第109話 強さの現れ ~信頼の積み木4~ Aパート
文字数 7,366文字
最悪の状態だった週末の金曜日。
本来なら受験生なのだから、机に向かう時間をもっと取るべきだったとは思う。
でも金曜日のままの気持ちで机に向かって集中出来る訳は無かったし、朱先輩を始め、本当に色々な人に助けられて、優希君との最悪の結末だけは避けることが出来た。その中でまさか教頭先生の意図まで気付けるとは思っていなかった。
今日の雪野さんの単独交渉と、明日の統括会としての雪野さん残留の交渉。最悪終業式までには何らかの“形”は出さないと教頭先生の説得は出来ないとは思うけれど、いかんせん時間が圧倒的に足りない。
終業式まで残り三日となった今日の週頭、いつもの時間に目が覚めた私は、制服に着替えてから目元の腫れが完全に引いている事を確認したところで
題名:明日は一緒に登校したい
本文:今日は本当にごめんなさい。今日あの後どうなったか知りたいから、
愛美先輩と一緒に登校したい。
昨日送ってくれたらしい優珠希ちゃんのメッセージに気付く。
題名:分かった
本文:おはよう! もちろん良いよ。でも今から用意を始めるからいつもより遅め
でも良い?
あれから優希君とは口を利いていないのか、私から顛末を聞きたいと言う優珠希ちゃんに、もう家を出ていない事を祈りつつ、こっちから時間の指定をさせてもらった上で快諾のメッセージを返す。
そうなれば少しでも早くと急ぎ目で下へ降りると、
「愛美。もう大丈夫?」
いつもなら朝の作り置きだけして出て行っているはずのお母さんが、私を待っていてくれていたみたいだった。
「うん。もう大丈夫だって。でも今週はお母さんで本当に良かった」
お父さんが悪い訳では無いけれど、もしこれでお父さんが帰って来ていたら、私は家出をしていたかもしれない……行先は朱先輩のところくらいしか思いつかないけれど。
「愛美と慶久って意外と仲が良いのよね。昨日の夜は慶久から、お母さんは帰って来なくて良い、お父さんが毎週帰って来てくれたらそれで良いって言ってたわよ」
“仲が良いのはお母さんもお父さんも嬉しいんだけど”なんて苦笑いしながら付け足すお母さん。
でもそれは本当に慶と仲が良い事になるのか。なんか違う気がする。
大体本当に仲が良かったら、私も慶もお母さんが帰って来てくれたら嬉しいって思うんじゃないだろうか……まあそれだと、私たちのために頑張ってくれているお父さんにはちょっと悪いなって思うけれど。
「愛美。意地を張るのも良いけど、“優希君”ハンサムなんでしょ? 愛美が可愛くて器量が良いのも分かるけど、今回みたいな事が無いように、ちゃんと素直になって逃がさないようにしなさいよ」
私に向ける表情を、どうしてか蒼ちゃんみたいに“しょうがないなぁ”に変えたお母さんが口にする。
「意地を張るとか、素直になるとか私、そんなに“意地っ張り”でも“頑固”でも無いよ」
この週末はそれどころじゃ無かったからそこまで気にする余裕は無かったけれど、ちょくちょく誰かしらからは言われていた言葉。
「愛美もやっぱりまだまだ子供ね。でも“優希君”の前でだけは素直にならないと駄目よ」
私の反論に、“子供ね”と言いながら安心と喜びを織り交ぜた表情を見せるお母さん。
「ちょっとお母さん! もうすぐ慶も起きて来るんだから辞めてよ」
慶がそんなに早く起きるわけがないと分かってはいたけれど、お母さんの余裕さに居心地の悪さを覚えた私は話を変えてしまう。
「はいはい。愛美はもう学校に行くの?」
「あ! うん。ご飯食べたらもう出ようかな」
本当はもう少しお母さんと喋っていたかったのだけれど、優珠希ちゃんから一緒に登校したいってメッセージをもらってたんだった。
そして家を出る直前。
「そう言えばお母さんは?」
いつもなら私が起きた時には作り置きだけして家を出ている事が大体なのに、なんでか、いや、私が心配で待っていてくれたのか。
「今日は愛美の事が気になったからよ。もちろん今日は遅くなることはお父さんには言ってあるけど、愛美の事は何も言ってないから安心して良いわよ」
聞いてから気付いた答えと同じ事を言うお母さん。
「もしお父さんに言ってたら、お母さんにも言えなくなるって」
お父さんに知られたら私が家出の原因となる、優希君についての喧嘩が始まりそうだ。
お父さんには前に言ってあるけれど、優希君とお父さんが喧嘩したら、迷いなく私は優希君の味方になる。
