第118話 善意か悪意か ~勝ち取る信頼の難しさ2~  Bパート

文字数 6,109文字


 洗い終えた洗濯物を干して、私が頭の中で間違っても恋愛上級者じゃないって言う事をまとめた事を、蒼ちゃんに改めて説明しようと自分の部屋へ戻ると、
「……」
 私が長湯している間に待ちくたびれたのか、私のベットに腰掛けたまま体だけを仰向けるようにして眠っていた。
「……」
 いくら夏だからと言っても、そのままだと風邪をひいてしまったら大変だと言う事もあって、一度自分の中の迷いを消す。
 そして眠っている蒼ちゃんを起こしてしまわないように、重さを感じないその体を慎重に私のベッドの中に入れてしまう。
 のだけれど、蒼ちゃんはよっぽど疲れているのか全く起きる気配がない。
 私が蒼ちゃんの寝顔を覗き込むようにして、その顔にかかった蒼ちゃん自慢の黒髪を手でかき分けても、穏やかな表情と安らかな寝顔があるだけだ。
 だけれど私はその蒼ちゃんの穏やかな顔を見て、不安が這い上がって来るのを肌で感じる。
 (じか)に目で見ても分からない量の涙が、照らされた照明によって、僅かに反射しているのが私の目に留まってしまったから。

 思い返せば今日は朝からずっとおかしかったのだ。
 いつもよりも随分と遅い時間に、あの清潔感と可愛さのある蒼ちゃんが、制服を着崩して登校して来て、らしくなくその足で咲夜さんの方に向かおうとした蒼ちゃん。
 そして放課後の時もそうだったけれど、集団同調の的になっている蒼ちゃんに、必要以上に怯えた咲夜さん。
 もちろん今となっては咲夜さんも同調圧力を加えられているのだから、一見その咲夜さんの反応に不自然な点が無いように見えなくはない。
「……」
 でも、何か違和感があると私の勘が訴えている。それはお昼の時もそうだ。
 蒼ちゃんが咲夜さんにだけは強く出ているのは見ていても分かる。咲夜さんは蒼ちゃんが出て行った後、更に鉢合わせにならないように、恐らくは別経路で先生の所にっている。
 そして放課後。交渉を挟んだ統括会はいつもより長かったし遅かったにもかかわらず、蒼ちゃんは学校の昇降口の所に備え付けられている洗面台でえずいていた。しかも今、私が触れているこの綺麗でサラサラな黒髪を痛めて。
 以前も同じようなって言うか、他の女の子たちに蒼ちゃんが囲まれていた事が、放課後あの昇降口であった事を思い出す。あの時はたまたま私が通りかかったから良かったものの、今日は通りかからなかったから一通りのことが終わってしまった後だったのか。今日遅くなった統括会の時間の兼ね合いも考えると符合しない話ではない。
 その内の一回、たまたま私が腕のアザを目にした事を思い出して、
「――っ?!」
 私の心の中の悪魔が、いやそれは……善意なのか、信じられない囁きが
 ――答えは目の前にあるよ。眠っている今なら、
                誰も傷つく事は無いし、迷惑も掛からないよ――
 私の頭の中に凄まじい衝動と共に響く。
 確かにそうだ。私でさえも軽いと思ってしまうとは言え、人間一人を抱きかかえたにもかかわらず、全く起きる気配はない。その上、蒼ちゃんの髪を手で梳いても全く起きる気配もない。
「……」
 私の善意が囁く。
 ――私は親友の力になりたい。
 私の手が蒼ちゃんの手首に伸びる。
 ――蒼ちゃんが打ち明けたくても打ち明けられない事情があるなら……
 蒼ちゃんの手首に私の手が触れる。
 ――こっちから一歩踏み込んで力を貸すべきじゃないのか。それが親友って言うものじゃないのか。
 私の手が服の袖を避けて、蒼ちゃんの手首を直接掴む。
 ――蒼ちゃんの笑顔を、親友の笑顔を見たくはないのか? おばさんの想いは届いているんじゃないのか?
 手首を掴む力が強くなる。
 ――また私が悪者にさえなってしまえば……
 蒼ちゃんの手首を掴んだ私の手に汗がにじみ出る。
 そしてこれでも蒼ちゃんが起きる気配はない。
 ――

