない」と最初に指摘したように、勘が働き、頭の回転も早い。

「そう。猫沖氏が、匿名で変な相談を持ちかけてきた理由も説明しなきゃならんが、この仮説なら一応説明できそうなんだ。直接「俺が犯人です」と自首するとなると、彼にとって困ったことが2つ起きる。1つ目はまず婚約にヒビが入る可能性がある。窃盗だから婚約に限らず猫沖氏の進路そのものも問題になる。本末転倒だ。結局、先輩の私物だし、アカネ先輩や宇都宮商店がどういう対応をとるか不明だが、犯人側にとっては大きな不安要素だろう」

「禁じられた恋だね。あ、こういう表現は周りの環境が原因の場合に使うべきか」

 何を言っているんだか……わざとボケたな。

「そして2つ目は、盗んだロザリオを返さなければいけない、という点。長門さんが盗んだとして、何か重大な理由があると予想する。トルコ土産だから確かになかなか手に入るものではないんだろうが、それを知っていたとしても留学先でフランス人の大学生が盗むほどのモノだろうか?」

「フランスの方がトルコに近いよね」

 ふんふん、とマリアは茶化すように頷く。

「まあ、そうだな。シャルル、ド、ゴール空港からイスタンブール空港まで、エールフランス航空の直行便がある。トルコ航空ならもっとお安い」

「さすが外交官の息子」

「関係ねえよ……で、話は少しズレたが、長門さんはどうしても、取り急ぎそのロザリオを手にいればければいけない理由があった。だから盗品として返還せざるを得なくなる、猫沖氏による”自首”という方法はとれなくなるわけだ」

「自首ではなく”変な相談”だった理由()説明がつけられそうだね」

 さすがというべきか鋭い。
 そのとおりだ。

「そう、単なる狂言自首ではない説明は、さっきみたいな仮説がたてられる。でも(、、)”ロザリオが消えてなくなった云々”という変な相談にきた理由にはならない。犯人であれ身代わりであれ、そもそも疑いをかけられるのは、避けるに越したことはないからな。だから、ここからは仮説に仮説を重ねるしかないんだが……」

「続けておくれ」

 そろそろ喉が乾いてきた。
 マリアがお茶のひとつでも沸かしてくれないかなあ、と考えた。

「あの変な相談自体が、猫沖氏のスタンドプレーだったのではないか、という予想するんだがね。つまり恋人である長門さんの窃盗に猫沖氏が気付いた。このまま長門さんが犯人だと発覚するのを恐れて、相談しにきたんだ。身代わりとして自首することも考えたんだろうが、さっき言った理由で不可だ。アカネ先輩も宇都宮商店も置き場所すら把握してなかったし、防犯カメラも機能していない。下手したらロザリオが無くなったことすら気づかれないままの可能性はあったが、猫沖氏は恋人の窃盗発覚を恐れて居ても立ってもいられなくなった。だから、いざとなったら自分が犯人だと疑われてもいいように(、、、、、、、、、、、、、、、、、)、匿名で”自首に限りなく近い自首”を行ったんだ。そこら辺は賭けなんだろう。もし証拠があったら一発アウトだからね。でもまあ、あの店を見たら年中開けっ放し、明らかに防犯カメラはないから、セキュリティはないも同然、証拠は残っていない、と踏んでいたんだろう」

「”自首に限りなく近い自首”って部分が弱いと思うけど、説明はできているね」

 そこら辺は自信がないところだ、と自覚している。
 やはり気づいたか、僕は感心した。

「事実、僕たちには犯人が長門さんであれ猫沖氏であれ、証拠はないからね。後、ロザリオをどうしても手に入れなければいけない理由が猫沖氏の方にあって、実行犯も彼だとしてら、相談にくることはデメリットしかないから、やっぱり違うと思うんだ」

「……猫沖氏のスタンドプレーっていうことは、長門さんは存じていないってこと?」

「現時点では分からないけど……相談がきた段階では、そうじゃないかなと思ってるんだけどね。常識的にに考えて」

 恋人が、自分の罪を被る可能性のある行動をとろうとしているわけだ。知っていたなら止めただろう。あるいは別の手段を2人で講じるはずだ。

「なるほど、さすがだね。説明はできてる。すごいじゃん」

 ふう、と僕は一息ついた。
 炬燵を抜け出し、冷蔵庫から麦茶ポットを取り出す。水風呂といい、冷たい麦茶といい、僕の季節感はズレているのかもしれないが、いずれも室内で楽しむものだ。関係ないだろう、と主張したい。
 コップを2つに注いで、炬燵に戻る。

