第114話 近くて遠い距離5 ~ガラス越しの想い~ Aパート
文字数 6,979文字
朝礼での先生からの話の後、終始重い空気の中で行われた午前中の授業の後の昼休み。先生に対する不満か何かは知らないけれど、咲夜さんグループが咲夜さんに何か激励のような声掛けをしているのが目に入る。
一方朝話していた通り、蒼ちゃんの中で本当に咲夜さんの事なんて友達とは思わなくなってしまったのか、二人一緒に先生からの呼び出しがかかっているにも拘らず、蒼ちゃんが咲夜さんの方を見向きもしないで先に教室を出て行ってしまう。
その蒼ちゃんの後姿を見ていた実祝さんは、朝と同じムッとした表情を、その姿を見てすらもいなかったのか、顔を俯けた咲夜さんの姿が脳裏に焼き付く。
その咲夜さんが蒼ちゃんがいなくなったことを受けて、蒼ちゃんを避けるためなのか別の出入り口から反対方向へ出て行く。また、それを見届けた実祝さんが咲夜さんの後を追いかけるようにして、席を立って教室を出て行く。
私が普段から仲良くしているクラスメイトや気がかりな人がいなくなった教室内、一人教室内でお昼をするくらいなら、空の見える場所でお昼をしようとお弁当と水筒を手に席を立った時、
「岡本さん」
昨日に続いて倉本君が顔を出す。
そう言えば今日は雪野さんの交渉の大詰めだからって事で、昨日に続いての約束もしたっけ。
本当なら昨日優希君が良いって言ってくれたんだから今日が大詰めの話。気軽に行きたかったのだけれど、昨日の蒼ちゃんの剣幕と彩風さんの事を思い出す。
「お待たせ。今日も昨日の続きで雪野さんの話なんだよね」
だから念のために倉本君に確認を取ると
「もちろんそのつもりなんだが、せっかく空木の奴もいない事だし、たまにはそれ以外の話も出来れればなとは思ってる」
昨日集中している時に見せていたカッコ――のついた倉本君はどこへ行ったのか、交渉を目前に控えているのに、関係ない話をしたいと言い出す倉本君。
「じゃあ今日は優希君がいなくて、違う話になるんだったら、彩風さんの意見も聞いてみようよ。そうしたら統括会全員の意見も聞けるじゃない?」
その返答に蒼ちゃんと喧嘩するのが嫌だった私は、彩風さんにいつもの四人掛けの席で倉本君と待っているからと、メッセージを打つ私の事を倉本君が恨めしそうに見ていた。
そんな視線を向けてもらったところで、私には優希君がいるのだから、やっぱりこれっぽっちも気持ちは動かないし、いつも通りその気持ちを彩風さんに向けて欲しいと思ってしまっている。
「……」
それよりも倉本君とは何でもないのに、教室内からの色々な誤解を含んだ嫉妬の視線を向けられる方が私には頭が痛い。
「じゃあ先に行って待ってようよ」
だから私は差し出された手には気づかないフリをして、教師内からの視線から逃れる意味も含めて、教室から離れる。
私たちが待ち合わせ場所についた時、倉本君がいるから彩風さんが飛んでくると思っていたのに、私の予想に反して、遠目で確認したとしてもその姿を窺い見る事は出来ない。
「……」
一方倉本君の方も、昨日の続きと言うのなら早速にでも雪野さんについての学校側との交渉の話をしないといけないのに、倉本君から口を開く様子はない。
それどころか彩風さんが来ることも頭から抜け落ちたかのように、私の事を燃えるような熱量を持って見つめて来る倉本君。
かと思いきや倉本君も男子だからなのか、時折だけれど私の控えめな胸部に視線を移しているのがわかる。
だけれど好きでもない倉本君からの視線にもかかわらず、嫌な気持ちには全くならない。そう、その視線に男子特有のイヤラシさを感じない……正確に言うと感じない事は無いのだけれど、それよりも何かは分からないけれど、全く違う感情をその視線の中に感じてしまったから。
「岡本さんは空木の奴が雪野を選んだとしても、まだ諦めきれないのか?」
私の視線に気づいたのか、そこにまた別の感情が働いたのか、倉本君が私の方から完全に視線を逸らした状態で、私の気持ちを聞いてくる。
「優希君が雪野さんを選んだってしきりに倉本君は言うけれど、優希君は雪野さんを選んではいない。好きじゃないって直接私に言ってくれたよ」