、袖は……
 私がその悪魔のささやきに流されるように、掴んだ腕を持ち上げようとした瞬間、
 ――お互い“秘密の窓”“盲目の窓”を開けながら“開放の窓”を
           大きくして、お互い信頼「関係」を強くしていくんだよ――
 ――蒼依との約束は? 蒼依の腕の事はもう良いの?――
 朱先輩と蒼ちゃんの

の声を思い出す。
「――っ?!」
 私はその後ろめたさに、掴んでいた蒼ちゃんの手首を半ば投げ捨てるかのように放してしまった拍子に、蒼ちゃんの腕が抵抗なく私のベットの上に落ちる。じっとりと浮かんだ手の平の汗によって私の手だけは涼しい。
「……」
 それでも蒼ちゃんに起きる気配はない。
 その蒼ちゃんの少しだけ袖が捲れてしまった腕を見て、さっきの衝動でどこかに行ってしまっていた冷静さが戻って来る。
 そして冷静さが戻って来たら、今度は自責にとらわれて、体中に鳥肌が立つ。私は今、何をしようとしていたのか。
 蒼ちゃんが寝ていて気付かないのを良い事に、私(みずか)らが蒼ちゃんとの信頼「関係」に傷をつけようとしていたんじゃないのか。
「……蒼ちゃん?」
「……」
 怖くなった私は蒼ちゃんの名前を呼ぶけれど、全く反応する様子が無い事に安堵のため息をつく。
 何があっても蒼ちゃんは私の親友なのだ。それだけは、これだけは誰にも譲りたくはないのだ。私だけには本音を話してくれる。私が間違っていたら蒼ちゃん自身がどれ程辛い状況でも、私が文句を言ってもちゃんと注意してくれる。
 そんな蒼ちゃんの事を私は、一番の親友だとちゃんと胸を張って言いたいのだ。
「ねぇ蒼ちゃん。私、蒼ちゃんの抱えている事が知りたいよ」
 強く想ったらその想いが口から零れ始める。
「今も私の目の前に蒼ちゃんがいてくれるのに、私すごく寂しいよ」
 そして一度溢れ始めた想いは、口からだけでは間に合わない。私の蒼ちゃんへの想いはそんなに薄くも少なくも安くもない。
「私、蒼ちゃんからの信頼を勝ち取りたいよ。恋愛上級者なんて必要ないから、親友上級者が欲しいよ」
 口だけで足りなかった想いは、視界がにじむ事で追いつこうとする。
「私は蒼ちゃんと二人でもっと笑い合って、残り少ない学生生活を送りたいよ」
 それでも足りないから、鼻がツンとし始める。
 (うし)ろ三年間は一緒にいたいって“お互い”に誓い合ったはずなのに、どうしてこんなにも距離を感じて寂しいのか。
 でも寝ている蒼ちゃんは返事をしない。私の今の気持ちを分かって貰えない。
 ただ、その閉じられた瞳に浮かぶ涙は、悲しい夢でも見ているのか光に反射されなくても視認できるほどにはなっている。

 私は悔しくて、辛くて、見ていられなくて、一度蒼ちゃんから目を背けて机の方を見やる。
 そこで明日の終業式の時に、統括会が読み上げる原稿を書かないといけない事を思い出す。
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 皆さん初学期はどうでしたか? 一・二年生は成績が帰って来たと思いますが、三年生はまだです。
 でも嬉しくも何ともありません。この成績次第では進学先を考えないといけないのに、先延ばしにされているんですよ。
 それに夏休みの宿題もかなり多いので、悲鳴を上げている生徒さんも多いと思います。
 でも、この休み期間の努力は、今すぐに結果が出る事は無くても必ず後から付いてきます。
 ですから、適当にするのではなく、まじめに取り組んでくださいね。
 それと今年の夏も暑いので、水分補給と体調管理をしっかり行い、夏の大会を含めた部活も頑張って下さいね。

