第112話 ジョハリの窓 ~秘密の窓~  Aパート

文字数 6,976文字


 雪野さんと中条さんとの仲直りの算段と言うか、説得の仕方を考えながら中庭の方へ急ぐ。放課後に入ってすぐに雪野さんが来たのか、それとも二年の方が少し早く終わって優希君が急いで打ってくれたのか、保存した優希君からのメッセージの時間をもう一度見直すと、私の携帯が受信してから早30分は経過していた。
 先生と喋る時間と中条さんと喋っていた時間は当然除外するとして、それだけあの女子グループとメガネに時間を使った事になる。
 このせいで再び優希君と喧嘩みたいになってしまったら、今度は私の方から女子グループに文句を吹っかけてやろうと勝手に心に決めてしまう。

 私が勝手に心に決めて中庭に顔を出した時、よりにもよって私への気遣いがたくさん詰まったサンドイッチを優希君がくれた、そのベンチに二人して腰かけているのが目に入る。しかも雪野さんは優希君の太ももに手を置いているし。
 送ってくれたメッセージを見れば優希君の気持ちは分かるけれど、どうにも私の気持ちを分かってくれていない気がするのが面白くない。
 でも私の方もメッセージを貰ってから来るのが遅くなったと言う事もあるから、優希君と手を繋いだりくっついたりする機会が遅くなったりするだけであからさまな文句を言うつもりはない。
「ごめんね優希君。先生と中条さん……それにメガネと喋っていて遅くなった」
「愛美さん……メガネってあの朝の男子と何喋ってたの?」
 少しだけ迷ったけれど、優希君の太ももに置かれた雪野さんの手を見て本来言わなくても良かったメガネの事を口にしながら、優希君の元まで歩み寄る。
 私の姿を見た優希君が安心と不満、それにイラつきをない交ぜにした表情を浮かべながら、出迎えるようにして立ち上がるのを
「……」
 不満と怒り、言わば攻撃の感情一色に染め上げた表情で、雪野さんが私を見上げる。
 その表情を見るに、雪野さんは私との約束を完全に忘れているみたいだからそっちも思い出してもらわないといけない。
「向こうから声を掛けて来ただけで、触れられてはいないよ」
 だけれどまずは優希君の事だと、雪野さんの事はいったん置いておいて、私の気持ちを分かって貰うために優希君の太ももに視線を送る。
「いやこれは……でも愛美さんも連絡してもすぐには来てくれなかったし、昼だって倉本と仲良さそうって言うか、分かり合ってたって雰囲気だったし」
 一瞬慌てたような気まずい表情を浮かべた後、私に対する不満を口にして

優希君。
 何でよりにもよってそのベンチなのかって言う思いはあるけれど、いったんは優希君の不満を

ことに満足したところで、
「なんで岡本先輩がここにいるんですか?」
 私に対する敵意と言うか攻撃の感情を向けたまま、つられてベンチから立ち上がる雪野さん。
「何でって、優希君が私をメッセージで呼んでくれたから」
 先週の金曜日に統括会全員のいる前で雪野さんは気持ちを暴露している。
 そして倉本君も優希君が目の前にいるにもかかわらず、何回も口にも行動もして見せてくれてはいる。
 無論彩風さんの秘めたる想いも私は耳にしている。
 私たちが今この時期、みんなで協力しないといけないからって事で関係が変わったことを公表する機会を窺っていたのに好き勝手な事ばかり言う周り。
 本当なら今すぐぶちまけたいのだけれど、優希君とは明日の統括会で全員揃っている時にって言う約束をしているから、今日は匂わせるだけにする。
「優希先輩。どうしてワタシとの二人きりの話を『雪野さん待って』――何ですか?」
 つもりだったけれど、嫌がる素振りを見せる優希君の左腕に、雪野さんもまた腕を絡めるのを見て、気持ちが揺れ動く。
「何で優希先輩もワタシから離れようとするんですか? 優希先輩までワタシを一人にしようとするんですか? 今日この後、教頭先生と話をするための勇気をくれるんじゃなかったんですか?」
 一方優希君の方も昨日みんなの前で言った事は嘘じゃないって事を行動で示そうとしてくれているのは分かるけれど、雪野さんの後半の言葉にその動きを止めてしまう。
 それでも私の女である部分の感情がせり上がって来るのが止まらない、止められない。
「雪野さん。私の話を