「そうは言っても空木は雪野とキスしたんだろ? そんな事までしておいて空木の野郎は選んでない、好きじゃないって、岡本さんの前で口にしたのか? それとも俺がそう思ってるだけで女子の間じゃ、キスくらいなら普通にするもんなのか? 俺が岡本さんとキスなんて出来たら一生大切にするに決まってるけどな」
私が金曜にどれだけ取り乱してしまったのか、当事者として目の前で見ていたはずなのに、その事自体すっぽりと抜け落ちてしまっているのか、あまりに見当はずれな事を口にする倉本君。
しかも女の子がそんな簡単に唇を許すはずがない。
外国人はあいさつ代わりにする人が多いって聞いた事があるけれど、少なくとも私にはそんな恥ずかしい事はおいそれとできないし、初めてだったら好きな人と理想のシチュエーションでしたいに決まっている。
「倉本君の中で女の子の事をどう思っているのかは分かったけれど、私にはそんな恥ずかしい事なんて出来ないし、私と倉本君じゃ合わないよ」
そうじゃなかったら雪野さん相手にこんな気持ちになる事も、優希君相手に触れるのもくっつくのもナシ。なんて言ったりするわけがない。
まあ、昨日から早速なし崩し的になってしまっているところもないでは無いけれど。
それでも日曜日に私の気持ちを分かって欲しいと、あそこまでの想いが沸き上がって来る事なんてある訳がない。
「いや岡本さん。それは違う。誤解だ! 俺が岡本さんとキス出来たら空木と違って岡本さん一人だけを大切にするって言いたかっただけで――」
「――っ!」
「清……くん?」
倉本君が途中まで言いかけた時、すぐ近くで息を呑む声が聞こえたからと視線をずらすと、いつの間にか彩風さんだけじゃなくて、中条さんも一緒に来ていた。
私の視線に気づいたと言うか、視線が合ったところで彩風さんが私から視線を逸らす。
そしていつも私の事を“愛先輩”と言って慕ってくれていた彩風さんが私の事を避けたのか、それともやっぱり好きな人の隣にいたいだけなのか。
私から露骨に逸らされた視線のせいでどっちか判断が出来ないまま、間隔を詰めて、その表情を驚きに染めたまま中条さんが私の隣に腰掛けてくれる。
「霧華。岡本さんが連絡してくれてから来るの遅かったな。また雪野の事でなんかあったのか?」
一方倉本君の方も隣に彩風さんが座っているにも拘らず、一番に雪野さんの事を気にしてしまう。
「遅かった? 早く来過ぎの間違いじゃなくて? アタシが来なかったら愛先輩と二人でもっと色んな話が出来たとか考えてたんでしょ?」
だからなのか、倉本君って言うか好きな人に対して、あまりにも辛辣な態度を取る彩風さん。
「まあ霧華は俺が何か言っても
いつも
そうだよな。俺はその霧華の性格を小さい時から知ってるから今更だけど、その性格を直さないと霧華の事を理解してくれる男子はなかなか現れないと思うぞ」言いながら彩風さんの額をあくまで軽く弾く倉本君。
「男子って……アタシには他の男子なんて要らないし。彼女、彼女っていつも言ってるのは清くんの方でしょ」
「おい霧華! 岡本さんの前で誤解を招くような事は言うなって」
それに対してあくまでつっけんどんに言い返す彩風さんと、必要以上に慌てる倉本君。倉本君の考え方で、私の気持ちがどうこうなる事は無いのだから、出来ればそう言うのも辞めて欲しい。そんな態度を出してしまうから、可愛い後輩から、嫉妬される羽目になってしまうのだ。
ただ、彩風さん自身の態度を見て、先週感じた懸念が現実になっている気がする。
彩風さんの私に対する彩風さんの気持ち、心情を考えて、一見自然に見えたその態度に内心で頭を抱えていたら、
まさかの私の懸念に近い二人のやり取り。
「……」
可愛い後輩だと思っていた所にそっけない態度を取られた事も加味して、彩風さんに半眼を送ると、今度は彩風さんの方が気まずげに視線を逸らす。
そんな彩風さんに仕返し……もとい、倉本君と仲良く喋って貰おうと、
「昨日倉本君と学校側を説得する一つとして雪野さんの良い所を出し合っていたんだけれど、彩風さんは雪野さんの良い所ってどこがあると思う?」
彩風さんにとっては答えにくいであろう、でも交渉の際には必ず必要になる事を彩風さんに聞くと、やっぱり私に対して恨みがましい視線を向けて来る。