 それとテスト明けから、流れた噂では統括会が後手に回りすみませんでした。
 中学期以降はこう言う事が無いように、現メンバーでしっかりと対策を行い取り組んでいきますので、今後ともご理解をお願いします。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 蒼ちゃん自身から逃げるように。蒼ちゃんの腕に対する罪悪感から逃れるように、原稿に向かって完成させた瞬間、
「――っ!!」
 こんな遅い時間にもかかわらず電話が鳴り出す。
「……朱先輩?」
 まさかさっきの私の行動を咎めるための電話なのか。あまりにもタイミングが良すぎる気がする。
『朱先輩?』
 寝ている蒼ちゃんを万一でも起こせないからと自分の部屋を出てから、私が朱先輩の電話を取って一階へと降りる。
『愛さんが冷たすぎるんだよ。空木くんと仲直り出来たとたんにこれなんだよ』
 そのままトイレに籠って通話を始めると、朱先輩が頬を膨らませているのが、電話越しにもかかわらず、目に浮かびそうな勢いでまくし立てて来る。
『優希君との事は本当にありがとうございました。完全に元通りとは行きませんが、それでも仲直りが出来たのは紛れもなく朱先輩のおかげです』
 だからって言う訳じゃ無いけれど、今週の土曜日に会った時に、直接言おうと思っていたお礼を口にする。
『……愛さん? 本当に仲直り出来た? 嘘ついてない?』
 けれど朱先輩が懐疑的に――あ……気付いた瞬間、朱先輩の時に感じる温かな感情が胸に広がる。
『嘘はついていません。ちゃんと優希君の気持ちを聞いて、何より優希君の方から私との関係を統括会のみんなに言ってくれました』
 私がほんの少し涙声だったのに気づいてくれたのだと理解して、具体的に優希君との事を話す。
『じゃあ安心してその話は土曜日に聞かせてもらうとして、今度はどうしたの?』
 それにしても毎回毎回、何でこんなタイミング良く迷っている私を見つけてくれたり、助けたり出来るのか。怖いくらいにたまたまが重なっている気がする。
『親友の蒼ちゃんの事なんですけれど……』
『親友さんって、ちょくちょく愛さんの口から出て来るあの親友さん?』
 私に親友は一人しかいないのだから、間違いようは無いはずだ。
『はい。その蒼ちゃんの様子が今日は朝から変で、普段から寝坊なんてするわけが無いのに時間ギリギリになって登校して来て、いつもはちゃんとオシャレしている蒼ちゃんの長袖のブラウスもヨレヨレだったんです』
『夏なのに長袖?』
 やっぱり朱先輩は気づいてくれる。
『はい。長袖なんです』
 だけれど蒼ちゃんが同調圧力の的になっている事は、いくら朱先輩とは言え他人にはとても言い辛い。
『その上、統括会が終わった放課後の遅い時間にもかかわらず、どの部活にも入っていない蒼ちゃんが、昇降口近くの洗面台でえずいていて……』
 そこまで喋っておいて、また私の心の中に迷いが生じる。
 明らかに私には見られたくなかったであろうあの蒼ちゃんの表情。そして私が胸を張って蒼ちゃんの一番の親友であると言いたいのなら……いくら朱先輩とは言え、他人の力を借りても良いのか。
 それとも私の想いよりも蒼ちゃんの心と体を優先するのか。一度生まれた迷いは瞬く間に私の感情を支配し、たちまち私の言葉を止めてしまう。
『愛さん。わたしと愛さんの間では遠慮は無しなんだよ。本当にいつでも何時でも“どんな事でも”連絡をくれて良いから。わたしの前では取り繕う必要は無いんだよ。だから今じゃなくても良いし、今しか聞かないなんて事も無いんだよ。愛さんがわたしに話したい、相談したいって思ってくれた時で大丈夫なんだよ』
 私の迷う心を感じ取ってくれたのか、いつもと同じ言葉で始まって、いつもとは違う結論を口にしてくれる。