「……」
「――」
 今の私のイラついた声・言葉・表情を見て二人ともが驚く。
 雪野さんにはまあイラついているわけだから仕方がないとしても、怒った顔が可愛い訳は無いのだから、優希君の前ではこの表情や喋り方は出来ればしたくはなかった。
 そう思っていても自分の気持ちと言うか、この感情は抑えられない。本当に好きって気持ちはままならないと思いながら。
「その呼び方、優希君が許してくれた? それ以前に統括会の最中に抜け出した時にした約束を覚えてんの? それとも、もう忘れてんの?」
 まあ人の話を中々聞かない雪野さんが忘れていても不思議では無いけれど、今回はそう言う訳にはいかない。仮にも自分の好きな人の言葉も聞けないでどうするのか。そんな女相手に負けるわけにはいかないし、これっぽっちも譲るつもりはない。
 ただまあ、実際のところきっちりしている雪野さんが忘れるとは思えない。
「……空木先輩。どうしてもワタシが名前で呼ばせて頂くのは駄目なんですか?」
 私に憎悪に近い感情を向けた後、私の質問には答えずに優希君が逃げられないようにその腕を絡めたまま、優希君の耳元で囁くように聞く雪野さん。
 こんなのを見せつけられてしまうと、三人の仲を良くしないといけないのに彩風さんや中条さんの気持ちを分からざるを得なくなってしまう。
「雪野さん。今は私が質問してるんだから私の顔を見て

って」
「空木先輩が良いって言って下さったら岡本先輩が言ってる事は解決するんですから、空木先輩に聞いてるんです」
 私の考えなんて知るわけがない雪野さんが信じられない事に、屁理屈で返してくる。
 いつもの頭の固い雪野さんの理屈をしのぐほど、優希君への想いが育っている事を肌で感じてさすがに不安と焦燥感が芽生える。
「屁理屈言うなって。私は、あの日私とした約束を覚えてんのかって聞いてんの」
 その焦燥感を振り切りたくて、優希君に雪野さんから離れて欲しくて絡まった腕二本を解いて割り込んでしまう。
「何ですか? ヤキモチですか? 大体覚えてるからこうやって空木先輩にお願いしてるんじゃないですか」
 当然そうすると私の気持ちを知っている雪野さんが私を煽りにかかる。
「はぁ? ヤキモチ? 後輩のくせして先輩舐めんな。人と話をする時は相手の顔か目を見て会話しろって教えられて――」
「――ちょっと愛美さん落ち着いて。それから雪野さんも同じ統括会のメンバーなんだから、そんな煽るような言い方は良くないって」
 図星に近い事を言われた私が我を忘れて言い返した所を、優希君に止められる。
「落ち着いてって私普通の事しか言ってないよっ!」
 だからそのままの勢いで優希君にも言い返してしまう。
「いや、愛美さんは落ち着いてないよ。落ち着いてたら絶対言わない言葉を愛美さんは使ってる」
 そう言って私をなだめるためだと思うけれど、後ろから私の肩を両手でつかんでくれるけれど、どうも腑に落ち――
「それと雪野さん。雪野さんの気持ちは嬉しいけど、名前の件は前から言ってるように辞めて欲しい。それに僕は先輩後輩なんて言うつもりは無いけれど、愛美さんは雪野さんの為を思って言ってるから、気に食わなくても聞いて欲しい。それから男とかも女とか言うつもりはないけど、雪野さんにはもっと自分を大切にして欲しい」
 ――無い事もない。
「ワタシは自分の