「大丈夫よ。お母さんも前に話した事があると思うけど、愛美からしたらお爺ちゃんとそう言う喧嘩をして来てるし、愛美の気持ちは分かるからお父さんには言うつもりないわよ」
キッパリ言い切った私に対して、笑いながら答えるお母さん。
これじゃあお父さんが本当の事を知るのはまだまだ先になりそうだ。
「だから愛美は気にしなくても大丈夫よ。それとお母さんは慶久と一緒に家を出るから。行くなら先に行きなさいな」
そして最後に慶の事。ちゃんとお母さんなりに慶の事も見てくれている事が分かって、いつものように嬉しさが心に広がる……と、同時に
「あ。そうそう。今回の成績表。全統模試の結果が出るのが遅いから、成績表は8月の登校日の時にもらえるみたい。だから今週には慶の分の成績表しかないと思う」
もし受験生である私のために、成績表の事で次の週末両親共に帰って来てくれるなら悪いなと思って、先に断ろうとすると、
「慶久の成績表の事もあるから愛美は気にしなくても良いわよ。それにお父さんもお母さんも、何もなくたって愛美や慶久の顔が見たくなるのは当たり前なんだから、それこそ愛美は気にしなくても良いに決まってるじゃない」
……どうやら今週末は慶にとっては肩身の狭い週末になりそうだと、この前テーブルの上に並べられていた採点結果を思い出す。
「それじゃ私、行くね」
でも自分勝手な慶の事を考えるのはここまで。
私はお母さんが作ってくれたお弁当を手に、優珠希ちゃんとの待ち合わせ場所へと向かう。
お母さんが朝ご飯とお弁当を用意してくれていたから、メッセージで送った時間よりも早く着いたにもかかわらず、最近はすっかり結わえずに降ろす事が多くなった金髪が視界に入る。
「いつも待ってもらってごめんね。今日は優希君や御国さんは良いの?」
優珠希ちゃんもまた私の姿を認めたのか、私と優珠希ちゃん。お互いが自然に歩み寄って、そのまま学校までの道を歩き始める。
「愛美先輩からの話を聞くまでは、お兄ちゃんと口を利くつもりはなかったのと、佳奈については今日だけはお願いして先に行ってもらったのよ……昨日はわたしのお兄ちゃんの話をちゃんと聞いてくれてありがとう」
頭を下げて改めて昨日のお礼を口にする優珠希ちゃん。
「もうその事は良いよ。結局私にも落ち度はあった訳だし、全て優希君のせいって事は無いよ。それに元々優珠希ちゃんが悪い訳でも無かったんだから、本当に気にしなくて良いよ。むしろ私の方こそ二回も
優希君の妹さんと言う事を別にしたとしても、優珠希ちゃんと仲良くしたいって思っている事には変わりはないのだから、そこまで引け目に感じて欲しくなかったりはする。
「お兄ちゃんだけのせいじゃないって、お兄ちゃんの事、許してくれたの?」
貞操観念の強い優珠希ちゃんが驚く。
「許すって言うか、優希君の話を聞いて、それ以上怒る事も私だけが悲しくなることも出来なくなったって事かな? だから許した訳じゃ無いよ」
「……どうゆうこと?」
少し恥ずかしいけれど、同じ女同士。しかも私の気持ちを分かって貰えそうだからと言う事で説明する。
「理由はどうあれ雪野さんと初めてをしちゃんだから、しばらくの間は優珠希ちゃんの言うハレンチな事は一切なしって言う話をしたよ。それにやっぱり優希君の事が好きだからそんな簡単に嫌いになったり、別れたりも出来ないよ」
これは実際好きな人に、私から触れる口実が無くなってしまうのだから、辛かったりする。
「……あんなお兄ちゃんでも見捨てないでくれてありがとう」
態度でも、口でもどう言ったとしても、やっぱり心の底ではお兄ちゃんの事が好きなのだと言う気持ちが、優希君の代わりにお礼を口にするのを見ていても分かる、伝わる。だから、
「私の事はもう良いから優珠希ちゃんも、優希君の事は許してあげてね。それから、今度からそう言うのがあったら、ちゃんと隠さずに教えてね」
優珠希ちゃんには引け目を感じなくても済むように、一つのお願い事を織り交ぜて話を終わらせようとして、
「だから優珠希ちゃんも、優希君と仲直りしてね」
そして優希君が優珠希にちゃんに対しても、とても申し訳なさそうにしていた事も思い出したからと、もう一言付け足す。
「……手」
すると、綺麗な金髪を揺らすのを辞めた優珠希ちゃんが短く一言つぶやく。
それに合わせる形で立ち止まった私が、
「手? 私の手がどうかした?」
明らかに頬を紅く染め上げた優珠希ちゃんに聞き返すと、
「わたしの頭、撫でたかったら別に撫でてくれても良いわよ」