「証拠がない以上、長門さんが”ロザリオをどうしても手に入れたかった理由”を明らかにするしかない。それと防犯カメラに写っていた長門さんの映像とセットで、猫沖氏にさっきの説明をすれば、言い逃れはできないはず………なんだが」

「なんだが?」

 マリアがちびちびと麦茶を啜る。
 視線は僕ではなく飲料に向いている。耳だけはこちらに集中しているはずだ。

「そうすると依頼人の利益に反する―――ってことになる。さっきの仮説なら、猫沖氏の目的は依頼が完遂しないことだ。よく分からないままうやむやになってくれるのが、一番ありがたいんだろう。と、そうすると、そもそも僕は”ロザリオをどうしても手に入れたかった理由”を明らかにする意味も、調査に動く意味もない……。アカネ先輩もロザリオそのものに固執していることはなさそうだし」

 ことを明らかにして、アカネ先輩のお土産を取り戻すべき、という常識的な前提はもちろん僕の中にはある。だが、彼女は恐らく人間以外(、、、、)に固執することはない。彼女にとっては大事なのは、家族や僕を含めた放送部員の皆なのだ。

 僕が言葉を一旦区切ると、マリアは顔を上げた。
 何かを言わんとしていること察したんだろう。
 マリアのくりくりした瞳から発する視線が、眼鏡越しに交叉した。

 僕は口を開く。 

「しかしね、僕は動こう(、、、、)と思う」

 先輩は、ロザリオの行方よりも、僕という人間がどういう結論を出すかに重点を置くはずだ。

「猫沖氏の依頼の目的はどうであれ、僕は……僕はアカネ先輩に任されたんだ。事の真相を確かめた上で、彼女に報告することが僕の目的の完遂だ。その後は、放っておくなりアカネ先輩に任せるさ」
 
 マリアは満足そうにうんうんと頷く。
 アカネ先輩の眼鏡に叶うと証明することこそが、僕の目的なのだ―――
 僕はお茶を一気に飲み干してしまったため、再び冷蔵庫の前へと向かった。
 
 と、その時にドアが開き、冷風が入り込んでくる。

「ドアが半開きだ。防犯上危険だし光熱費がもったいない」

 中途半端な表情をした金髪男である。

 彼は入ってくるなり、台所の棚から勝手にコップを取り出した。そして片手に下げたコンビニ袋から紙パックのお茶から、並々注ぐ。僕の空になったコップにも注いでくれた。
 どうしてご馳走されているのに、ここまでありがたみがないのだろう。

 近場での観光場所も尽きてきたせいか、ビニール袋に入った1リットルのパックにストロ―を指して、ぶらぶら散歩を極めようとしている。そろそろ職質のお世話になるはずだ。この胡散臭い男のことだから偽造パスポートであってもなんら不思議はないのだが、なかなか見事にこの安アパートの住人として居着いている。

「おかえり、ベルくん」
 
 マリアのかわいいかわいいお迎えの言葉に対し、僕の左横に座した彼は口を開く。

「ただいまです。---さて、面白いことをしてきたので、つまらなそうに話そうと思うんだけどいかがかな?」
「?」
「?」

 いきなり何を言うんだ、この男は。

「先程まで現役女子大生の長門某を尾行してきたのですが」
 
 通報待ったなし。事案待ったなし。

「……おっさん、もっと合法的な物言いで頼むよ」

 礼記に曰く「小人閑居して不善をなす」とあるが観光地巡りが終わって暇になると、本当にろくでもないことをし始めるようだ。
 他にすることがなかったのか、と問い詰めたいが、実は”ロザリオをどうしても手に入れたかった理由”を調査するために”尾行する”というのも考えていたので非難し辛い。

 
「名前以外にもいろいろと分かった」
「寒い中お疲れ様。こっちもだよ。猫沖氏と長門さんは来年結婚するつもりなんだと」
「ほう、それは初耳」
 
 これから聞く尾行の結果が、結婚でないとするとどんな話なのだろうか。出来る限り穏当な話であることを願った。

「まず通っている大学、学部等々は簡単に分かった。大学の敷地は部外者でも簡単に入れるからね。それにちょっとくらい変なのがいても許されるのが日本の最高学府というところだ」