を大切にしています。だから空木先輩にだけしかこんな事はしませんし、滅多な事は言いません」
 以前に言った

。分かってて言ってたのか。そしてその覚悟と言うか、それだけの気持ちを持っているって事でもあるのか、雪野さんの瞳に全く迷いは見られない。
 そして間に入っている私の事なんて一切かまう事なく優希君だけを一心に見つめる雪野さん。
 雪野さんのその想いの強さに私も怯んでばかりもいられない。私が大好きな優希君にそんな色目を使うなんて、気持ちで負けていたとしてもそんなのは認められない。
 先週の木曜・金曜に雪野さんと優希君の間で行われた事は、今後どんな理由があったとしても許さない、認めないって言う気持ちで口を開く。
「教頭先生と話をすんのに優希君にベタベタしたり、名前で呼ぶ必要。あんの?」
 その上更に今の自分の気持ちを悟られないように、腰に手を当てて雪野さんの視線を優希君から引き剥がしにかかる。
「あるに決まってるじゃないですか! 逆に聞きますけど、好きな人から名前で呼んでもらって、触れてもらって元気の出ない人なんているんですか?」
 けれど雪野さんから返って来た答えに思った以上に深い動揺が私の中に広がる。
 確かに雪野さんの言う通り、辛い時、しんどい時に優希君の顔や声を見たり聞いたりしたくなるのもそうかも知れない。それに今まで私自身、優希君に触れてもらって喜んでもらって安心したり元気になったりしてたんじゃないのか。
 雪野さんの孤立が進む中、笑顔が好きな私なら雪野さんにも安心と笑顔を見せてもらいたいんじゃないのか。
「私の気持ちを理解してくれたのでしたらそこを退いて頂けませんか? これからワタシ、教頭先生と話をするんです」
 それでも何で私の好きな人が想いを寄せていると知っている他の女の人の為に、私がこの場所を譲らないといけないのか。そんなの嫌に決まっているのにどうするのが正解なのか分からなくなってしまう。
 私の心と感情が完全に乖離してしまって完全に身動きが取れなくなった時、私の後ろに立っていた優希君が恐らくは肩に置いていた手を頭に置き直して優しく一撫でしてくれる。
「――っ!」
 だけれどそこから感じ取れてしまった雪野さんの残り香に体が条件反応してしまったところで、
「ちょっと優希君?!」
 何と優希君が私を逃がさないと言わんばかりに、私の腰に手を回すのを
「――っ!!」
 雪野さんが目に涙を溜めて私を睨みつける。
 当然その姿、視線は優希君からでも見えているはずなのに、そっちに一切の気を向けずに
「愛美さん……やっぱり落ち着けてないよ。一個大切な事を忘れてる。僕が愛美さん以外からは名前で呼ばれたくは無いし、他の女の人にベタベタするのは好まないって事……頭から抜けてたんじゃないかな?」
 耳元で優しく囁いてくれた優希君が迷子の私を見つけてくれる。私の心を素直にしてくれる。見失っていた私の心を見つけてくれる。その声は雪野さんの耳にまで届いただろうか。そしてそれは私自身、やっぱり冷静でなかった証拠でもあり。
 この感覚は朱先輩以外では初めてだ。私は雪野さんにバレない様に、少しだけ後ろにいる優希君に体重を預けて甘えさせてもらってから――よし、今度は大丈夫。
「本当に好きだって言うんなら、好きな人が嫌がっている事は辞めるべきなんじゃないの? 雪野さんの“好き”は独りよがりなんじゃないの?」
 もう一度雪野さんと対峙する。今度は優希君からの気持ちを忘れたりはしない。
 優希君の気遣いが私に力をくれる。
 だけど雪野さんに言葉を発した時には、もう優希君の手は私のどこにも触れていない。私のどの部分にも優希君が触れている感覚はない。
「嫌がってるって……岡本先輩だってワタシと空木先輩の間に無理やり割り込んで来たじゃないですかっ!」
 目に涙を溜めながら私に言い返してくる雪野さん。
 でも私だって今までさんざん優希君と雪野さんの事で涙を呑んで来たのだ。それに加えて朱先輩が私にもっとワガママになっても良いって言ってくれたのだから、私に勇気をくれた優希君を信じて甘えさせてもらう。
「じゃあ私が無理やり間に入ったせいで優希君が嫌々雪野さんから離れざるを得なかったって言う『何で岡本先輩だけが空木先輩の事を名前で呼んでるんですか?』――……空木君が雪野さん――」
「――ちょっと待って!」
 私の中で何かの感情が爆ぜた瞬間、優希君がまた止めてくれる。
「愛美さんと僕は“お互い”に名前で呼び合おうって決めたからそう呼んでるんだって――愛美さんも。“二人で”話して決めたんだから勝手に呼び方を変えないで欲しい」
 私が爆ぜた感情に必死で蓋をしようとしたら、それ以上の速さで優希君が訂正を入れてくれる。しかも注意付きで。