私の手の動きを見ていたのか、本当にまさかの一言が優珠希ちゃんの口から出て来る。
前にも言った通り、女の子はたとえ好きな人、仲の良い女同士でも基本的に中々髪には触らせない。
その優珠希ちゃんがそう言ってくれるって言う事は、優珠希ちゃんもいよいよ本格的に私に気を許し始めてくれているのかもしれない。
そう思うと、もう居ても立ってもいられなくなって、
「優珠希ちゃんっ!」
思わず私が両手で優珠希ちゃんの頭ごと抱きしめようとしたら、びっくりしたのか
「ただし! わたしの頭に付けている髪飾りだけは本当に大切なものだから、いくら愛美先輩だからってゆっても
まだ
触れないで。絶対に触らないで。あと、わたしの目の前に二度とあの魔女を連れて来ないで。この二つが条件よ」私が優珠希ちゃんの頭に触れる直前で、驚き飛び退いた優珠希ちゃんが取引きを提示して来る。
でもまあ、優珠希ちゃんがその髪飾りをとても大切にしている事は知っているし、優珠希ちゃんに頬を
だけれど今後は触れさえしなければ視界に入れても意識をしても良いと言う事になる。一番初めに、その髪飾りに一目視線を送っただけで頬がパンパンに腫れるくらいのビンタを貰った事を思えば、本当に優珠希ちゃんが私を信頼し始めてくれているのが伝わるから、嬉しさも本当にカクベツだったりする。
更に言うと優珠希ちゃんなりに私との信頼「関係」も大切にしてくれているんだなって実感できる。
本当に人と人との信頼「関係」って言うのは目に見えない分、分かりにくいし目に見えるようになるまでの変化と言うのは、長いかもしれない。
だからこそ、ソレを実感出来る瞬間と言うのは、本当に喜びもヒトシオなのだけれど。
「あの魔女って誰の事?」
こっちが分からない。連れて来るなと言ったくらいなのだから――ひょっとして、
「昨日
アンタ
が連れて来た女よ」やっぱり朱先輩の事か。
優珠希ちゃんの頭を撫でられると言うのは、中々に魅力的だけれど、朱先輩の事を魔女だって言うのはさすがに聞き捨てならない。
「魔女じゃないよ。船倉朱寿(ふなくらすず)先輩で、この学校のOBだよ。それに私にとって大切な人だから魔女は辞めて」
魔女に悪いイメージは無いし、魔女自体は優しいのに、その特異性からむしろ虐げられたり、迫害を受けてきた側なのだ。
私はそれを知っているだけに、逆に応援したり、味方になりたいくらいの気持ちではあるのだけれど、どうも優珠希ちゃんのニアンスは違う気がする。
「じゃあわたしの頭を撫でる権利は要らないのね」
私が優珠希ちゃんの条件を飲まなかったからか、さっきまでと全く違う私に対してふてぶてしい表情を向ける。
「そんなにコロコロ変わる私の意見、優珠希ちゃんは信じられる?」
「なにゆってるのよ。あの魔女をここに連れて来なければ良いだけじゃない」
あ。また優珠希ちゃんが魔女って言った。
「だいたい人の心の奥まで読み取って……なんだってゆうのよ。人には言いたくない事、隠しておきたい事だってたくさんあるのに全部ゆい当てた挙句、何が“素直にならないと駄目なんだよ”なのよ。それだけで何でもかんでも知った気になって。あんなオンナ魔女で十分よ。それにああゆう人間ってわたし、苦手なのよ。だからあの魔女をわたしの前に連れて来ないで」
そして案の定と言うか、私が思っていた以上に朱先輩の印象は悪そうだ。
でも私にとって大切な先輩。さっきから何回も大切な人を魔女魔女と連呼する優珠希ちゃん。ここまで言われてハイそうですか。とは引き下がってはあげられない。
それに名前呼びもどさくさに紛れていつの間にが元に戻っているし。
「じゃあ私が朱先輩に優珠希ちゃんの事を聞いたら、“素直”な優珠希ちゃんの話、たくさん聞けるって事かな?」
私は優珠希ちゃんを煽る。
「……ちょっとアンタ! まさかわたしの弱みでも握ろうってゆうの?」
声を
全く
低くせずに凄んでくる優珠希ちゃん。「弱みを握りたいんじゃなくて、優珠希ちゃんの事もっと色々知って、仲良くしたいだけだって」
だけれどそろそろ私に対するその呼び方と、私を怒らせると怖いって言う事くらいは、今後の優希君とのお付き合いを考えたとしても、ちゃんと教えておいた方が良い気かする。
「仲良くしたいならあんな魔女に聞かずに、直接わたしに聞けば良いじゃない」
ほんっとにこの優珠希ちゃんは。