けれど倉本君の視線を感じたのか、その表情を慌てて隠す彩風さん。
正直今日の交渉の件については昨日の内容、
①頭の固い雪野さんのやり方はマズいにしても、その方向性は間違ってはいない事。それは学校側から要請のあった服装チェックの時からも学校側がそう思っている事。
②特に大事な事。教頭先生が自ら私に課題として出してくれた『善意の第三者』についての回答にもなる、あくまで雪野さんは暴力を振るっていた事を知らなかった事と“雨降って地固まる”の通り、雪野さんにもちゃんとした考えがあって、お互いの主張にちゃんと耳を傾けようとしていた事。そして雪野さん自身は一切暴力を振るっていない事。それは倉本君が私たち五人で一つのチームだって言ってくれていた通り、統括会のメンバーみんなが口をそろえて言える事
③倉本君一人が責任を取るのではなくて、さっきと同じように五人で一つのメンバーなのだから雪野さんも含めて、誰か一人に責任がいかないようにする事。
で、問題無いとは思うのだけれど、
「あ! そう言えば雪野さんが起こした事になっているイザコザと暴力の件ですっかり抜けていたけれど、現段階で二年でバイトをしている生徒は誰一人としていないから。だから二年で流れたバイトの噂だけは完全に事実無根だから」
先週の統括会の時にその話もしないといけなかったのだけれど、雪野さんの話を聞いてすべて吹き飛んでと言うか、私が逃げ出してしまったせいで、その話は全く出来ずじまいだった。
「え? でもそれだったら尚の事冬ちゃんが――」
「――そうかっ! そう言う事かっ! 雪野はバイトしている事を停学処分を喰らった友達から聞いて、それを“英知”にするためにバイトしたとされている生徒から直接言質を取りたかったのか!
愛美さん
本当にありがとうっ! 岡本さんにはやっぱり俺の側にいて俺の力になって欲しい」「――?!」
「……っっ」
倉本君が物欲しそうに私の方を見て来るけれど、そんな事よりもちょっと待って欲しい。
「“英知にする”って何? 『善意の第三者』じゃないの?」
『善意の第三者』から先の話、“雨降って地固まる”は私に課せられた課題だと思っていたのに、そこの考え方が違うのか。
もうその前提の時点で考え方自体が違うのであれば、その“雨降って地固まる”の後の部分も急いで考え直さないといけない。もう間違えているほどの時間の余裕も無いと感じた私は、倉本君の思考に食らいつくようにしてその言葉を止めてしまう。
私が途中で止めてしまった言葉に対して、さすがに一言くらい何かを言われるかなとも思ったのだけれど、倉本君が岡本さんでも知らない事ってあるんだなって前置きをしてから、
「“無知は罪なり、知は空虚なり、英知は英知なり”って言葉があって、知らない事って言うのはもちろん話にならないんだが、ただ知ってるだけだと何の役にも立たないどころか、知識の使い方を間違えたら逆にマイナス方向にもなる訳で、その知識を正しく身に着けて、正しく活用するようにとの格言みたいなものだな。まあ知識を持つものはそこに責任と義務があるって言う事を、昔の人が短い言葉でまとめた慣用句。みたいなものでもあるかもしれない。つまり、雪野はバイトしている生徒がいる事を知らなかった“無知”から、友達からバイトしている事を聞いて“知”を得た。そして雪野は得た“知”だけだと空虚なりと言われる通り、話をすることが出来るわけがないのだから、“知”から“英知”にするために、その証拠と本人からの証言が欲しかった。多分雪野の事だから英知にしてから該当生徒を注意しようとしたって所なんだろう。その過程で揉め事みたいになってしまったから、志半ばになってしまった気持ちも強いんじゃないか?」
倉本君の長い説明を聞いて、そう言えば鼎談の時に
――無知は罪なりは、この場合においては間違いであると思って下さい――
――バイトしてる人は誰かって聞いてるんですっ――
雪野さんの言葉と同時に、確かに教頭先生がそう口にしていた事をはっきりと思い出す。
「じゃあ雪野さんは“知”の状態から話を鵜呑みするんじゃなくて、雪野さんなりにちゃんと裏取りをしようとしたって事だよね」
「ああ。そう言う事だ」