 自身でも”ちょっとくらい変なの”という認識があるらしい。

「長門氏はボランティアのサークルに属していて、近隣の小学校や公民館を回ってゲームをしたり外国語の指導をしたりしているようで。クリスマスには幼稚園で聖書劇も披露したそうだ」
「それは、初耳だ。まともな大学生じゃん」
「勉強以外のことをして、”まとも”というコメントが出るのはよく分からんがね」

 グラサンがお茶を大きく一口あおった。

「ここで気になる人物が出てきた。サークル活動において特に長門氏と仲の良い人物なんだが」
「……不穏だな。男?」
「イエス。そう聞いているね」

 マリアが「くー」と額を抑える。お茶ではなくかき氷を食べた後のような反応だ。

 その時は、公園で日本の昔ながらのゲームをやろうという企画だったらしく、公園の利用者を装っていろいろサークルメンバーに質問ができたらしい。
 そして、その特定男性の名前を入手した、とグラサンは述べた。

「なんと長門氏の住所の、ごく近くにその男性が住んでいる、という発言もある」

 チャラい見かけの彼のことだから、浮ついた話を余計浮つかせて、サークルの女子学生のテンションに任せて聞き出したのだろう。まあ盗み聞きに成功しただけかもしれないが。

「いや、ここまでやったなんてベルくんすごい!」
「ははは、ありがとうございます」

 ……僕は頭を抱えた。
 
 ろくでもないフレーズたちが脳内で盆踊りを踊っている。
 高校生の結婚というだけでも爆弾ワードなのに、”不倫”だの”不貞”だのは強烈過ぎないか?

「こりゃあ、昼ドラ展開かね?」

 金髪グラサンは歯を見せて無責任に笑う。
 僕は学校に行っているから、昼間にドラマなんて見ないぜ。あなた達とは違うんです。
 しかしまあ、ドロドロしたアレがあるんだろう、というのは僕も分かる。

「その男が、今回の件に関係あるとしたら……」

 口に出したくないのに出してしまう。

「言いたいくないなら、余計に口に出すべきじゃない?」

 マリアは僕の思考を読んだのだろうか。
 先程の符丁合わせの仮説を思い出す。大筋では……変わらないはずだ。猫沖氏が長門さんを庇った。そして庇った故の匿名相談であるはず。
 だとしたら、もしその男性―――Y氏が関わっているとしたら……

「長門さんが”どうしてもロザリオを手に入れたかった理由”……」

 金髪グラサンは「?」という表情をした。
 後で、説明してやらねばなるまい。

 一方、マリアは納得したように頷く。

「長門さんが、ロザリオを手に入れたかったのは、その男性に渡すためなのかもしれない」
「まあ、関係しているならそこだろうね、よく言えました」
 
 僕は天井を向いた。
 猫沖氏との婚約にヒビをいれるリスクがある行動があるとしたら、その代償はリスクに見合うもののはずだ。それは婚約に相当するもの……重要な男女関係。
 Y氏と長門さんの間に親密な男女の関係があるとしたら、それはロザリオを盗る理由を生み出すものになり得る。
 
 だとすると猫沖氏が惨め過ぎる。婚約者を庇ったつもりだが、婚約者の心はY氏の方に向いているのだ。それ以外の可能性は……

 僕の懊悩を、マリアが察したらしく

「ま、それも予想でしょ。仮説でしょ。長門さんが一方的に脅されて盗んだ可能性もあるよ」

 と呑気な口調で励ました。

「何で僕の考えていることが分かるんだ」
「普通、分かるよ」
「いつもに比べて目の焦点が合ってるからね」
「ぶっ」

 この2人が他人事のようにへらへら笑っているのは、もちろん他人事だからに違いないが、今の僕にはありがたい協力者だ。
 混乱の様相を呈してきたものの、僕は何らかの形を持って解決しなければいけない。
 だとすると次にすることは……

「次にすることはひとつしかないでしょ」

 またもや僕の頭の中を読み取るように、マリアが言う。

「その男性Y氏を見に行こうよ」

 

 ……なぜ僕が頭のなかでやった仮置きのアルファベットまで分かるのだろうか。
 



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