だから私も反撃をしようとさっき許可してくれた優珠希ちゃんの髪を断りなく、髪飾りにだけは触れないように注意しながら、手でだけれど梳るようにして優しく優しく触れる。
「優珠希ちゃんは素直じゃないんだから、朱先輩に優珠希ちゃんの素直な心を教えてもらおっと」
優珠希ちゃんが動かない事を確認した上で、更に優珠希ちゃんを煽る。
「アンタ! 本当にわたしと仲良くする気あるの?」
案の定私に噛みつこうとするけれど、その頭は全く動かない。
「優珠希ちゃんに腹は立っても、仲良くしたいし、優珠希ちゃんの事が知りたいんだから朱先輩に聞くんだって」
金曜日の保健室での行動を思い浮かべても予想できたのだけれど、言葉とは全く反対に、一度気を許した相手にはとことんまで甘えん坊になるのかもしれない。
「わたしに腹立ってもって……ひょっとして
愛美先輩
怒ってるの?」そしてまた名前を呼び直して私を見つめる優珠希ちゃん。
本当に私の機嫌を取ろうとか言う時だけ殊勝な態度になるところ辺りは、まるで慶を相手にしているような感覚に陥る。
「そりゃ、朱先輩の事をそんな言われ方したらね」
でも、ここからは私の方が怖いって言う事を教えないといけないから、敢えて怒ったフリをする。
「……アンタまさか、今後お兄ちゃんや佳奈に飽き足らず、あの魔女の名前を出してまでわたしよりも上だとか、そんな不埒な事を考えてるんじゃないでしょうね」
でもそこはやっぱり頭の回転の速い優珠希ちゃんの事。中々うまくいかない。
「……そんなつもりは無いけれど?」
「ちょっと。今の間は何よ。そんな事口でゆったって、アンタの手がわたしの頭から全然離れてないじゃない。やっぱりアンタには触らせるんじゃなかった」
そしてやっといつも通りの優珠希ちゃんらしい雰囲気が戻って来る。
大体土曜日の優珠希ちゃんとの電話で、素直な気持ちはもう聞いているのだから今更聞く必要は無かったりするのだけれど、そんな事を教えてあげるほど私は親切じゃなかったりする。
それに私は優希君とお付き合いをしているのだから、その妹さんである優珠希ちゃんにはやっぱり
なついて
貰わないといけない。それは優希君からのお願いでもあるし、私の気持ちでもあるのだ。「髪に触れられるのが嫌だったら、優珠希ちゃんから離れたら、私には優珠希ちゃんを強制する事は出来ないよ――その代わり、優珠希ちゃんともっと仲良くなれるように、優珠希ちゃんの事をもっと知りたいから、朱先輩から色々教えてもらう事にはなるけれど」
私の言葉にすぐさま離れようとして、またすぐにその足を止める妹さん。
こういう風に見ると、やっぱり妹さんも素直で可愛いのかもしれない。
「分かった。アンタがすごい腹黒だって事だけは分かった」
「ちょっと待って。腹黒って何よ? 腹黒って言うのはあの穂高先生みたいな人の事を言うんだって」
前言撤回。こんな事を口にする妹さんが可愛い訳がない。
「……アンタ。ほんっとに自分の事なんにも分かってないのね。アンタもうわたしの気持ちなんて分かってるんじゃないの? それを知らんフリをするってゆう事自体、もう十分に腹黒なのよ」
失礼しちゃう。私は優珠希ちゃんをかわいがろうと思っただけなのに。
「腹黒って言うんならそれでも良いけれど、優希君が優珠希ちゃんと仲良くして欲しいって、私に言ってくれた時、優希君と同じだって分かった時、私の気持ちはとっても嬉しかったのにな」
腹黒上等。そう言うんなら遠慮なく優希君の名前を出させてもらうよ。
「……お兄ちゃんがそうゆったのなら、もうわたしからはなにもゆわない。ただし! 今後お兄ちゃんがハレンチな事をしでかさない様に、アンタのその腹黒さで何とかしなさいよっ! じゃあわたしは佳奈の所に顔出しに行くから」
今日は私の方を振り向く事なく、でも朱く染まった耳は隠せずに先に行ってしまう優珠希ちゃん。
私の周りにいる人は、優珠希ちゃんも含めて本当に素直じゃないなって思う。
とても分かりにくかったけれど、結局最後まで髪に触れる事に関しては文句を言わなかったし、優希君自身が他の女の子に目移りしないようにしっかりしなさいって私には、聞こえた。
そしてあのお兄ちゃんっ子の優珠希ちゃんが、私と優希君の仲を認めたって言うのが一番大きい気がする。
私は優珠希ちゃんの姿が見えなくなったのを確認してから、そう言えば朱先輩の魔女の事、訂正し損ねたなって思いながら、改めて学校へと向かう。
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