「……ワタシと岡本先輩で何がそこまで違うんですか? ワタシはこんなにも空木先輩の事をお慕いしているのに、どうして名前で呼ぶだけの事も許してもらえないんですか?」
 だけれど雪野さんも目に涙を浮かべながらでも、優希君に追い縋る。
 その姿がまるで気持ちが中々通じない彩風さんと重なる。
「違うとすればそれは優しさかな」
 答えてくれた優希君がその想いを私に伝えようとしてくれているかのように再び私の頭の上に手を置いてくれる。
「……それはワタシが優しくないって事ですか?」
 雪野さんの目に溜まっていた涙が、その張力に負けて零れ落ちる――
「――ごめんね優希君。私、今日は帰るね」
 ――のを見てしまうと、笑顔が好きな私としてはもうどしようもない。
 いくら私が優希君の事が大好きで渡したくないと心の底から思っていたとしても、勝手に目に涙が溜まってしまうのだ。
 でも好きな人が想いを寄せている女の人に優しくする場面なんて見たいわけがないのだから、結局私がここを立ち去るしかない。
「――待って愛美さん。僕たち二人で雪野さんの話を聞こう、力になろうって話をしたのに、愛美さんは僕との約束を果たす気はないってこと?」
 そう言って立ち去りかけた私の腕を掴んで止めてくれる。
「空木先輩はそこまでしてワタシと二人っきりは嫌なんですか? 空木先輩から見てワタシってそこまで魅力ない女の子ですか?」
 節々じゃない、言葉全体から雪野さんから優希君への気持ちを、その涙声から、震える体から、伝い落ちた涙から感じ取れてしまう。
「優希君離して。今日、雪野さんが教頭先生を説得出来たら私たち全員の気持ちが届くのと、願いが叶うのと同じ事になるんだから、雪野さんの力になってあげて」
 その気持ちまで目の当たりにしてしまったら、私としてはもう譲るしかなくなってしまう。
 心が嫌だと言っていても、気持ちはどうしても言う事を聞かない。もう自分でも何がどういう気持ちの状態なのかも分からなくなってしまってる。
「そうじゃない。愛美さんがあのムカつく倉本と話してた事、統括会の事なんだからみんなで協力しようって。一人だけの責任にならないようにしようって……こんな聞き方はずるいと思うけど、雪野さんが僕の事を思って何でもするって言ってくれたのと同じように、僕だって愛美さんと同じ時間を少しでも長く共有するために、何だってする。その上で聞くけど、僕一人で雪野さんの相談に乗って、同じチームだって言ってた愛美さんは雪野さんの事は放っておくって事?」
 そして私が立ち去ってしまう前にって言う気持ちが働いてくれたのか、再び私の足を止めるには十分な言葉を一息に口にしてくれる優希君。
「ワタシは空木先輩に話を聞いてもらえれば、アドバイスを貰えればそれだけで勇気が持てるんです。だか――」
「――違う。そうじゃないんだ。みんな雪野さんに協力したい気持ちに嘘偽りはないんだ。あの統括会の中で彩風さんも含めて誰一人として雪野さんを外したいなんて思ってる人はいない。今日の昼だって本当に倉本には腹立ったし、その場で殴り掛かりたかったけど、昼休みの時間ギリギリまでムカつく倉本と愛美さんでどうやって雪野さんの件で明日交渉をするのか。そのために雪野さんの良い所はどこなのか、どうしたら雪野さんが本音を喋れて今のこの状況を乗り切れるのかを考えてる、それはもう好き嫌いの恋愛の問題じゃないんだ」
 それは私に向けられた言葉なのか、あるいは雪野さんに向けられた言葉なのか……ただどっちにしても、優希君の言葉を耳にしてまた驚く。
 一体優希君はどれだけ細やかに人の話を聞いているのか。あの昼休み、優希君がそんな事を考えているなんてさすがに考えもしていなかったし、しきりに“ムカつく”と連呼している倉本君の考え方だってちゃんと取り入れている。
 その上で彩風さんの言葉だけじゃない本心までちゃんと理解している。
 会長である倉本君ばかりに目が行きがちだけれど、優希君のこの人の意見を聞く力はすごいと思う。ある意味会長補佐としての優希君の方がこれだけバラバラな考え方をまとめて、自分とは全く違う意見も取り入れて……私だったら、どこかで自分の感情が入ってしまうに決まってる。
 それを平気な顔をしてサラッと言えるのだから、すごいと思う……けれど、これは他人には教えたくないし、知られたくない。私だけが知っていたい秘密だってすぐに独占欲みたいなのがもたげてしまう。
 ただどっちにしても今度こそは優希君の言葉を聞くって決めたのだから
「雪野さんも座って。優希君も座ろ?」
 今の私の気持ちを信じて行動に移す。


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