そして雪野さんはただ頭が固いだけじゃなくて、ちゃんと言葉に沿って、考え方に沿って行動していたと言う事も倉本君の解釈の助けも借りて、ようやく分かった気になる。
つまり今回の件は本当に、全く雪野さんが悪い訳じゃ無いって言う事になる。
「……倉本君。私、明日の終業式の時に雪野さんに関する謝罪コメント、要らないと思うんだけれど」
これはもうどう考えても雪野さんが被害者にしかならない。
まわりの勝手な噂話と、雪野さんの友達とか言うあのサッカー部の男子生徒の勝手な悪意によって植え付けられた雪野さんの印象。
「その辺りは岡本さんに任せる。俺としては俺が代表で一回――」
「――倉本君? 昨日倉本君だけに責任がいかないようにって話したばかりだよ?」
また倉本君の悪い癖が出そうになったところを空かさず窘める。
「……すまん。そうだったな。分かった。岡本さんに任せる」
倉本君がはにかみながら私に返事をしてくれた後、その表情を悔しそうにゆがめる。
「こうやって理解すると、俺は本当にメンバー全員の事はおろか、雪野一人の事もちゃんとわかってやれていなかったんだな」
そして答えにたどり着いたはずなのに、その倉本君が元気までも失くす。
「私たち五人で一つのチームだって倉本君が何度も言って来たんだから、何の事にしても倉本君だけが責任を感じる必要は無いって。それにさっきも言ったけれど、教頭先生からも倉本君はすぐに責任を取りたがるのは悪い癖だって言ってるんでしょ?」
さっきは窘めたけれど、やっぱりこれは倉本君の優しさなんだと思う。
部下には伸び伸びと、上司はそれに対する責任を。前にも思った事があるけれど、倉本君の元で働ける人はとても働きやすい環境になるんだろうなって事は想像に難しくない。
私が先週の事と昨日の事を言っているのが分かったのか、すぐに落ち込んでいた表情を引っ込めてくれる。
「だったらその倉本君の考え方と、倉本君一人の責任にはしない事に気を付ければ行けるよ!」
みんなの想いが詰まった三本の柱。いや四本の柱。
④たとえ友達からの意見でもその話を鵜呑みする事なく、その知識。情報が本当に正しいのかどうかを直接本人に確認をして言質と裏取りをすると言う行動を“無知は罪なり、知は空虚なり、英知は英知なり”のことわざ、慣用句に沿ってした事
を確認して、
「後は彩風さんが雪野さんの良い所を――」
「――っ! 彩風?」
彩風さんの意見を聞いてまとめてしまったら終わりって所で、彩風さんが涙している事に気付く。
隣に座っていた倉本君が私たちよりも早く彩風さんの頭に手を置いて、ポンポンと撫でる。
けれど今の涙している状態の彩風さんが、倉本君の優しさに、好きな人からの優しに触れてしまうとどうなるのか。
彩風さんの涙の量が増えるに決まっている。
「倉本君。彩風さんの事は私たち女同士でちゃんと話を聞くから、席を外してもらって良い? さっきのでもう交渉の話はまとまったし完成だよね?」
いくら幼馴染かどうかは知らないけれど、女の子の涙を興味本位で見るものじゃない。
中条さんじゃ無いけれど、本来女の子の涙はそんなに安い物じゃないし、見せびらかすものでもない。
「確かにそうなんだが……でも泣いている彩風を放っておくわけには……」
今までも色々な事があった時には、そのそばに必ず倉本君が付いていた事が分かる言葉。
だったら彩風さんの気持ちが倉本君に届けば、絶対流れも気持ちの向きも変わると確信を得る。
「倉本君。これ以上はマナー違反。そこまで気にしてくれるのなら、放課後統括会に来る前に必ず彩風さんを迎えに行ってあげて。お願いできる?」
あからさまだろうがバレようがそんな事はこの際関係ない。
彩風さんだって立派に女の子している。重要なのはこれだけなんだから。
それに彩風さん自身にも色々と聞きたい事があるのだから、ここで席を外してもらえるのはありがたい。
「分かった。岡本さんがそう言ってくれるのであれば。後そっちの霧華の友達も、霧華の事よろしく頼む」
倉本君が中条さんに対して頭を下げてまで彩風さんの事をお願いして来る。
そして中条さんの驚きを含んだ返事を受けた後、倉本君が彩風さんの事をもう一度心配そうに見やって、自分の教室へと戻って行く。
―――――――――――――――――Bパートへ――――――――――――――――