『……ありがとうございます。ただ、長袖の中がどうなっているのかとか、何で今日の放課後にえずいていたのかとか、今までの事も含めて、知らない事、分からない事が多すぎるんです。だからその事も含めて蒼ちゃんの口からちゃんと聞きたいんです』
 私にとっては魔法使いのような朱先輩の言葉に甘えた、私の心の中の霧が晴れ始める。
 統括会として動けば真実に突き当たるのかもしれないし、空振りになるのかもしれない。そして今、自分の部屋に戻って蒼ちゃんの腕を持ち上げるだけで、袖を捲るだけで答えが分かるのかもしれない。
『私、胸を張って蒼ちゃんの親友だって言いたいんです』
 晴れた霧の中にあった答えは、簡単だった。ただ私は、親友との約束を破って蒼ちゃんとの関係が変わってしまって壊れてしまうのが怖かったのだ。
『愛さんはその親友さんの事がとっても大切なんだね』
『はい。私にとって朱先輩と同じくらいには大切な「?!」親友です』
 申し訳ないけれど、誰に白い目を向けられたとしても、朱先輩と蒼ちゃんだけは私にとってどうしても特別なのだ。
 だから優劣なんてつけられないし、ましてや人に代わりなんていない。
『愛さんずるいんだよ。本当は何回電話しても出てくれない愛さんに怒ってたはずなのに、今わたしは嬉しくて仕方がないんだよ』
 何でずるいのかも、なんで嬉しいのかも分からなかったのだけれど、
『そんなにたくさんしてくれたんですか? ごめんなさい。私、今日長風呂していて気付きませんでした』
 私が頭の中を整理している間にそんなにたくさん電話をしてくれていたんだったら、知らなかったとは言え何だか悪い事をした気になる。
『……1回』
『1回?』
 1回って何の事だろう。
『愛さんに電話したのは1回なんだ……よ?』
 1回って、たったの1回って事なのか。
『朱先輩。さっき何回も電話したって言っていませんでしたか?』
 私の咎めた心を返して欲しいかもしれない。
『愛さんからの電話をずっと待ってたんだよ?』
「……」
 そう言われると私も朱先輩からの電話が嬉しいだけに、言い返し辛い。
『空木くんとあの後どうなったのかちゃんと知りたいんだよ。それにこんなに遅い時間に何回も電話なんて出来ないんだよ』
 優珠希ちゃんも合わせて気を利かせてくれた朱先輩には頭が上がらない。
『わたしは電話が苦手なんだよ』
『分かりました。すぐにかけ直せなくてすいません。だから可愛く拗ねないで下さい』
 そしていつも通り私が白旗を上げる。
『じゃあ愛さんには罰として、土曜日の活動は一日中わたしと一緒にして、詳しく詳細に空木君との幸せな話を聞かせてもらうんだよ』
 結局はいつも通りの事を口にしてくれる朱先輩。
 その後はたわいもない雑談を少ししてから、本当に時間だからと言う事で、通話を終える。


 その後自室に戻った時、寝相を変えたからなのか蒼ちゃんが心持ち腕を広げていたけれど、朱先輩の魔法のおかげで、晴れた私の心はそのまま迷うことなく、蒼ちゃんと一緒のベットに潜り込んで、勇気を出してその腕を取って――

―――――――――――――――――次回予告―――――――――――――――――
            「んだよケチくせぇ。暴力女」
                いつもの姉弟
     「慶久君。女の子に優しく出来ない男の子ってカッコ悪いよ?」
          蒼ちゃんの言う事なら比較的素直に聞く慶
   「蒼ちゃん。優希君の邪魔したら悪いから、今日は二人で登校しよっか」
             一方お姉ちゃんの方は……

        「素直じゃない愛ちゃんにしてはよく出来ました」

            119話 先輩の願い ~ 味方 ~ 
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